〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
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雲に霞んだ夜空に浮かぶ満月は、黄色い盆の様だった。
そして連れの目にも似ている、と黒髪に黒目、黒い着物を纏った青年、至遠は思った。その膝では件の連れ、黒猫の白陽が丸くなり、心地よさげにその目を閉じていた。
村外れのあばら家の縁側。月明かりが照らす狭い裏庭を眺めながら、彼はこの家の主を待っていた。
「満月の夜に出歩くものじゃあないよ」一刻程前、一夜の宿となる空き家を探そうとしていた至遠に、そう声を掛けてきたのは一人の老婆だった。齢幾つになるものか、腰は曲がり膝は出て、衣から覗く手は黒く節くれ立ち、顔はやはり黒く皺に覆われていた。
「満月の夜……何か危険でも?」立ち止まり、至遠は尋ねた。
「……鬼婆が出て人を獲る……と言われているよ。この辺りの言い伝えだがね。だからこの付近の村では満月の夜は先ず出歩かないし、訪問者が身内を名乗ったとしても戸を開けない。化かされると思ってるんだよ」
そう言って笑った老婆は、鬼婆もかくやという面相だったが、至遠は興味深そうに老婆に視線を合わせた。
「それは困りました。こんな流れ者ではそれこそ戸など開けては貰えないでしょうね」
「お困りの様ならうちに来るかね? この辺りの空き家は皆夏の台風で屋根をやられてる――この分じゃ、夜半から雨だよ、きっと」空を見上げ、僅かに鼻をひくつかせて老婆は言った。
そうして今、粗末ながらも夕飯を終え、至遠は老婆の家の縁側に座しているのだった。
そして連れの目にも似ている、と黒髪に黒目、黒い着物を纏った青年、至遠は思った。その膝では件の連れ、黒猫の白陽が丸くなり、心地よさげにその目を閉じていた。
村外れのあばら家の縁側。月明かりが照らす狭い裏庭を眺めながら、彼はこの家の主を待っていた。
「満月の夜に出歩くものじゃあないよ」一刻程前、一夜の宿となる空き家を探そうとしていた至遠に、そう声を掛けてきたのは一人の老婆だった。齢幾つになるものか、腰は曲がり膝は出て、衣から覗く手は黒く節くれ立ち、顔はやはり黒く皺に覆われていた。
「満月の夜……何か危険でも?」立ち止まり、至遠は尋ねた。
「……鬼婆が出て人を獲る……と言われているよ。この辺りの言い伝えだがね。だからこの付近の村では満月の夜は先ず出歩かないし、訪問者が身内を名乗ったとしても戸を開けない。化かされると思ってるんだよ」
そう言って笑った老婆は、鬼婆もかくやという面相だったが、至遠は興味深そうに老婆に視線を合わせた。
「それは困りました。こんな流れ者ではそれこそ戸など開けては貰えないでしょうね」
「お困りの様ならうちに来るかね? この辺りの空き家は皆夏の台風で屋根をやられてる――この分じゃ、夜半から雨だよ、きっと」空を見上げ、僅かに鼻をひくつかせて老婆は言った。
そうして今、粗末ながらも夕飯を終え、至遠は老婆の家の縁側に座しているのだった。
月に掛かる雲が多くなり始めた頃、柿を載せた盆を持って、老婆は縁側に現れた。
「大した持成しも出来なくて済まないね。何しろこの年寄りの一人暮らしなものでね」よっこいしょ、と膝を折りながら、老婆は言った。
「いえ、とんでもない。一夜の宿と飯、旅の身にこれ以上の持成しはありませんよ」
老婆は歯の抜け落ちた口で微笑みながら、盆の傍らに置いた包丁に手を伸ばした。片手には柿を持ち、さもその皮を剥こうという風情だが――。
「時に……」至遠の声がその動きを僅かに鈍らせた。「件の鬼婆というのは、一体どの様な姿なのでしょう? 今後の為に伺って置きたいのですが」
「それはねぇ……黒い皺だらけの顔に、黒い手足、ぼろぼろの着物を着て……包丁を握り締めた、それはそれは恐ろしい姿だそうだよ」言うなり、老婆は包丁を握り締め、至遠に向けた。「こんな風にね」
その空気の変化を感じ取ったか、白陽が目を覚まして大きく口を開いた。威嚇の声が漏れる。
至遠はその背を撫でて落ち着かせると、静かに言った。
「貴女が鬼婆なのですか?」
「そうだよ」意外にも静かな声。
「何故?」
「村の者は皆言うよ。外れに棲む醜い老婆は鬼婆に違いない。関わっちゃいけない、とね」至遠に刃物を向けながらも、老婆の目には別の誰かが映っている様だった。「あれは早くに親を亡くして他に身寄りも無く、添い遂げる相手も無く、世を恨んで化け物に変じたのだと……。ご覧、心根がその歪んだ姿に表れているじゃないか。もしかしたら病死したと言う親だって、食うに困って……」
「そう噂され続けて来たんですか?」
こくり、ゆっくりと老婆は頷いた。
「だからいっそ本当に鬼婆になってやろうと……」目尻に走る深い皺を、涙が流れた。「ああ、私は一体何を言っているんだい? 初対面の人に」涙を拭う手から、包丁が離れた。
「初対面……一期一会だから言える事もありますよ」至遠は微苦笑を浮かべて言った。外で目を合わせた時に、既に彼女には術を掛けていた。彼女が心の奥底に封じ込めた思いを表し易いように。
「そうだね……」老婆は頷き、一夜の宿代に話に付き合っちゃくれないかと言った。
至遠は――元よりその心算だったが――了承し、老婆の長く辛い話が始まった。苦労に苦労を重ねた娘時代。村の娘達が次々と嫁いで行く中、家はあれども碌な蓄えも無く、また器量もよくはなく、彼女を家族として向かえる家は無かった。そうこうする間に地理的なものだった溝が互いの心に生まれ、自給自足で慎ましやかな暮らしを送る彼女は村に行く事も無く、また村から来る者も絶えて久しかった。
そしていつしか、その溝は彼女を幻の妖へと仕立て上げていったのだ。
「私は何もやっちゃいない……。只、この姿が……」老婆は自らの皺だらけの手を見下ろした。そしてその手でやはり皺だらけの顔を覆ってしまう。嗚咽が漏れた。
しかし、至遠は言った――その姿に恥じる所は無い、と。
「若い頃から日の光を浴びての畑仕事、男手も無ければ力仕事も厭えず――日に焼け、節くれ立つのも必定です。けれどそれは貴女が懸命に生きてきた証であって、何の恥じる所も無いでしょう」
だから他人の噂に身を焦がし、自暴自棄になっての鬼婆の真似など止めなさい、と至遠は告げた。
こくり、と頷き、老婆は何事も無かったかの様に柿を剥き始めた。
縁側の外の月は完全に雲に隠れ、いつしか柔らかい雨が降り始めていた。
あくる日、近隣の村に黒い男が現れた。
そしてその夜、少し欠け始めた月の明かりの中、村を駆け抜けた鬼婆は件の老婆には似ても似つかなかった――無論、至遠の幻術だったが、腰を抜かした村人達は改めてか弱き老婆が独り暮らしている事を思い出し、初めてその身を案じたと言う。
―了―
久し振りの奇譚で。
や、仕事帰りに見た月が余りに真ん丸だったので☆
「大した持成しも出来なくて済まないね。何しろこの年寄りの一人暮らしなものでね」よっこいしょ、と膝を折りながら、老婆は言った。
「いえ、とんでもない。一夜の宿と飯、旅の身にこれ以上の持成しはありませんよ」
老婆は歯の抜け落ちた口で微笑みながら、盆の傍らに置いた包丁に手を伸ばした。片手には柿を持ち、さもその皮を剥こうという風情だが――。
「時に……」至遠の声がその動きを僅かに鈍らせた。「件の鬼婆というのは、一体どの様な姿なのでしょう? 今後の為に伺って置きたいのですが」
「それはねぇ……黒い皺だらけの顔に、黒い手足、ぼろぼろの着物を着て……包丁を握り締めた、それはそれは恐ろしい姿だそうだよ」言うなり、老婆は包丁を握り締め、至遠に向けた。「こんな風にね」
その空気の変化を感じ取ったか、白陽が目を覚まして大きく口を開いた。威嚇の声が漏れる。
至遠はその背を撫でて落ち着かせると、静かに言った。
「貴女が鬼婆なのですか?」
「そうだよ」意外にも静かな声。
「何故?」
「村の者は皆言うよ。外れに棲む醜い老婆は鬼婆に違いない。関わっちゃいけない、とね」至遠に刃物を向けながらも、老婆の目には別の誰かが映っている様だった。「あれは早くに親を亡くして他に身寄りも無く、添い遂げる相手も無く、世を恨んで化け物に変じたのだと……。ご覧、心根がその歪んだ姿に表れているじゃないか。もしかしたら病死したと言う親だって、食うに困って……」
「そう噂され続けて来たんですか?」
こくり、ゆっくりと老婆は頷いた。
「だからいっそ本当に鬼婆になってやろうと……」目尻に走る深い皺を、涙が流れた。「ああ、私は一体何を言っているんだい? 初対面の人に」涙を拭う手から、包丁が離れた。
「初対面……一期一会だから言える事もありますよ」至遠は微苦笑を浮かべて言った。外で目を合わせた時に、既に彼女には術を掛けていた。彼女が心の奥底に封じ込めた思いを表し易いように。
「そうだね……」老婆は頷き、一夜の宿代に話に付き合っちゃくれないかと言った。
至遠は――元よりその心算だったが――了承し、老婆の長く辛い話が始まった。苦労に苦労を重ねた娘時代。村の娘達が次々と嫁いで行く中、家はあれども碌な蓄えも無く、また器量もよくはなく、彼女を家族として向かえる家は無かった。そうこうする間に地理的なものだった溝が互いの心に生まれ、自給自足で慎ましやかな暮らしを送る彼女は村に行く事も無く、また村から来る者も絶えて久しかった。
そしていつしか、その溝は彼女を幻の妖へと仕立て上げていったのだ。
「私は何もやっちゃいない……。只、この姿が……」老婆は自らの皺だらけの手を見下ろした。そしてその手でやはり皺だらけの顔を覆ってしまう。嗚咽が漏れた。
しかし、至遠は言った――その姿に恥じる所は無い、と。
「若い頃から日の光を浴びての畑仕事、男手も無ければ力仕事も厭えず――日に焼け、節くれ立つのも必定です。けれどそれは貴女が懸命に生きてきた証であって、何の恥じる所も無いでしょう」
だから他人の噂に身を焦がし、自暴自棄になっての鬼婆の真似など止めなさい、と至遠は告げた。
こくり、と頷き、老婆は何事も無かったかの様に柿を剥き始めた。
縁側の外の月は完全に雲に隠れ、いつしか柔らかい雨が降り始めていた。
あくる日、近隣の村に黒い男が現れた。
そしてその夜、少し欠け始めた月の明かりの中、村を駆け抜けた鬼婆は件の老婆には似ても似つかなかった――無論、至遠の幻術だったが、腰を抜かした村人達は改めてか弱き老婆が独り暮らしている事を思い出し、初めてその身を案じたと言う。
―了―
久し振りの奇譚で。
や、仕事帰りに見た月が余りに真ん丸だったので☆
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無題
どもども!
奇譚シリーズ、ホント久しぶりっすね~♪
仕事帰りに真ん丸の月を見て、鬼婆を連想するのはいかがなものかと思いますが(笑)
実際には何もしていないのに、人々の噂が鬼婆にさせてしまう…。
そんな悲しい出来事が、昔は本当にあったんですかね?
奇譚シリーズ、ホント久しぶりっすね~♪
仕事帰りに真ん丸の月を見て、鬼婆を連想するのはいかがなものかと思いますが(笑)
実際には何もしていないのに、人々の噂が鬼婆にさせてしまう…。
そんな悲しい出来事が、昔は本当にあったんですかね?
Re:無題
や、余りに見事な月だったもので(^^;)
昔も今も偏見とかありますからねぇ。残念な事に。
奇譚の世界は特に人の思いが形になり易い設定でもあります。
でも、言われ続け、避けられ続けたら、いっそそうなってやろうって気にもなるかも?
昔も今も偏見とかありますからねぇ。残念な事に。
奇譚の世界は特に人の思いが形になり易い設定でもあります。
でも、言われ続け、避けられ続けたら、いっそそうなってやろうって気にもなるかも?
Re:こんばんは。
そうですね。実際付き合ってみたら親切な老婆だったり、村人もそんな嫌な連中じゃなかったり……。
先ずは見た目に誤魔化されない事、ですね。
先ずは見た目に誤魔化されない事、ですね。
おはよう!
そそ、昨日の月は綺麗だったね。
ブログにも書いたけど、月齢15.2だったらしい。
多分、最初から、老婆が鬼婆だろうと思った。
でも、相手が至遠なら、何の心配も要らんのだろうなぁって。(笑)
Ringwanderungの続編は何時登場するのだろうか?(笑)
ブログにも書いたけど、月齢15.2だったらしい。
多分、最初から、老婆が鬼婆だろうと思った。
でも、相手が至遠なら、何の心配も要らんのだろうなぁって。(笑)
Ringwanderungの続編は何時登場するのだろうか?(笑)
Re:おはよう!
さ、さあ……(゜▽゜;)←目が泳ぐ☆
まぁ、鬼婆ごときでどうにかなる至遠でもないわな(笑)
余りに見事な満月は、時に不安を呼び覚ます……かも?
まぁ、鬼婆ごときでどうにかなる至遠でもないわな(笑)
余りに見事な満月は、時に不安を呼び覚ます……かも?
Re:黒目ってなに?
黒い目。もしくは目の黒いトコ。
夜霧……白目無いね☆
夜霧……白目無いね☆
こんにちは
ごめん。昨日は携帯の充電してて、訪問出来なかったよー
メールに気付いたのも午前中でした。m(__)m
むう。婆ちゃん、村人の思い込みも有るんだろーけど、少し小綺麗にしといたら鬼婆にならずにすんだのかもー
でもなぁ…村人が悪いよね~
至遠が訪問して、よかったよね。
メールに気付いたのも午前中でした。m(__)m
むう。婆ちゃん、村人の思い込みも有るんだろーけど、少し小綺麗にしといたら鬼婆にならずにすんだのかもー
でもなぁ…村人が悪いよね~
至遠が訪問して、よかったよね。
Re:こんにちは
や、お好きな時に読んで下さいな(^^)
村人……烏合の衆を纏めようと思ったら、外部に共通の敵なり脅威なりを仮想すべし――時には生贄のヤギでも可。低レベルの人心掌握の手段だと私は思っております。あくまで低レベルの。
しかしよく使われる手でもある……。
村人……烏合の衆を纏めようと思ったら、外部に共通の敵なり脅威なりを仮想すべし――時には生贄のヤギでも可。低レベルの人心掌握の手段だと私は思っております。あくまで低レベルの。
しかしよく使われる手でもある……。
Re:こんにちはっ
お婆ちゃんの手は色んな事を経験してきてます。
色んな経験をしながらも、可愛い孫の頭を撫でられる、偉大な手であります。
色んな経験をしながらも、可愛い孫の頭を撫でられる、偉大な手であります。
Re:満月
よく問題になっている虐めも構造的には同じかも。
自分は集団の中に居れば安心。だから集団の決定にはおかしいと思っても逆らわず、敵を迫害する側に回る事で保身に勤めている。
弱いですね。
自分は集団の中に居れば安心。だから集団の決定にはおかしいと思っても逆らわず、敵を迫害する側に回る事で保身に勤めている。
弱いですね。
こんばんは♪
なんとも哀しいねぇ~!
姿形で人を判断しちゃいかんよねぇ~・・・
見目麗しくたって底意地の悪い人いるもんね!
鬼婆と言われ続けて、何もしてないのに人を食う
なんぞと言われたら、そんならいっそ!本物の鬼になってやると思ってしまっても仕方ないような気もするなぁ・・・・人ってそんなに強くないからねぇ・・・・・
至遠さんに出会えて本当に良かったネ♪
姿形で人を判断しちゃいかんよねぇ~・・・
見目麗しくたって底意地の悪い人いるもんね!
鬼婆と言われ続けて、何もしてないのに人を食う
なんぞと言われたら、そんならいっそ!本物の鬼になってやると思ってしまっても仕方ないような気もするなぁ・・・・人ってそんなに強くないからねぇ・・・・・
至遠さんに出会えて本当に良かったネ♪
Re:こんばんは♪
そうそう、人は弱いからねぇ。
外面如菩薩内面如夜叉な人だって居るし!
人を姿形で判断しちゃいかんよ~☆
外面如菩薩内面如夜叉な人だって居るし!
人を姿形で判断しちゃいかんよ~☆