〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
Admin
Link
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ブロック塀の並ぶ深夜の住宅街。その闇に紛れて、一つの角に男――平勇(たいら・いさむ)は潜んでいた。
数メートル先には夜目にもそれと知れる赤い金属製の消火器が、疎らな街灯の明かりにその色を浮かべている。
もうそろそろ、頃合いだろうと平は考えていた。
道端に消火器を見た後には放火が起きる――それは巡り巡って自身の耳にも届く様になった噂だった。この周辺住民の誰かの耳にもきっと……。
ならば、誰かが調べに来る筈だ。平は確信していた。
その為に今迄あちらこちらで消火器を置いては態とそれが目に留まるよう、間を置いて放火する、そんな手間を掛けてきたのだ。
全てはこの住宅街での、この件の為に。
あれからもう二十年――目は離さない儘、平は過去に思いを馳せる――あの火事で父が殉職してから、それだけの年月が経ったのだ。
父は消防士だった。
現場はこの住宅街の一画。父を巻き込んで全焼した建物は疾うに無く、辺りの風景も変わってしまっていたが、彼の中ではいつ迄もここは死の場所だった。実際に自分の足でここに立ったのは、父が帰って来なくなった六歳の夜から数年経った後だったけれど。
火事の原因は放火だったという。無論、幼少の彼に周囲の大人達は詳しい事は教えてはくれなかった。それでも、それとなくは漏れ聞こえてくるのだ。
早く犯人が捕まって罰を受ければいい――彼の前では気丈に振舞おうとする母の背を見ながら、彼は真にそれを願った。
しかし結局犯人は不明の儘、彼の憤りは行き場を失った。
数メートル先には夜目にもそれと知れる赤い金属製の消火器が、疎らな街灯の明かりにその色を浮かべている。
もうそろそろ、頃合いだろうと平は考えていた。
道端に消火器を見た後には放火が起きる――それは巡り巡って自身の耳にも届く様になった噂だった。この周辺住民の誰かの耳にもきっと……。
ならば、誰かが調べに来る筈だ。平は確信していた。
その為に今迄あちらこちらで消火器を置いては態とそれが目に留まるよう、間を置いて放火する、そんな手間を掛けてきたのだ。
全てはこの住宅街での、この件の為に。
あれからもう二十年――目は離さない儘、平は過去に思いを馳せる――あの火事で父が殉職してから、それだけの年月が経ったのだ。
父は消防士だった。
現場はこの住宅街の一画。父を巻き込んで全焼した建物は疾うに無く、辺りの風景も変わってしまっていたが、彼の中ではいつ迄もここは死の場所だった。実際に自分の足でここに立ったのは、父が帰って来なくなった六歳の夜から数年経った後だったけれど。
火事の原因は放火だったという。無論、幼少の彼に周囲の大人達は詳しい事は教えてはくれなかった。それでも、それとなくは漏れ聞こえてくるのだ。
早く犯人が捕まって罰を受ければいい――彼の前では気丈に振舞おうとする母の背を見ながら、彼は真にそれを願った。
しかし結局犯人は不明の儘、彼の憤りは行き場を失った。
周囲からは正義感の強い、母をよく支える優しい少年として見られながらも、その裡ではその正義感の裏付けを免罪符に、攻撃性が成長と共に増大しつつあった。
六歳の当時から、彼の中に一つの言葉が宿っていた。
〈僕がその場に居たら、犯人なんかやっつけてやったのに〉
父が火に巻かれる前に、火が付けられる前に……無論、そんな事は不可能だ。時間を遡る事は出来ないし、何より六歳の彼に何が出来ようか。
それでも、事件の捜査が進展しないどころか、忘れ去られていく内に、彼の子供特有の万能感から生じたこの言葉は、成長を続けたのだった。
呪文の様に、彼自身への呪いの様に。
そしていつしか、彼の欲求は〈放火犯を倒す〉という事に集約されていった。
母一人子一人となり、父を想って忍び泣いてきた母も、無念の儘火に斃れた父も、それを喜んでくれる――その思いに囚われる様になっていた。
しかし、ごく普通の商社に就職し、母が一人待つ家と会社の往復を繰り返すのみの彼がそんな現場に行き合わせる偶然など、そうそうある筈が無い。健康の為のジョギングと称しての夜の街の徘徊中にも。
そうやって当ても無く走る内、彼は自宅周辺の街路を知り尽くす様になっていた。放火の起こり易そうな所、ゴミ捨て場、更には不法投棄場所――そんな中には本来処理されるべき産業廃棄物さえも、無造作に打ち棄てられていた。
汚れた街だ――そんな思いが彼の眼を曇らせた。
そしてそんなゴミの中に、彼の眼の曇りさえ透過して飛び込んできた、取分けの赤。
火を消す為に作られた消火器。
火を消す為に現場に出掛け、帰って来なかった我が父――。
彼はそっと、抱き締める様にそれを手に取っていた。
「放火犯を、倒そう……」口に上った言葉は、もはや本来の正義感とは相容れない響きを帯びていた。彼はそれに気付かない。
その為ならば、何でもする――黒い火が、彼の眼に宿った。
その眼にはもう父母の笑顔しか視えず、その耳にはもう父母が彼を褒め称える声しか聞こえず、その心にはもう、余人は存在しなかった。
平ははっと、追憶から覚めた。
塀の際に置いた消火器に歩み寄る人影が一つ。
来た!――一呼吸置いて、人影が消火器に手を触れるのを待つ。
あくまで〈放火犯〉は奴なのだ、そう自分に言い聞かせる。奴が予告として消火器を置き、奴がこれから火を付けようとしていて……俺はそれを阻止しなければならない!
その思いに駆り立てられて、平は隠れていた路地から飛び出した。
毎日走り通してきた。体力、瞬発力には自信があった。
彼の気配を感じたか、振り返った男から消火器を掠め取り、それで殴り付ける――充分、可能だと、何度もイメージした事だ。
〈放火犯〉をこれでやっつけられる!
平は引き攣れた様な笑みを我知らぬ内に浮かべながら、凶器を手に取り、男に向かって振り下ろした。
だが、男の頭部を直撃した筈の消火器に手応えは無く、平はその重みに引き摺られる様にたたらを踏んだ。
避けられた、そう気付く間も無く凶器を持つ手に痛み――殴られたのだ。警棒で。
思わず消火器を取り落とし、ゆっくりと男を振り仰ぐ。
「事情を聞かせて貰おうか?」鋭い声が振ってきた。それと同時に周囲からも男と同種の空気を纏った気配が集まって来る。
自分が既に包囲されていた事に、平は初めて気付いた。
「父さん……」弱々しく呟き、彼は消火器を抱き締めた。
* * *
そんな経緯がバー〈リングワンデルング〉で椚巡査の口から語られたのは、聴取が進んだ数日後の事だった。
楡庵はいつもの様に守秘義務を口にしたが、やはりいつもの様に棗や瀧達が好奇心を露わにし、椚も渋らなかった。
「両親に褒めて貰いたいから……っすかぁ」平とは同年代の牧武が、郷里の家族を想ってか溜め息をつく。「歪んでるけど、解る気もするっす」
「とんだ馬鹿だがな」瀧の辛辣な物言いの中にも、僅かに湿っぽさが感じられた。「そんな事して喜ぶかよ」
だが本当に辛辣だったのは楡棗だった。やはり同年代だが、共感を覚える事は出来ない、と。
「親の心子知らずもいい所ですね」些か強張った声音は、刺さる様だった。
「棗……」客の前と嗜める様な、それでいて弟を気遣う様な、庵の声。
「だって、容疑者の父親は只火を消す為に行ったんじゃない――人を救う為に現場に向かって、人の生命を救おうとして亡くなったんでしょう? なのに容疑者はそれを奪おうとした。放火だってもしかしたら人が死んでたかも知れない。例え二十年前の犯人が見付かっても……殺人は親を裏切る事になる……。だから……」店名の入ったコースターを見据えた儘、棗は搾り出す様に想いを語る。「彼は何も解ってなかったんだ」
「そうだね……」ぽん、と背中を一つ叩いて、庵が宥める。「でも彼は道を違えてしまった……取り戻したくても取り戻せないものがある事を、受け容れられなかったんでしょう」
酷でも、受け容れなければならない事――そんな事もありますよね、と庵は微苦笑する。そして湿っぽくなった空気を取り繕う様に、事件解決の祝杯を一同に供した。
やがて閉店間際の帰り際、常連達も去った店内を振り返り、椚はいつもの習慣で防犯意識を説いた後、ぽつりと言った。
「悪かったな、楡」
掃除をしていた弟共々、一瞬動きを止めた後、庵は穏やかに微笑んだ。
「反省する位なら守秘義務を守るように」
「それは……」約束出来ない、と言う様に視線を上へと泳がせた。そこに看板の文字を見付けて、彼は溜め息をついた。「善処します」
「あ、椚さん」棗が先程の事は忘れた様な笑顔で言った。「相談料、ツケときましたから」
冗談ですよ、の言葉が出る迄、椚は喚き通した。
―了―
六歳の当時から、彼の中に一つの言葉が宿っていた。
〈僕がその場に居たら、犯人なんかやっつけてやったのに〉
父が火に巻かれる前に、火が付けられる前に……無論、そんな事は不可能だ。時間を遡る事は出来ないし、何より六歳の彼に何が出来ようか。
それでも、事件の捜査が進展しないどころか、忘れ去られていく内に、彼の子供特有の万能感から生じたこの言葉は、成長を続けたのだった。
呪文の様に、彼自身への呪いの様に。
そしていつしか、彼の欲求は〈放火犯を倒す〉という事に集約されていった。
母一人子一人となり、父を想って忍び泣いてきた母も、無念の儘火に斃れた父も、それを喜んでくれる――その思いに囚われる様になっていた。
しかし、ごく普通の商社に就職し、母が一人待つ家と会社の往復を繰り返すのみの彼がそんな現場に行き合わせる偶然など、そうそうある筈が無い。健康の為のジョギングと称しての夜の街の徘徊中にも。
そうやって当ても無く走る内、彼は自宅周辺の街路を知り尽くす様になっていた。放火の起こり易そうな所、ゴミ捨て場、更には不法投棄場所――そんな中には本来処理されるべき産業廃棄物さえも、無造作に打ち棄てられていた。
汚れた街だ――そんな思いが彼の眼を曇らせた。
そしてそんなゴミの中に、彼の眼の曇りさえ透過して飛び込んできた、取分けの赤。
火を消す為に作られた消火器。
火を消す為に現場に出掛け、帰って来なかった我が父――。
彼はそっと、抱き締める様にそれを手に取っていた。
「放火犯を、倒そう……」口に上った言葉は、もはや本来の正義感とは相容れない響きを帯びていた。彼はそれに気付かない。
その為ならば、何でもする――黒い火が、彼の眼に宿った。
その眼にはもう父母の笑顔しか視えず、その耳にはもう父母が彼を褒め称える声しか聞こえず、その心にはもう、余人は存在しなかった。
平ははっと、追憶から覚めた。
塀の際に置いた消火器に歩み寄る人影が一つ。
来た!――一呼吸置いて、人影が消火器に手を触れるのを待つ。
あくまで〈放火犯〉は奴なのだ、そう自分に言い聞かせる。奴が予告として消火器を置き、奴がこれから火を付けようとしていて……俺はそれを阻止しなければならない!
その思いに駆り立てられて、平は隠れていた路地から飛び出した。
毎日走り通してきた。体力、瞬発力には自信があった。
彼の気配を感じたか、振り返った男から消火器を掠め取り、それで殴り付ける――充分、可能だと、何度もイメージした事だ。
〈放火犯〉をこれでやっつけられる!
平は引き攣れた様な笑みを我知らぬ内に浮かべながら、凶器を手に取り、男に向かって振り下ろした。
だが、男の頭部を直撃した筈の消火器に手応えは無く、平はその重みに引き摺られる様にたたらを踏んだ。
避けられた、そう気付く間も無く凶器を持つ手に痛み――殴られたのだ。警棒で。
思わず消火器を取り落とし、ゆっくりと男を振り仰ぐ。
「事情を聞かせて貰おうか?」鋭い声が振ってきた。それと同時に周囲からも男と同種の空気を纏った気配が集まって来る。
自分が既に包囲されていた事に、平は初めて気付いた。
「父さん……」弱々しく呟き、彼は消火器を抱き締めた。
* * *
そんな経緯がバー〈リングワンデルング〉で椚巡査の口から語られたのは、聴取が進んだ数日後の事だった。
楡庵はいつもの様に守秘義務を口にしたが、やはりいつもの様に棗や瀧達が好奇心を露わにし、椚も渋らなかった。
「両親に褒めて貰いたいから……っすかぁ」平とは同年代の牧武が、郷里の家族を想ってか溜め息をつく。「歪んでるけど、解る気もするっす」
「とんだ馬鹿だがな」瀧の辛辣な物言いの中にも、僅かに湿っぽさが感じられた。「そんな事して喜ぶかよ」
だが本当に辛辣だったのは楡棗だった。やはり同年代だが、共感を覚える事は出来ない、と。
「親の心子知らずもいい所ですね」些か強張った声音は、刺さる様だった。
「棗……」客の前と嗜める様な、それでいて弟を気遣う様な、庵の声。
「だって、容疑者の父親は只火を消す為に行ったんじゃない――人を救う為に現場に向かって、人の生命を救おうとして亡くなったんでしょう? なのに容疑者はそれを奪おうとした。放火だってもしかしたら人が死んでたかも知れない。例え二十年前の犯人が見付かっても……殺人は親を裏切る事になる……。だから……」店名の入ったコースターを見据えた儘、棗は搾り出す様に想いを語る。「彼は何も解ってなかったんだ」
「そうだね……」ぽん、と背中を一つ叩いて、庵が宥める。「でも彼は道を違えてしまった……取り戻したくても取り戻せないものがある事を、受け容れられなかったんでしょう」
酷でも、受け容れなければならない事――そんな事もありますよね、と庵は微苦笑する。そして湿っぽくなった空気を取り繕う様に、事件解決の祝杯を一同に供した。
やがて閉店間際の帰り際、常連達も去った店内を振り返り、椚はいつもの習慣で防犯意識を説いた後、ぽつりと言った。
「悪かったな、楡」
掃除をしていた弟共々、一瞬動きを止めた後、庵は穏やかに微笑んだ。
「反省する位なら守秘義務を守るように」
「それは……」約束出来ない、と言う様に視線を上へと泳がせた。そこに看板の文字を見付けて、彼は溜め息をついた。「善処します」
「あ、椚さん」棗が先程の事は忘れた様な笑顔で言った。「相談料、ツケときましたから」
冗談ですよ、の言葉が出る迄、椚は喚き通した。
―了―
PR
この記事にコメントする
よかったです~
わ~い☆
続編書いてくださったんですね。
知りたかったから、っていうのもあるけど、
今までの中で一番良かったです。
放火なんてしないけど、私は犯人の気持ちわかります。涙でそうになったよ・・・。
巽さん、ありがとうm(__)m
続編書いてくださったんですね。
知りたかったから、っていうのもあるけど、
今までの中で一番良かったです。
放火なんてしないけど、私は犯人の気持ちわかります。涙でそうになったよ・・・。
巽さん、ありがとうm(__)m
Re:よかったです~
こちらこそ有難うございます~(^^)
犯人は正義感が強過ぎて、真っ直ぐなキャラ、という感じにしてみました。
喜んで頂けて何よりです♪
急遽でしたがシリーズ的にも、面白いテーマになったかも。
犯人は正義感が強過ぎて、真っ直ぐなキャラ、という感じにしてみました。
喜んで頂けて何よりです♪
急遽でしたがシリーズ的にも、面白いテーマになったかも。
これは
まったくのオリジナル小説なのに、書くのが早いですね~
素晴らしいです。
見習わなきゃねf^_^;
ぷんさん
長らく名前を書くときに、ぷんさんをぶんさんと間違えてしまいました。
大変失礼しました。ごめんなさいm(__)m
素晴らしいです。
見習わなきゃねf^_^;
ぷんさん
長らく名前を書くときに、ぷんさんをぶんさんと間違えてしまいました。
大変失礼しました。ごめんなさいm(__)m
Re:これは
そう言えばこのシリーズで掲示板からの再録じゃないのは、初めてですな。
寝ながら骨格考えて、後はだーっと書いてしまいますねん。
寝ながら骨格考えて、後はだーっと書いてしまいますねん。
Re:新たな謎が…
姐さん……(--;)
まぁ、棗はああ言わざるを得んでしょう。(庵は思ってても店では言わないけど)
まぁ、棗はああ言わざるを得んでしょう。(庵は思ってても店では言わないけど)
Re:正義感
そうですね。
陰陽説等では「陽極まれば陰に転ず」とも申します。
正義も悪無くしては成り立たず、光も闇無くしては際立たず……。逆もまた真なり。
故に対の敵を求めるのやも……?
陰陽説等では「陽極まれば陰に転ず」とも申します。
正義も悪無くしては成り立たず、光も闇無くしては際立たず……。逆もまた真なり。
故に対の敵を求めるのやも……?
Re:無題
有難うございます(^^)
どんな犯人か気になる! という事で急遽背景のイメージを固め、仕立ててみました☆
どんな犯人か気になる! という事で急遽背景のイメージを固め、仕立ててみました☆