[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
勝巳は、予てから見学したいなぁ、と望んでいたとある古民家を前に、目を輝かせていた。
黒く重々しい瓦に白い土壁の落ち着いた佇まい。玄関の格子戸が仄かに影を落とす、土間。上がり框はバリアフリーとは対極を成す様に、高い。
築百年は超えると言う民家は、それに相応しい風格をもって、彼の前に建っていた。
幼い頃から似たり寄ったりの集合住宅住まいだった勝巳には、それらはとても新鮮で、魅力的に感じられた。建築科に在籍する学生としては見逃してはならないと、今では人は住んでいないというその民家の所有者を捜し、見学を申し入れてしまう程に。
「では、私は此処でお待ちしておりますから……」
鍵を持って此処迄同道してくれた、現所有者の孫娘は、しかし玄関でそう言って腰を折った。二十代前半と見えるが、その年頃にしては穏やかで礼儀正しい女性だった。
「え? でも、俺……いや、僕一人で御宅にお邪魔するのも……」勝巳は途惑った。「その……疚しい事をする心算は全くないんですが、やはりその……」
許可を得ているとは言え、他人の家に一人で入るというのは落ち着かない。
「ああ……」得心入った様に頷きながらも、女性はやはり、脚を止めた儘だった。「もう家の中には家具も殆どありませんので……。ある物もかなり古い物ばかり。こんな所で宜しければ、どうぞのんびりと見て行って下さい」
「は、はぁ……」女性の笑顔に送り出され、調子が狂うなと思いながらも勝巳は玄関に向かった。
と、それを女性が呼び止めた。
「あ、済みません。言い忘れておりました。北の角の板戸の部屋だけは、開きませんので」
「開かない?」振り返り、勝巳は首を傾げた。
「開かずの間、なんですよ」そう言って微笑む女性の顔が、僅かに強張っている様に見えた。「では……ごゆっくりと。お気を付けて」
気を付けて、なんて言われたら気になるじゃないか――ぶつぶつぼやきながらも、勝巳は玄関を潜った。
古い埃と土壁の臭いが、鼻につく。が、中は思いの外、汚れていない。住まなくなって数年は経つらしいが、時折手は入れているのだろう。
炊事の煙に燻され黒光りする梁。磨き込まれた柱。褪せて擦り切れた畳。
障子に所々、僅かに桃色を帯びた和紙の花が咲いている。よくよく見れば、破れた所を両側から五弁の花形の紙で塞いだものらしい。元の住人の遊び心が生かされている様で、勝巳はふっと微笑んだ。
こういった工夫をする余地が、型通りに造られた今の家には少ないかも知れない。
そうした感慨に耽っていた勝巳だったが、表に女性を待たせている事を思い出し、はっと時計に目をやった。ごゆっくりと言われても、やはり待たれていては落ち着けないではないか。それでも手早く写真を撮り、要所要所ではメモを取り、勝巳はその古民家に残された昔ながらの技術と美術的な価値とに、感嘆したのだった。
そしてそろそろ……と玄関に向かい掛けた時、ふと、女性の言葉が脳裏に蘇った。
『開かずの間、なんですよ』
古民家に開かずの間、出来過ぎた話だ。本当にそんなものがあるのだろうか。
勝巳の足は自然、北の角部屋へと向かった。
障子ではない板の引き戸は、丸で彼を拒むかの様にそこにあった。
しかし、鍵が掛かっている訳でも、板が打ち付けられている訳でもない。
なのに、開かない?――疑惑に軽く眉根を寄せながら、克己は戸に手を掛けた。敷居の上を滑らせようとしたが、かつん、と何かに阻まれた様な感触があり、戸は動かなかった。
向こう側――部屋の中につっかえ棒になる様な物が何かあるのだろうか?
隙間がないかと、勝巳は目を凝らすが、戸はぴったりと戸口を封じている。戸板を外して見る事は可能かも知れないが、流石に他人の家を見学させて貰っている身、許可なく荒っぽい手段は使いたくない。
と、人の声がした様な気がした。
一瞬、彼女が待ち草臥れて入って来たのかと思ったが、どうも方向が違う。玄関からこちらに向かう方角ではなく、この板戸の向こうから……。
人が居る!?――真逆と、勝巳は耳を疑った。もう人は住んでいないと、確かに彼女は言っていた。よもや不法侵入者だろうか。しかし、選りによって『開かずの間』に?
未だ、声は漏れ聞こえてくる。ぼそぼそとした声で、何と言っているのかは解らない。誰か居るのだとしたら、勝巳によって戸が開けられようとした事に気付いているのだろうか。だが、慌てた様子も、出て来る様子も感じられない。
ぼそぼそ、ぼそぼそ……声は続く。
何と言っているのだろう?――勝巳は引き寄せられる様に、戸に右耳を近付けた。
その途端だった。
「こっちに来るかい?」
そのはっきりとした声は、左側から聞こえた。
全くの不意打ちに慌てて振り返った勝巳の背後で、戸が、消えた。敷居の上を滑った気配はなく、消えたとしか言い様のない、突然の消失感。
声のした方に何者の姿も見出せず、また突然の開かずの間の開放に途惑う勝巳の肩を、何ものかが掴んだ。その手、そして指はは白く、細く、血の気がなく――勝巳は訳の解らない事を叫びながらどうにかそれを撥ね退け、廊下を一目散に駆け出した。
* * *
「大丈夫ですか?」玄関から転がり出て来た勝巳に、女性は心配げにそう尋ねた。
その姿に、どうにか家から出て来たのだと、ほっと息をつく。
「あの……開かずの間が、声がして、その……開いて……」からからに渇いた喉で、つっかえながらも勝巳は訴えた。「し、白い手が……!」
「開いたんですか?」女性は目を丸くした。「よくご無事で……」
「あ、あれは何なんですか!? 貴女は何か知ってるんですか!?」
「私にもよく解らないのですが……」おっとりと首を傾げつつ、女性は言った。「何でも道――あちらのものだけが通る道――が通っているらしくて、もうずっと……あちらからしか開かないのです。滅多に開く事はないのですが……。兎も角、ご無事でよかったですわ」
将来、この経験を生かして、本当に建築家になれたなら――勝巳は思った――霊道だけは避けるべし、と。
彼岸を見学するには、未だ未だ早過ぎる。
―了―
こっちに来るかい?――謹んでご遠慮申し上げたく……m(_ _;)m
取り敢えず君子危うきに近寄らず、で(^^;)
ありす出すと世の中の開かずの間は殆ど無くなりそう(^^;)
「入りたいの? じゃ、これあげるわ。どうするかは貴方次第だけど」とか言って。当然、その後は自己責任でお願いします(笑)
と言うか、ご招待されても困る★