『創立祭の夜』

　今日疋田（ひきた）は、チェックインしたが創立祭には参加しなかった。
　それが気になって、私はホテルの従業員を伴って彼の宿泊する部屋へと赴いた。
　会社の創立六〇年。一つの節目という事でホテルの大広間を借り切っての大々的な催しだった。遠方の支社ながら重要なポストに居る彼も、当然参加するものと思われていたし、実際、調べて貰えば昼にはチェックインしている。なのに晩から始まったイベントには、一切姿を見せなかったのだ。こういった席での根回しで、出世競争を勝ち上がった様な男だと言うのに。
　既に二次会も終わって時計の針は深夜一時を差している。
　具合でも悪くなって出られなかったのだろうか。彼は一箇月程前、入院した事があるだけに心配だ。それでも一言位はあって然るべきだが。
　ポストに開きは付いたものの、彼とは同期入社。心配位はしてもいい。
　一五〇五号室――疋田の部屋に着くと、先ずは従業員が控え目にノックし「疋田様」と呼び掛けた。
　返事は無い。私は彼と顔を見合わせると、ちょっと強めにノックしつつ、更に呼び掛けてみる。それでも、返答は無かった。
　具合を悪くして倒れている疋田――そんな想像が脳裏を過ぎる。私は従業員に解錠を頼んだ。同じ事を思ったらしい彼も、素早くそれに応じる。
　そして、私達二人は疋田の遺体を発見したのだった。

　疋田が事切れているのはドアからの一瞥で判った。何しろ、仰向けに倒れた彼の胸には痩せて浮き出た肋骨の隙間を正確に射抜く様にナイフが刺さり、周囲の絨毯には血の染みが広がっている。あの分では心臓を一撃――即死だっただろう。
　慌てて部屋の電話からフロントに連絡しようとした従業員に、室内の物に触るなと一喝して携帯電話を貸して警察へ通報させる。冷たい様だが、彼には最早救急車は間に合わない。
　次いで社の人間でホテルに残っている者には大広間への移動、帰宅した者の割り出しを呼び掛ける。少なくとも私は疋田を見ていなかったが、誰かが目撃しているかも知れない。
　その最後に会った人物が――社の人間が犯人でなければいいがと思いつつ、物取りにしては部屋が荒らされた様子が無い事、オートロックの部屋の真ん中で疋田が倒れている事、それらは私に望まぬ想像を強（し）いた。

　やがて到着した警察からの説明によると、死亡推定時刻は午後六時半から八時半頃。発見迄に間が掛かった為、それだけの開きがあるのだと言う。だが、少なくとも創立祭が始まる午後七時半前には、彼は死んでいたのではないかと思う。彼があんな席に遅刻するとは思えなかったし、実際遺体は未だ寛いだ格好をしていた。私は推定時刻を午後六時半から七時過ぎ迄と見積もった。疋田は体面に気を遣う男だった。私達の前に出るのには、この後、相当の時間を要したろう。
　その時間ならこのホテルに一番近い本社の人間は各々の仕事を終えて、意気揚々と、あるいは面倒臭そうに此処への移動を開始していた頃だ。参加者の殆どを占める彼等は、ほぼ除外していいだろう。第一、例え部屋を訪ねられたからと言って本社の人間をこんな寛いだ姿で迎え入れる男ではない。急いで支度を整え、恭しく迎えた事だろう。
　そして大広間に集められた者の中にも、帰宅者の中にも、彼の姿を見たと申し出る者は居なかった。
　さて、そうすると残るはいきなり少人数となる。
　疋田同様、支社の重要ポストの人間達。それも遠方の者四人が、このホテルに宿を取っていた。

　その四人のそれぞれが、何らかの形で疋田とは面識を持っていた。
　かつて共に本社に居た時にライバル関係だった安田。
　同期入社でいつも卑屈な目で彼に媚びへつらっていた野坂。
　一時は彼と付き合っていたという噂もあった宮脇女史。
　そして本社時代から疋田とは釣り仲間だった清水。
　いずれも本社勤務の際に疋田と知り合い、三年前の配置換えで本社を去った者達だった。栄転組と左遷組、そんな違いはあったが。
　私は伝（つて）を辿り辿って、警察が聞き込んだ彼等の証言を手に入れた。
　四冊のファイルの内一冊を、見る迄もないとその儘突き返す。そして残る三冊を、読み始めた。

〈Ｆｉｌｅ．1　清水〉
「疋田とは会っていません。久し振りだから、とは思ったのですが……。実は二箇月程前に釣りの事で詰まらない喧嘩をしてしまいまして、気まずかったんです。細かい理由ですか？　子供みたいな理由でお恥ずかしいんですが、あいつは自慢屋でしてね。新しく買った特注ベストがどうと、あのでかい腹を突き出して見せびらかすもので……。そんな、釣りに行くにも服装に拘る様な見栄っ張りですが、基本的にはいい奴なんで、話し合いたいとは思ってたんです。創立祭の会場で会ったら酒の勢いもかって思い切って話を、と思っていたんですが、こんな事になってしまって……。残念です。気にしていた体格なんてからかうんじゃなかったですよ」

〈Ｆｉｌｅ．2　宮脇〉
「彼との事は本社を出る時に終わっています。お互いに自分の会社でのポストを取ったというだけの事です。彼は私に付いては来なかったし、私が彼に付いて行くには辞令を断り……会社を辞めなければなりませんでしたからね。彼の将来の姿を想像して……私には彼の奥方以上に今のポストが魅力的に映ったんです。彼は自己管理の出来ない人でしたし――特に食に関して。その判断は今でも間違ったとは思っていません。ですから彼に未練はありませんし、彼の部屋を訪ねようなんて考えもしませんでした。それは、会場で会えば昔話位はしたでしょうけれど。想像が当たっていたか、少しだけ会うのが楽しみではあったけれどね。もう、会えないのか……」

〈Ｆｉｌｅ．3　野坂〉
「疋田さんには本社時代、何かとお世話になってましたよ。仮にも支店長に納まる事が出来たのも、彼のお陰だと思っています。ま、疋田さんには今でも私なんて、小者ですがね。ですから一度、彼の部屋を訪ねたんですよ。ところがノックしても返事は無いし、ドアノブを回しても鍵が掛かっているでしょう？　何処かへ出掛けたものだと思って、挨拶は会場でいいかと引き下がったんですよ。ええと、確か私がこちらに着いて直ぐ――七時頃でしたかね。そう、自分の部屋へ荷物を置いて直ぐでした。けど、時間も無かったもので、一旦部屋に戻りました。もしかして、私があの時おかしいと思って鍵を開けて貰っていたら、疋田さんは未だ……あ、即死だったんですか？　じゃ、どちらにしても間に合わなかったんですね。私があの痩せぎすの死体を見付けるだけ損か……」　

　私はそれぞれを熟読した後、一冊を取り出した。
　このホテルは全室オートロック――無論、疋田の部屋も。そして疋田は部屋の真ん中に即死状態で倒れていた。当然本人が移動した跡も、そして犯人が引き摺った跡も無かった。ならば彼が開けた途端に刺されたとは考えられない。
　犯人は疋田に招き入れられ、入室した。そして、彼の胸を刺した。
　一箇月前の入院治療の原因となった病で急激に痩せ衰えた裸の胸を。
　そう、死体発見時、疋田はシャワーを浴びた後だった様で、上半身裸だった。それだけに肋骨が窺える程に痩せさらばえた身体に突き立ったナイフが痛々しかった。
　あの見栄っ張りで人目を気にする彼が、痩せ衰えた身体をかつてのライバルの前に晒す訳が無い。そして男の見栄も加わって、彼を振った女性には尚の事だろう。詰まり、例え安田や宮脇が部屋を訪ねたとしても、彼があの様な格好で迎える事はあり得ない。
　そして喧嘩別れした釣り仲間も含めて、彼等は疋田の激変の事は知らずにいた。
　只一人「痩せぎすの死体」と口にした野坂を除いては。
　彼は喋り過ぎた。ドアノブを触った事も、万が一触ってはいなかったろうかと不安になったのかも知れないが、オートロックと知っているドアのノブを回してみる馬鹿は居ない。
　野坂は世話になったと言ったが、疋田には小者扱いされていた。今でも、見栄を張る価値も無い相手と判断される程に。その鬱屈が溜まったのか……。
　私は重い溜め息をついた。
　内部犯と悟った時に覚悟した事が頭を過ぎる。何、私は疋田と同期――未だ若いのだ。そう思えば覚悟も少し、軽くなる。
　私は警官と、野坂を呼ぶように命じた。
　そして淡々とこれらの推理を話した後、項垂れた野坂と共に警官に頭を下げた。

　本社社長たるもの、従業員の不始末は自分の不始末――創立祭は三代目社長たる私の引退を決める日と相成った。気に入って長期滞在し、会場にも選択したこのホテルも、チェックアウトする時が来た様だ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

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　よ～ぎ～り～。頼むで、ほんま（－－；）
　もうちょっと繋げ易い投稿してんか☆