『降車駅』

　降りる駅をまちがえた。そう気がついた時、もう列車はホームを離れていた。

　何て事だ――僕は腕時計と時刻表を見比べながら、独りごちた。うっかり眠ってしまったのがいけなかった。もう一駅先で降りる筈だったのに、よく似た駅名の看板につい反応して飛び降りてしまった。
　幸い次の電車は五分と待たず、来る様だ。後一駅、都会人でもそれ位は待てる。
　その筈なのだが、五分を過ぎても電車は到着せず、遅延を報せるアナウンスも無い。僕は苛々と、時計と線路の彼方を幾度も見比べ――腕時計が止まっているのに気付いた。
　体感で十分が経った。これ以上只待ってもいられない。僕はホームの清掃をしていた駅員を捕まえて尋ねた。

「本日の電車はもう終わりですよ」何でも無い事の様に、駅員は言った。
「はぁ!?」僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。時刻は未だ、陽も高々と午前中。どれだけ辺境の路線だったとしても、この時間で終電という事は無いだろう。況してやここは仮にも都心。寧ろダイヤは過密な程。「からかわないで下さいよ。遅れているんなら遅れているで、どの位遅れそうだとか……」
「いえ、ですから、本日の電車は終わりです」真面目な顔で、駅員はそう繰り返した。僕が時刻表の書かれたボードを苛立たしげに指差すと、彼はいけしゃあしゃあとこう言った。「あれは通常の物です。今日は、特別編成に変わりました」
「そんな馬鹿な……！」僕は呆れ返っていた。
「しかしお客様」箒を動かしながら、駅員は言った。「現に、お客様は貴方様お一人ですよ？」
「……」ひんやりとしたホームを見渡す。しかし、そんな事をしなくても解ってはいた。ここには乗降客のざわめきは無い。数知れない靴音、衣擦れの音、喧騒……全てが無い。勿論、その姿も。「どうして……」
「それは勿論、お客様」ふと、床面から顔を上げて、駅員は愛想笑いを浮かべた。「一つ前の上り電車が前の駅で大事故を起こして、この沿線の電車は全て停められましたから」

「いつ……？」僕はごくりと喉を鳴らしながらも、訊いた。一つ前の上り電車と言えば、さっき迄僕が乗っていた車両ではないか。僕をここに残して行ってしまった電車。あれが事故――もし未だ乗っていたら……。いや！　駅員は前の駅でと言った。だとしたらどうして僕は巻き込まれていないんだ？　やはりからかわれているのか？　そうに違いない！
　僕が半ば激昂しながらそう問い詰めると、駅員は大きな溜め息をついて言った。
「偶におられるんですよね。魂だけ、乗り過ごされるお客様が」
　途端、止まっていた僕の腕時計が、死者の時間を刻み出した。つくづく、僕は降りる駅を間違えていた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

---

　ほのぼのと電車の旅～じゃないね（笑）