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――未だ中学生位の頃だったろうか。楡棗は兄の庵と共に一冊の本を前にして首を捻っていた。
『五十円玉二十枚の謎』を前に。
毎週土曜日の夕方、某書店に両替だけに訪れる男。然も決まって五十円玉二十枚を千円札に、やけに急いだ風に替えて行く。理由は一体……?
庵は〈同じ店でやるメリット〉に拘って考えた。
「一体何がしたいんだろうね? この中年男」と棗。
「……何かしたいのは別の人かも……」
「どういう事!? 兄さん」棗の目が猫の様に丸くなる。「別の人って誰!?」
「それは解らないけれどね」庵は苦笑した。「この男は店員の目を自分に集中させる為に、こんな事をしてたんじゃないかと思ったんだ。手品師が態と目に付くそぶりで客の目を欺く様に」
「店員の目を……?」
「話の中では余り他の店員の事とか、書かれてなかったけど……。暇な時の噂話の種位にはなってたと思うよ? で、噂通りの人が毎週同じ頃にやって来る。そして相変わらず理由の解らない行動を繰り返す――予め話を聞いていた他の店員達は、その行動の意味を推し量ろうとする――今の僕達みたいにね。主任が詮索するなと言ったのは彼女に対してだけじゃなかったのかも……。だけど、男は急いだ様子で、店員としては訊き難い雰囲気だよね。でも気になるからってつい観察してると……他の場所は……?」
「店員の目が及ばない」
「その状況を狙ってる人がいるんじゃないかって思うんだよ。僕は」
「詰まり……店員に見られたくない……万引き犯とか?」棗は眉を顰める。
「それは真っ先に考えたけど……店員の目だけ逸らせても、他の客の目があるよね?」
「他の客も……」言い掛けた棗だったが、直ぐに気付く。いつも居る店員と違い、客は一見の者も含むのだ。彼らにとっては男は只の人。
人目を引く容貌でもなく特徴も薄い。同じ事を繰り返す彼が奇異な存在と映るのは、やはり同じ場で日々を繰り返す店員の目だけだ。
「じゃあ、一体……? 店員の目だけを逸らせればいい、でも店員には見られたくない状況って……?」
「噂になりたくなかったのかもね」
「噂……それが耳に入っちゃ拙い人が居るって事? だから別に噂の種を提供する事で、自分は店員の目から逃れた、と」
庵は頷く。
「そうすると……」棗は続けた。「その誰かは書店の関係者? 両替男と違って身元が判ってしまうから、噂されたくないんだろうし……」
「可能性はあるよね。客にとっては一店員、でも内部では一個人……」
「ね、一人怪しい人が」
兄弟は声を揃えた。
『主任?』
――そんな兄とのやり取りをまざまざと思い出したのは、今目にした初老の男の所為だ。レジで五十円玉二十枚を両替して出て行った男。
店員の目はその背を追ったが、棗は手品師の用意した囮を無視した。
店内に怪しい者は……。
見付けたのは怪しいと言うよりも……どこか憂いを秘めた光景だった。
二十代前半だろうか、清楚な装いの女と、五十絡みの男――売り場の主任の様だ――の姿。
人目を気にしつつも彼女は封筒らしき物を渡し――直ぐにどちらからともなく視線を外し、女性は何も無かったかの様に店を出て行く。
「ええと……」棗は暫し立ち尽くす。先ず浮かんだのは年齢差のあり過ぎる恋人達だったが……どこか違う気がする。あの雰囲気は……。
棗は本を探して貰う振りで主任に話し掛けた。どうすれば他の店員にばれないかと気遣いつつ。
「さっきの人、毎週来ますよね?」
「……お気付きでしたか」一瞬、目が泳ぐ主任。だが〈さっきの人〉を両替男と判断した様で落ち着いた顔で仕事を続ける。
「あの人……親子ですか? 藪さんと」名札を読み取って、棗は上目遣いに顔色を窺う。
ここに至り、棗が言うのが両替男ではなく先の女性の事だと藪は気付いた様子で思わず一瞬、大きく息を呑む。
同時に棗も確信する。女性が彼の娘だと。そして公に会えない理由があるのだと。
藪は一旦自嘲的に笑い「元……です」と言った。
後日、楡兄弟のバーを訪れた藪は、彼女は昔別れた妻に引き取られた娘だと語った。
彼女は父に会いたいと祖父にせがみ、彼は仕方なく週一回の約束で書店に連れて来ていた――内緒で手紙を渡しに。店員が五十円玉二十枚を数える間だけ、と。
いつしか来る事も無くなったが……先日彼女に渡された封筒には結婚式の招待状。
もう両替男は現れない――楡兄弟は微笑んで、祝杯を供した。
―了―
因みに『50円玉20枚の謎』(創元推理文庫刊)という本は実在します(笑)
もう大分前の事ですが、とある作家さんが本屋でバイト中に毎週50円玉20枚を千円札に両替して行く男性に遭遇し、結局それが謎の儘だったという事で、作家さん仲間+一般公募で解決編を募集してたんですよ。
私は当時は書いてなかったんですが……シンさんも考えてみませんか? 新米君大活躍の巻とか(爆)
あ、忙しかったら無理にとは言いませんが(でも楽しみにしてたり・笑)