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「聞いたかい、また邪魔が入ったんだってよ」
「またかい? これで何度目だい? 諒元さん、がっかりしてるだろうねぇ。気の毒に」
「諒元さんも気の毒だけど、この分じゃあ、いつになったら出来上がるんだろうねぇ。お社は。後少しで完成だって時に……」
井戸端会議が続く傍らを、黒髪、黒い着物の青年は通り過ぎた。肩には黒い猫が器用に均衡を取りながら、乗っている。
と、その後ろを、物陰に身を隠しながら歩く男が一人。真剣な表情で、前を行く青年を尾行している様なのだが、、あからさま過ぎて井戸端会議の婦人達にさえ、新たな話題を提供してしまっている。
「あれ、諒元さんとこの若いのじゃないか。棟梁が大変なのに、何やってんだろうねぇ」
「お社建立の邪魔をする奴を捕まえるんだって、意気込んでたそうだけど……。ありゃ、無理だね」
「前を歩いてるのはこの村のもんじゃないけど……。はて?」
二人の男達はゆっくりと、彼女等の視界を横切って、村の中心の社の方へと消えて行った。
「言って置きますが、私がこの村に入ったのは、ほんのさっき――今日の昼前の事ですよ」
社を囲む、こんもりとした杜に足を踏み入れた時、青年は振り返ってそう言った。井戸端会議に夢中の婦人達に見咎められる程度の尾行、当の本人に気付かれても無理もない。
冷や汗をかきつつも精々平静を装い、男は覚悟を決めて姿を現した。
「いや、その、疑ってる訳じゃないんだが、見慣れない奴が居るんで……その……」しどろもどろの言い訳が口をつく。
「問題なのは先程、井戸端会議のご婦人達が噂していた件ですか? お社の建立が遅れているんですか?」
「あ、ああ」彼は頷いた。「うちの棟梁が抱えてる件で、もう殆ど出来上がってるんだ。そりゃあもう、街のお社にも引けをとらない立派な出来でさ、正に完璧に……。なのに、山門の一部が、後少しって所迄造っても、翌日行くと壊されてるんだ。それでまた、造り直し……。賽の河原の鬼にでも会った気分だよ」
ここ迄丁寧に仕上げてきて、邪魔が入るのが嫌だからとやっつけ仕事になってしまっては、結局犯人に負けた様で業腹だと、諒元はその工程に関して手抜きを一切認めない。結局その分、余分に日程が掛かってしまっているのだと言う。
「兎に角犯人を見付けて、締め上げてやろうって、こうして怪しい奴を探してるんだが……。ところで、何でこっちに? この先は問題のお社しかないぜ?」疑惑は完全に捨ててはいないと、男は青年を見遣った。
「何、そのお社を見せて貰おうと思っただけですよ」そう言って、至遠と名乗った青年は微笑んだ。
白木の社は薄暗い杜と見事な対照を成し、陽光の中その白さを際立たせていた。街のお社にも引けを取らない、は欲目としても、村の鎮守としては申し分ない規模だろう。そして出来栄えは確かに、見事だった。
釘を一切使わずきちりきちりと組まれた壁は美しく、屋根の緩やかな傾斜も優美だった。
これで件の山門が出来上がれば、正に完璧という所なのだが……。
崩された山門を前に、しかし落ち込みも見せずにてきぱきと指示を出し、自らも動いている五十絡みの男――棟梁の諒元その人だった。
「正造、何しに来やがった。お前には未だ早い。家の用事でもしていろ!」至遠ともう一人の男が姿を現すなり、怒鳴り声が飛んで来た。「ん? そっちは?」
「至遠と言います。こっちは白陽」肩の黒猫を指して言う。「旅の者でして、後学の為に見学をと思ったのですが、何やらそれ所ではない様ですね」
「ああ、悪いが工事が遅れていてな。邪魔にならないようにしてくれねぇか」
至遠は頭を下げて、踵を返した。正造と呼ばれた男も慌てて、それに付いて行く。弟子とは言っても、大事な工事に関われる程の経験は積んでいないのだろう。
「棟梁は結構年配の方なんですねぇ」何となく並んで歩きながら、至遠は正造に話し掛けた。
「ああ、もう今回のお社建立を花道に代を譲ろうかって話も出てるよ」
「代を譲る相手はもう……?」
「それは娘婿が……さっきの現場にも棟梁の右腕として参加してるよ。この間は邪魔が入らない内にとっとと片付けちまおうって意見して、雷落とされてたが、仲のいい――義理だけど――親子だよ」
「……娘さんは?」
「勿論、家で家事全般を取り仕切ってるよ。身重なんで、俺もその手伝いを言い付かってるんだが……。何かこの頃、元気がなくてな。家の中が暗くって……」その所為もあって、犯人探しも兼ねてこうして外に出ているのだと、彼は苦笑した。
「ちょっと、会わせて貰えませんか?」
そう言われて、流石に正造は不審げな顔を浮かべたものの、再度面と向かっての頼みに、あっさりと頷いたのだった。
諒元の娘は涼華と名乗り、二十代後半だろうか、少し気の弱そうな、線の細い女性だった。
「正造さん、工事の進み具合は……?」現場を見て来たのだと言うと、彼女は飛び付く様にそう問うた。
「ああ、心配要りませんよ。あの程度、棟梁ならさっさと直しちまいますから」
正造の笑みとは対照的に、涼華の表情に影が差したのを、至遠は見て取った。
「私も見せて頂きましたが、見事なものですね。これで山門が出来上がれば、正に完璧といった所でしょうね」至遠は涼華に言った。
「え、ええ……。有難うございます……」心此処にあらずと言わんばかりの礼の言葉。
「そう言えば、お社の柱が一本だけ、逆柱となっていましたが、あれはやはり敢えて完成としない為ですか?」
そうだ、と彼女は頷いた。
建築に於いて、完成は即ち崩壊の始まり、という考え方がある。作られた物はいずれ壊れる。完成と同時にその崩壊に向けて、時が刻まれ始めるのだと。
それ故に敢えて柱を逆さに立てる事で未完成とし、崩壊の始まりを避ける。まじないと言われてしまえばそれ迄だが、こういった事例は結構、ある。
「なるほど……。時に、貴女は人も完成を迎えれば崩壊――詰まり死が始まると思いますか?」
ぎくり、と彼女の肩が震えた。
「そもそも人が完成とされるのはいつなのか、難しい問題でもありますがね」至遠は苦笑する。「建物ならば全ての部品が組まれ、形を成した時が完成と言えるでしょう。けれど、人は? やはり何かを成した時、なのでしょうかね?」
「そう……ですね……」細い、声が震えている。
「諒元さんはこの仕事を終えたら、代を譲る事を考えているそうですね。詰まりそれだけ、この仕事に入れ込み、誇りを持っている。自分の最後の仕事だと」
それは詰まり、それをもって自らの仕事を完成させるという事なのだろうか。
そして、自分自身を。
涼華は蒼い顔でぎゅっと手を握り締めている。
「でも、それは棟梁の諒元さんの完成に過ぎないんじゃないでしょうか?」彼女を見詰めて言った至遠の声は優しかった。
「棟梁の……?」
「ええ。棟梁である諒元さんは完成し、身を引くとしても、貴女の父親、あるいは貴女が授かる子供の祖父としての諒元さんは? 未だこれからかも知れませんね?」
はっと、涼華は顔を上げた。
「人間、一つの面が終わっても、また別の面が現れる――人それ自体が、ずっと未完成な、逆柱なのかも知れませんよ?」
だから安心して、棟梁の完成を見守ってあげて下さい――彼女にだけそっと囁いて、至遠は笑顔を残してその場を去って行った。
棟梁、諒元の完成、それを死の始まりと思い込んだ、その彼女の想いが件の社の邪魔を引き起こしていたのだった。それ位なら社など完成しなくてもいい、と。
腹に子を抱えている不安もあり、心が不安定になってもいたのだろう。
だが、もう大丈夫だ、と至遠は頷いた。
直、お社は完成し、諒元はよき父として、いずれはよき祖父として、その完成を待つ事となる。
彼女自身が女性として、母親として完成を目指す様に。
人はずっと未完成ではあろうけれど――至遠は苦笑しながら、白陽の頭を撫でた。
―了―
長くなった~★
こちらはあくまでも建築物としての完成(=崩壊の始まり)を防ぐ為ですが。
私にも未だ未だ必要ないっす(笑)
所によっては特定の神社用に長い時間を掛けて良質の檜を栽培し続けているとか。
逆柱、かの日光東照宮の陽明門にもありますよ^^