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昨夜は遠くの山の更に向こうの空が、いつ迄も稲光に照らされていた。
時折くっきりとした光の筋が、触手を伸ばす様に雲間を這う。
それでも、窓辺に立って空を見上げるこの僕に、音は届かない――それが、あの光の下に眠る町と、今の僕との距離。余りにも遠く、それは感じられた。
数年前迄、僕はその町に居た。
山間の盆地に広がる、小さな町だった。住人の殆どが高齢化し、若い者は職や利便性を求めて町を去った。
それでも僕は、そこから出る事を拒んでいた。お前も出たらどうかと勧められた事も、何度もあったが。
とある夏の夜、小さな診療所の前に捨てられていた、赤子。それが僕だった。診療所の先生が気付いたのは、雷雨に怯える僕の泣き声だったと言うから、僕を捨てた親というのはきっと酷い人なのだろう。よりによって、そんな夜に……。だからこそ、親捜しは当初からしなかったと、先生も言っていた。任せられない、と。
ともあれ、僕は先生に保護され、育てられた。小さな町の小さな診療所の事、決して楽ではなかっただろうに。
その先生も歳を取り……それでも他に医療機関もない小さな町では、引退する事も出来ず、診療所を続けていた。
当時の僕は、その手助けをしながら、勉強に励んだものだった。いずれは医師の免許を取り、跡を継ごうと。それなら尚更、将来こんな小さな町で苦労する事はないと、養父には苦笑されたけれど。
只、大学への進学を考えなければならない頃になると、町の近辺には相応の大学がない事に悩んだ。一時的にではあるが、町を出なければならない、と。養父を残して。
そんな時、養父に一喝された。待っていてやるからとっとと行って来い、と。
結局、僕は町を出た。
その町がダムに沈む事になったとニュースで知ったのは、大学二年の時だったか……。
慌てて帰ろうとした僕に、養父から電話があった。
帰って来るな、と。
思えば、僕を送り出す前から、町では寄り合いの回数が増えていた。あるいはあの時点で、ダム開発の話は持ち込まれていて、養父はそれを知っていたから尚更、僕を外に出そうとしていたのかも知れない。
僕は養父に、自分の所に来るよう、言った。当時は下宿暮らしだったが、二人で住むなら部屋を借りてもいい。
だが、町にはダムに反対して居座る住人も少なからず居て、養父は彼等を見放す事は出来ないと言った。養父自身は、決まった事は決まった事だと、達観した体があったけれど。
彼らが去ったら、町を出る――そう言ったのは、もう随分前の事。
反対派は折れず、着工は遅々として進まず、そして、いつしか町は徐々に住人を減らしつつ、国からも世間からも、置き去りとなっていった。
そして世間からは忘れ去られた頃に、町はダムに沈んだ。抵抗に疲れ果てた住人の思い出と――養父の墓を水底に封じて。
何度も迎えに行きつつも、養父を連れ出す事の出来なかった僕は、今でもあの町に心の一部を置き去りにした儘だ。
しかし、いつ迄もこうしていても仕方がない。
カーテンを閉め、僕は明日に備える為にベッドに入った。
明日は大事なオペが控えている。
急激なエネルギー政策転換の為に町を潰し、町の人々をばらばらにしたダムを提案しながら、補償も何も丸投げにした無責任な政治屋の、命の懸かったオペが行われるのだ。
この手の下で……。
―了―
リハビリの心算が長くなったんですけどー(--;)