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今夜は雪が降るそうだからカーテンを閉めて、と深雪は言った。
幼い頃は雪が大好きで、雪の日には飽きる事なく窓辺に張り付いていたのに大人になったら寒さが堪えるようになったのかい、と僕が苦笑すると、彼女はすっと視線を逸らして、昔の事だと呟いた。その眼差しがどこか寂しげで、それでいて冷たい程の拒絶を含んでいる様で、酷く気になった。
この年下の従妹と会うのは五年振りだが、以前はもっと口数の多い、明るい子だったのではなかったか? それともこれは考え過ぎで、彼女は単に妙齢の女性らしい落ち着きを得ただけの事なのだろうか。
何かあったの?――そう尋ねるべきか、僕が優柔不断にも迷っている間に、彼女が口を開いた。
「五年前迄は雪が好きだったわ。高校生にもなって、朝起きて一面の雪景色が広がっているのを見るだけで歓声を上げていた程。そんな日は通学路で靴に染み入って来る冷たさも、自転車が使えない不便さも、全然気にならなかった。でも、今は……雪を見たくないの」伏し目がちに淡々と語る、彼女。
そうだ、彼女は窓を閉めてではなく、カーテンを閉めてと言った。カーテンには断熱効果も無論あるけれど、彼女が求めたのは視界への遮蔽効果だったのか。
「どうして……見たくもない程に雪が嫌いになったんだい?」
「高校の時ね、友達とスキー旅行に行ったの。ゲレンデはそれはもう美しく白銀に輝いていて、私は思う存分、雪を楽しんだわ。友達が呆れる位にね。でも、その夜にね、ホテルで騒ぎがあったの。宿泊客の一人が帰って来ないって」
「真逆、遭難……」
「ホテルの従業員さんにこそっと聞いたんだけど、その人は常連らしくて、その山の事も詳しかったそうなの。だから危険な場所も知っていたし、そんな場所には普段から行かないようにしていた。フランクな感じの人で、知らない人にもよく注意していたそうよ」
「そんな人が……解らないもんだね。それで、その人は……?」帰って来たのか、それとも……。
「結局夜の山は危険だからって、近場のホテルや施設に行き着いてやしないかと連絡を取りながら一晩待って……やっぱり帰って来なかったそうで、早朝から捜索隊が出たわ。それで結局……その人が常々行くなと言っていた谷から、遺体が見付かったの。凍死、だったそうよ」彼女は毛足の深い絨毯に視線を落とした。「手にはピンクのスキー帽を握っていて……きっと脱いだ隙に風に飛ばされた誰かの帽子を追ってあげている内に、うっかり危険な場所に踏み込んでしまったんじゃないかって……」
「気の毒だね……」しんみりと、僕は頷いた。「あれ? でも、それじゃあその帽子の持ち主は? どちらへ向かったか位は見ていたんじゃないのかい? 行方不明と判った時点で言っていれば捜索場所も絞れて――まぁ、危険には違いないけど――夜でもそれなりの準備をしてその場所に向かえば間に合ったかも……」
僕は目の前の深雪の変化に気付いて、言葉を途切れさせた。
震えている。
室内にはちゃんと暖房も効いていると言うのに、彼女は我が身を抱く様にして、戦慄いている。歯を食い縛り、丸で幽霊にでも遭遇したかの様な蒼い顔で足元だけを凝視して……何かを拒絶する様に。
「深雪……真逆……」
「解ってるわよ!」深雪は両腕で頭を抱え込むと、僕の言葉を遮り、怒鳴った。「それでもその先が本当に危険な場所だなんて知らなかったんだもの! 行こうとしたのを止められて……。でも、軽い感じの人で……友達もこっちが女の子二人だからってそれを口実に声を掛けてきたんだろうって……。従業員さんの話で、誰にでもそうなんだとは知ったけど、山に詳しいんなら大丈夫だろうって……。私達、本当は怖かったの……! 勿論、帽子を風で飛ばされたのは偶然だけど、自分達の所為であの人が遭難したんだって言われるのが……。怖くて言い出せなかったのよ!」
「……」僕は黙って彼女の肩を抱いた。
嗚咽を漏らす彼女が落ち着く迄、降り積もる雪の様に静かに、寄り添っていた。
「……そんな事があって、雪が嫌いになったのか」やがて落ち着きを取り戻した彼女に、温かい珈琲を入れながら、無理もないか、と僕は呟いた。
深雪はハンカチで涙を拭き、時折洟を啜りながら頷く。
「それに、ね……」
それに?――僕は不吉な響きに、ふと手を止めた。
深雪の視線は時計を捉えていた。そして、その視線がそぉっと、カーテンを閉め切った窓へと移動する。見たくない、とその表情が言っていた。なのに、見ずにはいられないのだと。
何があるのかと、僕の視線も窓に吸い寄せられる。
と――。
ばんっ!!
掌で力一杯サッシ窓を叩く様な音が、外から聞こえた。いや、間違いなく、それはこの部屋の窓が叩かれた音だった。何故なら未だ、その衝撃にサッシがカタカタと震え、鳴っている。
深雪の顔も蒼白だ。
激しい鼓動を押さえ付け、僕は何が起こったのかを確かめようと一歩一歩、窓に歩み寄る。
と、深雪が僕の腕を取り、それを止めた。
「見たくない」と、彼女は言った。「あれから、雪の日にはある事なの。午後十一時頃、部屋の窓硝子が鳴って……翌日見ると……。多分、あの人が死んだ時刻なんだと思うわ。きっと怒ってるのよ! 私の所為だって! だから……カーテンを開けちゃ駄目! 見たくないよ……。軽い印象だったけど親切だったあの人が……私を恨んで窓を叩いてるだろう姿なんて……」
「深雪……見た事はないんだね?」
こくり、と彼女は頷いた。
僕は彼女を窓から視線が通らない物陰に連れて行き、待つように告げた。彼女は酷く怯えたが、従ってくれた。
そして僕は窓辺に歩み寄り、カーテンを一気に、開けた。
翌朝、僕は窓硝子に大きな掌の跡が残された部屋を後にした。
彼が届けてくれたピンクのスキー帽を大事そうに抱えて眠る、深雪を残して。
結局、彼は怒ってもいなかったし、恨んでもいなかった。只、彼女に落し物を届けたかっただけだったのだ。昨夜僕が受け取らなかったら、深夜の怪音はいつ迄も、雪の夜に繰り返されたのだろう。
「これで、また雪を見てはしゃぎ出すんだろうな、あいつ」
呟いた僕の足元には、うっすらと積もった雪と、二本の滑らかな筋。それは新たに降り出した雪に埋もれる様に、いつしか消えて行った。
―了―
思いの他長くなった(--;)
何、毎度の事だ(笑)
なるほど! スキーの跡=人為説もあり得ましたか。
蛇足だったかな?
元々足のない幽霊というのは丸山応挙が描いたものが定番化してしまった様な。
ホッとしました。
最初は雪女か?なんて思ってしまいました。
帽子を届けに来るなんて優しい幽霊だねぇ、
恨みのこもった凄まじい顔が窓にうつってたり
しなくて良かったなぁ♪(笑)
却って人対人の方がどろどろどろどろ……。
死んで迄帽子取って来て貰っても……ねぇ。
水難救助の場合、しがみ付かれて動きが取れなくなったりなんて事情もありますけど、そこに慢心が全く無いのかどうか……?
取り敢えず、水難救助は要救助者の背後から~☆
相変わらず幽霊が怖くなりません(笑)