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忘れ物を思い出して訪れた駅は、皓々と灯を点してはいたものの、窓口はカーテンが下ろされ、ひっそりと静まっていた。
改札にも待合室にも人の姿は無く、動く物は只、蛍光灯の灯に引き寄せられる蛾の羽ばたきのみ。
朝夕の、田舎駅ながらもそれなりの喧騒との差に一瞬途惑ったものの、八時以降は無人駅になる事を思い出した。経費節減、という奴だ。何年か前に公布されたその時のポスターが、色褪せて剥がれそうになりながらも、未だに掲示板に貼られている。
勿論電車は未だ運行しているけれど、それも此処に停車するのは一時間に二本程度。急行以上は只轟音を残して通り過ぎるだけだ。
どうやら、そのぽっかり空いた時間に、来てしまったらしい。
家から二十分の最寄り駅ではあるけれど、高校の部活にも入らず、陽も落ちた田舎道を嫌う私はこんな時間に来る事は先ず、なかった。
声を掛ける相手も無く、私は開いた儘の改札口を通ってホームに入った。自動改札なんて未だ当分、此処には導入されそうにない。
夕方の帰宅時に友人達とお喋りをしていて、うっかり学校で貰ったパンフレット入りの小さなバッグを置き忘れたと思しき、自販機傍のベンチを捜してみる。
「無い……」ベンチの上下、壁との隙間、辺りを捜し尽くして、私は茫然としながら屈めていた背を伸ばした。「誰か拾って行ったのかな……? 駅員さんに届けてくれたのかも……」
カーテンの閉まった窓口に、自然と目が向く。駅員室の灯が落ちているのはカーテン越しでも判る。
駅に人の気配は、全く無い。
気付いて直ぐに電話するべきだった――確かそれが八時前だったのにと、臍を噛んだが当然遅い。せめて電話の一本も入れておけば、バッグが駅に届いているかどうかだけでも判ったのに。
バッグには特に名前や連絡先の判る物は無かったから、駅員さんだって気を利かせて知らせてくれる訳にも行かなかったのだろう。
「参ったなぁ……」私は肩を落としつつ、改札口に向かった。パンフレット以外、貴重品等は入れていなかったし、そんな物を拾ったからと盗って行く人が居るとも思えない。きっと窓口に届けられているとは思うのだけれど。それがはっきりしないのは、やはりどこか不安だった。
と――。
不意に横合いから掛かった声に、私は飛び上がらんばかりに驚いた。我知らず、表記し難い声が喉から漏れた。
見れば改札口の横に、改札鋏を手にした制服姿の駅員さんが一人。
え?――と思って窓口を見遣っても、やはりカーテンが下り、灯も無い。第一、今の今迄、人の気配なんてなかったのに!
それに、殆ど毎日利用する小さな駅の事、駅員さんとは顔見知りなのだけれど、今此処に居るのは見た事もない人だった。制服や制帽のデザインもどこか、違う気がする。少し、古風と言うか……。改札鋏も、どこか違う気がする。
「切符を拝見致します」彼はもう一度そう言うと、鋏をカチリと鳴らした。
そうだ、いつもの駅員さんが持っているのはスタンプになっていて、あんな音はしない筈。今彼が持っているのは切符に鋏痕を刻む為の、昔ながらの改札鋏だ。
「あ……ええと、済みません、私、忘れ物をしてしまって……。誰も居ないと思ったからホームに入っちゃって……」最初の驚きから疑惑へと、激しくなる鼓動を抑えつつ、私は言った。
だって、駅員の格好をしているとは言っても、本来無人の時間に、見た事もない人、そしてどこか古めかしい制服に鋏。もしかして、鉄道マニアの危ない人かも知れない。夜間無人駅なのをいい事に、何処からか手に入れた旧型の制服一式を纏って駅員の振りをしているのではないか?
彼は私の想像を知ってか知らずか、ゆっくりと首を傾げた。
「忘れ物? 困りますね、そうだとしても勝手にホームに入られては」
「す、済みません」私は素直に、そして怯ず怯ずと頭を下げる。もし危ない人だったら、下手に刺激しない方がいい。駅員ごっこをしているのなら、それに付き合って、隙を見て逃げ出そう。
「それで、見付かったんですか? お忘れ物は」
「いえ、それが……忘れた筈の所には無くて。もしかして、窓口に届いてないかと……」
「ああ、では見てみましょうか」彼はそう言って、駅員室のドアに向かった。無造作にドアノブに手を伸ばし、手首を捻る。
ガチリ。
冷たい音を立てて、ノブは回る事を拒否した。
しまった!――瞬間、私は拙い事になったと思った。彼が本物の駅員でないのなら、駅員室の鍵を持っている筈がない。詰まり、鍵を持っていない事は彼が偽者だという証明でもあり……それを私に見られてしまった彼がどう出るか……!
「……おかしいですねぇ」早鐘を打つ私の鼓動とは正反対にゆっくりと、彼は言う。「鍵が掛かっているなんて……。ちょっと待って下さいね。鍵は……と」
ごそごそ、ポケットを掻き回している彼から視線を外さない儘、私は改札口を摺り抜けた。走り出したい衝動に駆られつつ、じりじりと距離を稼ぐ。表には乗って来た自転車が停めてある。あれに乗ってしまえば大丈夫。追い付かれやしない。でも、それ迄に追い付かれてしまっては……。
彼はあったあったと鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとしてまたも拒否される――その光景を目にして、堪らず私は駆け出した。
「おかしいなぁ……。あれ、お客様? どうされました?」
その声は、意外に近くに聞こえ――思わず顔を上げた私は、直ぐ隣に居る彼の姿に、悲鳴を上げたのだった。
「どうしたんですか? お客様?」
訝しそうに、しかし鋏を片手に近付いて来る彼に、私は思わず傍らの掲示板に貼られていたポスターを引っぺがして叩き付けた。
「誰なのよ、貴方!? 此処は夜間は無人駅なのよ? 駅員なんて居ない筈なのよ? なのに……なのに、何なのよ!?」
緊張と恐怖から私が投げ付けた言葉。そして夜間無人化の告知のポスター。
それらを受け止めるかの様にじっと、ポスターを見詰めていた彼は、不意に、涙を零した。
「そう……でした。私はもう……」俯き、彼は言った。「済みません。少し……寂しかっただけなんです」
その言葉を残し――彼はその姿を薄れさせ、茫然と見守る私の前から、消え失せてしまった。
「嘘……」次の電車が来る迄、たっぷり十分間、私はその場に立ち尽くしていた。
翌日、忘れ物の件を尋ねる為もあって訪れた駅員室で、私は顔見知りで年配の駅員さんに昨夜の話をした。
制服や制帽の、実際との違いを説明していると、駅員さんはふと、懐かしそうな顔をした。それは夜間無人化よりもずっと前に、実際に使用されていたものだと。制服なんて同じ様でも幾度か細かいデザインの変更があったのだそうだ。
そしてその頃の写真を見せてくれたのだけれど――その集合写真の一枚に、昨夜の彼の顔を発見して、私は素っ頓狂な声を上げたのだった。
私がそれを指摘すると、駅員さんはやはり懐かしそうな、そして寂しそうな顔で微笑した。
「この頃は未だこの駅も利用者が多くて、勿論夜間迄、駅員が詰めていたもんだったよ。そうそう、彼は一人身だった事もあってか、夜間の勤務が多かったな。体調を崩して辞めてしまい、数年前、早過ぎる葬儀の知らせに愕然としたものだったが……。そうか……彼が……」涙が、日に焼けた駅員さんの頬を伝った。
幸いにも届けられていた忘れ物を受け取り、自転車のストッパーを跳ね上げながら、私は昨夜の彼の言葉を思い出していた。
『少し……寂しかっただけなんです』
彼が寂しかったのは自分がもう駅に立てない事なのか、客数が減り、経費節減の為と夜間無人化された駅の事だったのか。その両方だったのかも、知れない。
自転車の前籠に載せた忘れ物――学校から案内された自動車学校のパンフレットを、私は複雑な思いで見詰めた。
―了―
因みにうちの最寄り駅も夜間無人( ̄▽ ̄;)
田舎やなぁ。
幽霊さんは、よほど駅が気に入ってたんだろうな。寂しい話だね…
うちの近所?
終電過ぎても駅の周りは、客引きの外国人のねーちゃん達で賑わうてるよ(笑)
無人駅とか、廃駅とかは侘び寂を味わう目的で行くにはいい所だけど……意図せず行き着くと、途惑うよね(^^;)
電車、昼間でも一時間に上下各二本位しか通らないんだもん。
自動改札になって脇の窓口に乗り越し清算のためにポツンと一人だけ駅員が座ってるのは味気ない。
大きい駅の自動改札だと、こっちの後ろにぴたりとついて扉が閉まる前に無賃乗車ですり抜ける奴がいるんですよ、許せん!
自動改札は便利なんだけど、やっぱり機械的で(当たり前か)冷たい感じはしますね。