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窓の外に人が居る――幼い妹のそんな訴えを、孝太は聞き流して、彼女をリビングに押しやった。部屋に入るんじゃない、そう言い渡して。
間近に受験を控え、妹に構う余裕はなくなっていた。自分なりに、志望校に対して充分な程の努力はしたし、学校や塾の講師からもほぼ大丈夫と言われている。それでも不安が拭えない。実際に試験を受け、合格通知を手にする迄は、何が起こるか解らない――そんな不安が付き纏う。
だから、恐らくは構って欲しいが為だろう妹の与太話になど、付き合ってはやれなかった。
高層マンションの、此処は八階。窓の外に人が居る訳がない。
いや、待てよ? もし居るとしたら……。
孝太は慌てて部屋を出て、妹に質した。
もし居るとしたら泥棒――それも、行きずりなどではなく、ちゃんと準備を整えた上での犯行だと、判じたのだ。
この縦の並びの、上の階か更に下か。真逆、うちという事はあるまいと思いつつ、孝太は妹が指差した窓を見遣った。
そして、怪訝そうに眉根を寄せる。
彼がそれとなくイメージしていたのはベランダに通じる大きな窓だったのだが、妹が指差したのはこのマンションの角部屋にのみ存在する、明かり取りの小さな窓。その下には全く足場は無いし、窓自体も人が通れる大きさではない。小さな子供位ならば通れるだろうが……。
詰まりは、泥棒が出入りする為に某かの機材を使って迄、そこに居る様な場所ではないのだ。
様子を窺っていたのか?――いや、それならやはりベランダ側の方がいいだろう、と孝太は首を捻った。
人の居ない好機と見ても、また上に登るなり下に降りるなりして出入りの出来る窓に行かねばならない。そんな事をしている間に状況は変わってしまう。移動中で室内を窺えない間に住人が帰って来ては元の木阿弥だ。これがベランダ側なら、直ぐ様、実行に移せるではないか。
「和歌、本当に人が居たのかい?」疑いが声に出るのを隠しもせずに、孝太は訊いた。
こっくりと、妹は頷いた。信じてくれていないのは幼くとも解る。口がへの字になっている。
「じゃ、どんな人だった? 男の人? 女の人?」
「男の人……お兄ちゃん位の」
「高校生位?」益々、泥棒とは考え難い。「どんな風にしていたの?」
「逆さでね、下に降りて行ったの」
「……」妹の答に、孝太は少し、蒼褪める。
真逆と思うが、それは飛び降り……。孝太は慌てて件の窓に駆け寄った。
人が出入り出来る大きさではない窓だが、開けて顔を出して下を確かめる位は出来る。
クレセント錠を外し、開けようと手を伸ばした時だった。
妙にゆっくりと、それは現れた。
丸でスローモーションの様に、髪、額、眉、眼鏡を掛けた目、そして鼻……それらが統合された顔が上から降りて来る。
口はへの字……いや、本来の体勢なら口角の釣り上がった、嫌な笑みが張り付いていた。何かを――孝太を、そして自分をも嘲笑う様な、不自然な程の笑みが口元に深い影を作っている。
眼鏡の奥の、隈の浮いた目にはやはり嘲笑と、怒りと……更に焦りと嘆きを、孝太は感じ取った。
それと目が合った一瞬、鏡を見た様な気がした。顔立ちは全く似てはいないけれど。
そして悟った。きっと彼も、この何かに追われる様な、あるいは何かをしなければならない様な不安感と焦燥感を抱え、そしてそれに耐え切れなかったのだろう、と。
きっと、余裕を失くした今の自分も、そんな目をしているのかも知れない、と。
目を見開き、動く事も出来ずにいる内に、それはゆっくりと降りて行った。堕ちて行くと言うよりも、降りて行く――そんなスピードに感じられた。
きっと、自分に見せる為だと、孝太は感じた。
お前もこうなるんだ、と。
それが去った後も暫く、彼の心臓は激しく脈打ち、彼は茫然と、立ち尽くした。
妹に声を掛けられ、やっと正気を取り戻したものの、もう窓の外を検める必要は感じなかった。
あれが、生きている人間の筈はない。
妹が見、そして自分が見たのだ。真逆数刻も間を置かず、別の自殺志願者が同じ場所から飛ぶとも思えない。何より、通りに面している下の街路からは、全く騒ぎが伝わって来ない。
あれはきっと、繰り返しているのだ。死の瞬間を。
これ迄もそうだったのだろうか?
自分が、あれに近い状態になった今だから、現れたのか?
それは警告だったのか、あるいは誘いだったのか……。
自分は、ああなるのか……?
いや。
「和歌」肩の力を抜き、孝太は妹の頭を撫でた。「久し振りに、本でも読んでやろうか?」
妹は満面の笑みで、頷いた。
そう、自分はああはならない。なりたくない――そう孝太は思う。
しかし、不安感も焦燥感も、やはり消す事は出来ない。
けれど、ほんの少しの――油断にならない程度の――余裕が、救いになるかも知れない。
ほんの少し妹を構ってやる、存分に受験勉強が出来るよう気を遣ってくれている両親を気遣う、そんなささやかな余裕が。
―了―
ちょこっと復活。
さぁ、窓を開けましょう!(笑)
や、自殺者って死の瞬間を繰り返していて、先に進めないとか……。
彼の場合は……趣味もあるのかなぁ?(←おい)