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クリスマスの予定は?――そう友人に訊かれて、江里子は反射的に頬を膨らませた。
「何かなくちゃいけないの?」と。
ここ数年、この時期は誰も彼も会う毎にこの話題になる。クリスマスなんて祭日の翌々日。只の平日じゃないの、と江里子は思う。
「別になきゃいけないって事はないけど……」思い掛けない反応に途惑いながら、友人は曖昧に笑う。「ほら、やっぱり何かないと……寂しいじゃない?」
「別に」心底、きっぱりと、江里子は答えた。「クリスチャンでもないし、特にパーティー好きでもないし」
「江里子に訊いたのが間違いだったわ」友人は肩を竦めてそう言った。
それに関しては江里子も同意だった。
「考えてみたら、江里子の家は代々続く神社だものね。やっぱりクリスマスなんてお祝いしないものなの?」
「神主の家でも、こんなのはイベントだから関係ないって家もあるみたいだけど、うちにはツリーも無いわよ」
「はぁ……。小さい頃からそうだから、周りが騒いでても気にならないのかな」
「それもあるけど……」言い掛けて、江里子は口籠った。
「あるけど、何?」
「なんでもない」と江里子は誤魔化した。
数日後に控えたクリスマスに胸を躍らせている友人に、おかしな話はしたくなかったのだ。
幼稚園の頃、江里子は初めてツリーの飾り付けに参加した。
七夕飾りは作った事があったけれど、それらとは違うオーナメントはきらきら光り、電飾はピカピカと点滅し、子供心を擽った。そう、その頃は江里子も初めてのクリスマス会を楽しみにする、ごく普通の子供だったのだ。
けれど、その飾り付けをやっている間、幼稚園では不可解な事が起こった。
どれだけ皆で飾り付けを頑張っても、翌日登園すると、飾りは全て外れてツリーの周りに散らばっているのだ。
園長を含め先生達は皆一様に不審げな顔で夜間の警備状態を検め、中には泊り込み迄した先生も居た。だが、その誰もが不審者や異常を感知する事はなく、しかしやはり翌朝、飾りは落ちているのだった。
幾ら飾り付けても完成しないツリーに、中には泣き出す子供も居て、江里子は丸で賽の河原みたいだと思ったものだった。親に先立った子供達が積む石を、無情にも鬼達が崩してしまう――そんな鬼が此処にも居るのだろうか?
そんな状態でクリスマス迄後二日程と迫った日、もう何度目かの飾り付けを終えて帰宅した江里子は幼稚園に忘れ物をした事に気が付いた。近いのをいい事に一人、取りに戻った。
そして園児が居なくなった教室で、彼女は見てしまったのだった。
担任の先生が、飾りを外しているのを。
何で? 何で先生がそんな事してるの?――そう問い詰めた江里子に、担任は俯きながら答えた。
これが終わってしまうと、自分にはクリスマスの予定が何も無くなってしまう、と。もし、終わらなければ自分達職員が残ってでも仕上げる事になるのだと。冷め掛けた恋人ともクリスマスを過ごせないのも、仕事の所為だと、誰よりも自分自身に、言い訳出来るから、と。
「この歳になって、たった一人のクリスマスは、寂しいものよ……?」三十代半ばの担任はそう言って寂しそうに笑った。
本当に予定がなかったら、あたしが遊んであげるから――生意気にもそんな事を言って、その後、飾り付けを手伝ったのを覚えている。先生が言う寂しさと、幼稚園児の寂しさとは、ちょっと違っただろうと、今では解るけれど。
「予定が無い位で大の大人が――って言うか、大人の方が――馬鹿な真似しちゃうなんて、クリスマスっておかしな日よね」江里子のそんな呟きは友人には聞こえなかった様だった。
そもそも――年末年始の書き入れ時を控えて忙しい神社の娘、江里子のスケジュール帳は、既に真っ黒だった。
―了―
えと……ご予定は?(^^;)
でも、大人だからこその寂しさもある訳で。
賽の河原……どっちかと言うと仏教系だったかな? あれ?(・・;)
12月25日が父方の祖母の誕生日だったこともあり、北海道時代は私の誕生日(12月半ば)と祖母の誕生日とクリスマスを全部25日(もしくは25日に一番近い日曜日)にまとめてやってました(笑)。
だから、誕生日ケーキも当然クリスマスケーキなのでクリスマス飾りがのっかってるという。
今年の予定?
……いや、なんにもないです(笑)。
私も三月の雛祭りが近いもので、誕生日ケーキと言えば菱形でお雛様が乗っかってました(^^;)
まぁ、現実なんてそんなもんだ(笑)
一神教VS多神教も面白そうですね。何を後から来てでかい顔しとるんじゃ~、みたいな(←おい)
別にクリスマスだからって、デートなんかしなくたっていいじゃんねぇ(笑)
元々は家族で静かにお祝いするもんだろうし。