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「ねぇ……。此処に居たら、怖い人に連れてかれちゃうんだよ?」
「知ってるよ」グラウンド隅の椿の木の根元にしゃがみ込んでいる所に、つっと寄って来て忠告する様に囁いた同級生位の女の子に、つばきは無愛想にそう答えた。
そんな事、知っている。いいから放って置いて――そんな響きを滲ませて。
だが、女の子は目を丸くして、更に言い募った。
「知ってるなら、何でこんなトコ、居るのよ? ほら、寒いし、教室行こ。あたしもこんなトコ、居たくないし」
「一人で行って」
「何でよ?」流石に、相手はむくれた。彼女としては親切に忠告しているのだから、当然だろう。「本当に、この辺りに居たのを最後に行方不明になっちゃった子、居るんだからね!」
「……知ってる」
それでも、顎をマフラーに埋める様にしてしゃがみ込んだ儘、動こうとしないつばきに、女の子は肩を怒らせて、行ってしまった。さくっ、さくっ……その足元で、雪が硬く踏み締められている。
知ってる――雪に埋められていくグラウンドに視線を据えた儘、つばきは脳裏で繰り返した。
行方不明になったのはつばきの姉だった。七年前、今のつばきと同じ小学校五年生だった、お姉ちゃん。こんな雪の日に居なくなった、お姉ちゃん。
この小学校には、所謂七不思議の様な形で、語り継がれた怪異が幾つか、あった。
その一つが、このグラウンド隅の椿の木。赤い花咲くこの根元に夕方迄居ると、何処の誰とも知れない怖い人に連れて行かれてしまう、と言うのだ。
椿の花が咲く時期と言えば、夕方はもう暗い。いつ迄も遊んでいないで早く帰るようにという先生方の作った話だと言う意見もあった。
けれど実際、つばきの姉は帰って来なかった。
誘拐なのか、家出なのか、当時はかなりの騒動になったらしい。半狂乱になる両親の姿を見せまいとしたのだろう、祖母は自分の離れに幼いつばきを囲い込み、故に詳しい話は二、三年前迄、知らされずにいた。
今でも、何故姉がこんな所に居たのか、つばきは知らない、解らない。
だから、此処に居れば少しは姉の気持ちが解るかと、こうしているのだが……。
深い緑の葉に赤い花。中心の黄色が一際、鮮やかだ。
だが、根元にぽとりと落ちた花は、何か不吉な徴の様で、つばきは自分と同じ名の木を、余り好きにはなれなかった。
今はその緑も赤も塗り潰そうとするかの様に、白い雪が降り積もっている。
此処にずーっと居たら、私の上にも積もるのかなぁ――麻痺した様な頭で考える事は、空回り。
ああ、本当にそろそろ帰らないと……そう思うのに、冷え切った身体が思う様に動かない。
おかしい、幾ら寒いと言っても、吹雪いている訳でもない。こんなに急に身体の自由が利かなくなる訳がないのに――そう思い、動かぬ足に焦りを感じた時だった。
「未だ居たの!?」降って来たのはさっきの女の子の怒鳴り声だった。「早く戻りなさいってば!」
その怒鳴り声で、丸で呪縛が解けた様だった。
立ち上がろうと力んでいた弾みで踏鞴を踏みつつも、つばきは木の根元に吹き寄せられた雪溜まりから這い出た。
正直、助かった。さっきは邪険にして悪かったと、礼を言おうとして顔を上げたつばきの前に、しかし、女の子の姿はなかった。
「あ……れ……?」確かに声がしたのにと、つばきは首を傾げる。怒鳴るだけ怒鳴って、行ってしまったのだろうか。
今度会ったら、ごめんと有難うを言わないと――そう思いながら、真白く染まったグラウンドをつばきは校舎へと駆け出した。
が、それ以来あの女の子の姿を見る事はなかった。いや、思えば、大して大人数でもないこの学校内で、これ迄につばきが彼女に会った事は一度もなかったのだ。
あの日、つばきを怒鳴り付けて、先に校舎へ向かった筈の女の子の足跡は、何処にも無かった。
―了―
寒い、寒い。