〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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「落としましたよ」
そんな愛らしい声に振り返った男は、その場に凍り付いた。
見覚えのある鍵。見覚えのある無機質なキーホルダー。そして見覚えのある少女――栗色の髪に青いリボン、青い服のよく似合う十歳ばかりの少女が、鍵を手に微笑んでいた。
全てが見覚えのある光景だった。
それも、此処何年かに亘って。
一時の金縛りの解けた男は、訳の解らない声を上げて走り出した。
少女は小首を傾げながらも、笑顔を崩さず、その背中を目で追った。
あの鍵を手に取ったらお終いだ――あれは彼の人生に於ける汚点だった。
十年近く前になるだろうか。一流商社に入社したばかりの男は、当時ライバル関係だった同僚を蹴落とす材料を、飢えたハイエナの嗅覚で探していた。
しかし、彼同様に一流というレッテルを重ね張りしてきた同僚は、何事にも卒がなく、そして欠点は見当たらなかった。無論、誰にせよ人間である以上は何かしら欠点、弱点はある。だが、それを欠点と見せない手を、同僚は熟知している様だった。彼に掛かると、ちょっとしたミスは完璧な精密機械が垣間見せる人間味となり、寧ろ周囲の人間を安堵させる程だった。
周到に隠されている筈の、彼本来の人間性は結局垣間見る事は出来なかった。
だからこそ、男は彼の致命的な失策を、捏造する事にした。
彼等の部署には社外秘――社外持ち出し禁止の重要書類も幾つか保管されていた。
勿論、それらは厳重に鍵の掛かったキャビネットに収納され、その鍵も無論、持ち出し禁止扱いだった。
それをある日、彼はよく似た造りの鍵と摩り替えた。無機質なキーホルダーと言い、キャビネットの鍵にそれ程の個性がある訳もない。重要書類がそうそう出される事もなく、部署内から人が居なくなるタイミングさえ見極めれば、不可能ではなかった。
未だ未だ一年目の彼等が普段触る事の無い鍵に自らの指紋が付かないように、男は指先の皮膚を接着剤でコートし、キーホルダーを彼自身の家の鍵のものと付け替えた。
そして問題の人物の前を通る際に、さり気なく落としたのだった。
「落としましたよ」目論見通りに拾ってくれた彼から、礼を言って受け取り、男は内心でほくそえんだ。
そして最後の仕上げとして、またも人目を盗んで一冊のファイルを抜き出し、鍵を元に戻したのだった。
抜き出したファイルをどうするか、それには彼も迷った。相手の鞄にでも忍ばせて置けば決定的だろうが、これ以上のリスクを冒すべきか? ファイルが無くなったと明るみに出た時点で、盗難事件として調べられれば、普段触る事のない筈のライバルの指紋が検出され、状況証拠ではあるがその身分は危うくなる筈だった。
しかし、普段触る事もない書類という事は、ライバルもこの中身は知らない訳で――それが知らない間に鞄に入っていたら、どういう反応を示すだろう?
済みません、誰か間違えて私の鞄に書類を……書類の正体を知らない彼は、そう言って直ぐに部署内の誰かに見せるだろう。盗もうとした人間がそんな事をする筈もない。あるいは自分が陥れようとした事がばれてしまうかも知れない。そうなれば破滅するのは自分だ。
彼を装ってどこかのライバル社に持ち込むか? しかしそれは結局自らの社への損失に繋がる。第一、鞄に書類を忍ばせる以上のリスクを伴うではないか。
結局、彼は他の廃棄すべき書類と共に、それらをシュレッダーに掛けたのだった。
そして数日後、彼の目論見通りに書類の盗難騒ぎが持ち上がり、鍵に残された指紋から件のライバルが疑いを掛けられたのだった。勿論、その頃には資源ゴミとして回収された元書類の行方など知れる筈もない。彼が所持しておらず、ライバル社に持ち込んだという確証も無い、という事だけはどうにか確認されたものの、一度掛けられた疑いはそうそう晴れるものでもない。噂という針の筵に座らされた彼は、社から身を退いたのだった。
男の目論見通りに。
それからの数年間、彼は順風満帆の時期を謳歌していた。
ところが――。
「落としましたよ」可愛らしい少女の声に呼び止められた彼が見たのは、件の鍵だった。声を掛けられたのは社外の歩道。そんな所に例の鍵がある道理もない。第一、例の事件を受けてキャビネットは一掃されて書類はより厳重な金庫に移され、問題の鍵も処分された筈だった。
「ひ、人違いじゃないかな、お嬢ちゃん」どうにか、声を取り戻した彼は言った。「それはおじさんの鍵じゃないよ」
「おかしいわね」少女は小首を傾げた。「おじさんのポケットから落ちたと思ったんだけど……。本当に、見覚え、無い?」はっきりと、区切る様な一言一言が男の耳に反響を残す。
男は頭を振って、それを振り払った。そして、忙しいんだ、と呟いて、少女を振り切る様に早足で歩き出した。
納得したのか、少女は追っては来ない。男はほっと息を吐き出した。
きっとあれはよく似た鍵だったのだ。何、個性のある鍵じゃない。キーホルダーだってよくある無機質なプレート型。第一、あの鍵が今時、俺のポケットから落ちる筈もないじゃないか。
忘れるんだ、と男は自分に言い聞かせた。
あれ以来、あんな無茶をする事もなく、彼は出世コースに乗っていた。あの事さえ無ければ、何の汚点も無い人生――その筈だ。忘れてしまえ。
だが、忘れた頃に、少女は現れた。
あの日の姿の儘で。
そしてこの日も。
男は過去の幻影から逃げる様に駆け続け――しかしどこかで悟っていた。自分が逃げる事を止める迄、少女は現れ続けるだろう、と。
逃走の果てに止まった脚は、棒の様になりながらも彼を上司の元へと、彼を裁く者の元へと運んだ。
「ご苦労様」鍵を束に繋ぎながら、少女は呟いた。
鍵には確かに男の指紋は残されていない。
しかし、彼女にははっきりと、それに刻まれた彼の罪が、見えていた。
「鍵を策略に利用して置いて、忘れる事なんて許されないわ」
そう呟くと、ふっと口元に笑みを刻み――いつしかその姿を消していた。
―了―
ありす……幾つなん?(^^;)
十年近く前になるだろうか。一流商社に入社したばかりの男は、当時ライバル関係だった同僚を蹴落とす材料を、飢えたハイエナの嗅覚で探していた。
しかし、彼同様に一流というレッテルを重ね張りしてきた同僚は、何事にも卒がなく、そして欠点は見当たらなかった。無論、誰にせよ人間である以上は何かしら欠点、弱点はある。だが、それを欠点と見せない手を、同僚は熟知している様だった。彼に掛かると、ちょっとしたミスは完璧な精密機械が垣間見せる人間味となり、寧ろ周囲の人間を安堵させる程だった。
周到に隠されている筈の、彼本来の人間性は結局垣間見る事は出来なかった。
だからこそ、男は彼の致命的な失策を、捏造する事にした。
彼等の部署には社外秘――社外持ち出し禁止の重要書類も幾つか保管されていた。
勿論、それらは厳重に鍵の掛かったキャビネットに収納され、その鍵も無論、持ち出し禁止扱いだった。
それをある日、彼はよく似た造りの鍵と摩り替えた。無機質なキーホルダーと言い、キャビネットの鍵にそれ程の個性がある訳もない。重要書類がそうそう出される事もなく、部署内から人が居なくなるタイミングさえ見極めれば、不可能ではなかった。
未だ未だ一年目の彼等が普段触る事の無い鍵に自らの指紋が付かないように、男は指先の皮膚を接着剤でコートし、キーホルダーを彼自身の家の鍵のものと付け替えた。
そして問題の人物の前を通る際に、さり気なく落としたのだった。
「落としましたよ」目論見通りに拾ってくれた彼から、礼を言って受け取り、男は内心でほくそえんだ。
そして最後の仕上げとして、またも人目を盗んで一冊のファイルを抜き出し、鍵を元に戻したのだった。
抜き出したファイルをどうするか、それには彼も迷った。相手の鞄にでも忍ばせて置けば決定的だろうが、これ以上のリスクを冒すべきか? ファイルが無くなったと明るみに出た時点で、盗難事件として調べられれば、普段触る事のない筈のライバルの指紋が検出され、状況証拠ではあるがその身分は危うくなる筈だった。
しかし、普段触る事もない書類という事は、ライバルもこの中身は知らない訳で――それが知らない間に鞄に入っていたら、どういう反応を示すだろう?
済みません、誰か間違えて私の鞄に書類を……書類の正体を知らない彼は、そう言って直ぐに部署内の誰かに見せるだろう。盗もうとした人間がそんな事をする筈もない。あるいは自分が陥れようとした事がばれてしまうかも知れない。そうなれば破滅するのは自分だ。
彼を装ってどこかのライバル社に持ち込むか? しかしそれは結局自らの社への損失に繋がる。第一、鞄に書類を忍ばせる以上のリスクを伴うではないか。
結局、彼は他の廃棄すべき書類と共に、それらをシュレッダーに掛けたのだった。
そして数日後、彼の目論見通りに書類の盗難騒ぎが持ち上がり、鍵に残された指紋から件のライバルが疑いを掛けられたのだった。勿論、その頃には資源ゴミとして回収された元書類の行方など知れる筈もない。彼が所持しておらず、ライバル社に持ち込んだという確証も無い、という事だけはどうにか確認されたものの、一度掛けられた疑いはそうそう晴れるものでもない。噂という針の筵に座らされた彼は、社から身を退いたのだった。
男の目論見通りに。
それからの数年間、彼は順風満帆の時期を謳歌していた。
ところが――。
「落としましたよ」可愛らしい少女の声に呼び止められた彼が見たのは、件の鍵だった。声を掛けられたのは社外の歩道。そんな所に例の鍵がある道理もない。第一、例の事件を受けてキャビネットは一掃されて書類はより厳重な金庫に移され、問題の鍵も処分された筈だった。
「ひ、人違いじゃないかな、お嬢ちゃん」どうにか、声を取り戻した彼は言った。「それはおじさんの鍵じゃないよ」
「おかしいわね」少女は小首を傾げた。「おじさんのポケットから落ちたと思ったんだけど……。本当に、見覚え、無い?」はっきりと、区切る様な一言一言が男の耳に反響を残す。
男は頭を振って、それを振り払った。そして、忙しいんだ、と呟いて、少女を振り切る様に早足で歩き出した。
納得したのか、少女は追っては来ない。男はほっと息を吐き出した。
きっとあれはよく似た鍵だったのだ。何、個性のある鍵じゃない。キーホルダーだってよくある無機質なプレート型。第一、あの鍵が今時、俺のポケットから落ちる筈もないじゃないか。
忘れるんだ、と男は自分に言い聞かせた。
あれ以来、あんな無茶をする事もなく、彼は出世コースに乗っていた。あの事さえ無ければ、何の汚点も無い人生――その筈だ。忘れてしまえ。
だが、忘れた頃に、少女は現れた。
あの日の姿の儘で。
そしてこの日も。
男は過去の幻影から逃げる様に駆け続け――しかしどこかで悟っていた。自分が逃げる事を止める迄、少女は現れ続けるだろう、と。
逃走の果てに止まった脚は、棒の様になりながらも彼を上司の元へと、彼を裁く者の元へと運んだ。
「ご苦労様」鍵を束に繋ぎながら、少女は呟いた。
鍵には確かに男の指紋は残されていない。
しかし、彼女にははっきりと、それに刻まれた彼の罪が、見えていた。
「鍵を策略に利用して置いて、忘れる事なんて許されないわ」
そう呟くと、ふっと口元に笑みを刻み――いつしかその姿を消していた。
―了―
ありす……幾つなん?(^^;)
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Re:無題
ありすから逃れるのは確かに無理っぽいですね(笑)
指紋は無くとも、鍵は全てを知っている?
指紋は無くとも、鍵は全てを知っている?
Re:こんばんは
許さん(嘘・笑)
罪を犯して逃げて忘れようなんて、そうは問屋が卸しませんよね♪
罪を犯して逃げて忘れようなんて、そうは問屋が卸しませんよね♪
おはよう!
その程度の策略だと、一杯ありそうだなぁ。
アリス、カギが重くなり過ぎないかい?(笑)
ってか、物凄く忙しいだろうなぁ。
一人一人に時間が掛かるし。
ここで、わたくしは、アリス複数存在説を提唱致します。(爆)
アリス、カギが重くなり過ぎないかい?(笑)
ってか、物凄く忙しいだろうなぁ。
一人一人に時間が掛かるし。
ここで、わたくしは、アリス複数存在説を提唱致します。(爆)
Re:おはよう!
ありすが一杯(笑)
確かに忙しそうかも(^^;)
確かに忙しそうかも(^^;)
Re:こんばんわっ☆
んん? 私は普通にログイン出来てますが(・・?
何でしょうね?
ありすの年齢は……極秘事項でございます(笑)
何でしょうね?
ありすの年齢は……極秘事項でございます(笑)
Re:出たぁ~!
はうっ、頭の中でありすが裃着けてる(爆)
少なくとも自ら進んで悪事を行なった人間が裁かれもしないなんて、やってられませんからね~。そんな人には怖い鍵をプレゼント♪
少なくとも自ら進んで悪事を行なった人間が裁かれもしないなんて、やってられませんからね~。そんな人には怖い鍵をプレゼント♪
Re:こんにちは♪
嫌ですよねぇ、足の引っ張り合いとか、ライバルを陥れるとか(--;)
正々堂々、勝負よね♪
正々堂々、勝負よね♪
Re:こんばんは
忘れたくても忘れちゃいけない過去もありますよね(^^;)
と言うか、それ以前にやっちゃいかんだろ、という(苦笑)
と言うか、それ以前にやっちゃいかんだろ、という(苦笑)