〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
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この付近の海で亡くなった者の殆どが流れ着くと言う入り江を、僕は眼下に見下ろした。
海からこの崖の上へと吹き上げてくる風はじっとりと湿り気を帯び、纏わり付いてくる様な感覚さえ覚える。
二年前、僕の兄はこの崖の突端に靴を揃え、消息を絶った。
母は嘆き悲しみ、父は憤りに肩を震わせた。何故、そんな選択をする前に、自分達に相談してくれなかったのかと。遺書も無く、死後に至っても尚、兄が何を悩んでいたのか、解らない――それは僕も同じだった。
順風満帆と言う程ではないにせよ、健康上でも仕事上でも、はたまた人間関係でも、これと言って重大なトラブルに巻き込まれた事もなかった兄。それが何故、この世と縁を切ってしまったのだろう?
それは僕達に相談しても、どうにもならない事だったのだろうか?
何も解らない儘、家族の一員を失った僕達はどうしていいのか解らず、只、傷付き、互いの信頼さえ失い、後悔の日々を送った。
海からこの崖の上へと吹き上げてくる風はじっとりと湿り気を帯び、纏わり付いてくる様な感覚さえ覚える。
二年前、僕の兄はこの崖の突端に靴を揃え、消息を絶った。
母は嘆き悲しみ、父は憤りに肩を震わせた。何故、そんな選択をする前に、自分達に相談してくれなかったのかと。遺書も無く、死後に至っても尚、兄が何を悩んでいたのか、解らない――それは僕も同じだった。
順風満帆と言う程ではないにせよ、健康上でも仕事上でも、はたまた人間関係でも、これと言って重大なトラブルに巻き込まれた事もなかった兄。それが何故、この世と縁を切ってしまったのだろう?
それは僕達に相談しても、どうにもならない事だったのだろうか?
何も解らない儘、家族の一員を失った僕達はどうしていいのか解らず、只、傷付き、互いの信頼さえ失い、後悔の日々を送った。
それでも只一つ、希望があった。
この付近の海で亡くなった者の殆どが流れ着くと言う入り江――そこで兄の遺体が見付かったという報せは、未だにない。
ならば、兄は何処かで生きているのではないか? 何らかの事情で自殺を偽装し、姿を隠しているのでは?
僕のその言葉に、母は一瞬目を輝かせたが、直ぐに目を伏せた。そんな希望など、持たせないでと。海で死んだ者は直ぐに上がるとは限らない。何年か後に、あの入り江に漂着した遺体の身元確認をと、地元警察から連絡があったら……。希望という高みは、逆に失望を深くする。
僕は二度と、その事に触れないようにした。
けれど二日前、兄の友人から、この辺りで兄に似た人を見たという話を聞いたのだ。残念な事に、呼び止める間も無く、その人は立ち去ってしまったという事だけれど、それでも貴重な目撃証言だった。
だから僕は今日、此処に来た。
兄の死を信じたくないだけの悪足掻きかも知れない。けれど……。
風が、不意に強さを増した。
足元の草が千切れ飛びそうな程に靡き、僕も足を踏ん張っていないとよろめいてしまう程だ。危険を感じた僕は身を低くして、一歩、二歩と後ずさった。
この崖では年間何組かの飛び込み自殺があると言う。その中にはもしかして、こんな突然の強風に足下を掬われ、落下した事故死もあったのではないか?――そう思わせる程の、風。
もしかしたら兄も? いや、靴は崖の突端に揃えてあった。だからこそ、早々に自殺の可能性が考慮され、遺体は上がらないものの、ほぼ確定しかかっているのだ。
やはり兄は――似た人も見付からず、失意の儘僕は駐車場に戻り掛けた。
そして、目を疑った。
兄に似た人、と言うよりも兄にしか見えない人がこちらに駆けて来る。
「兄さん!」僕は思わず声を上げた。
相手はきょとんとして立ち止まり、知らない人を見る目で、僕を見詰めた。そしてやはり知らない人に話し掛ける様に、こう言った。
「どなた、ですか?」
僕は気が遠くなるのを感じた。
駐車場の一角に、小さな事務所の様な建物がある事には、来た時に気付いていた。取り敢えず話を、とそこに連れて行かれ、お茶を振舞われて一息ついた僕は、話す内に大体の事情を把握した。
この事務所は、自殺や事故の多い、しかし見晴らしのいい観光スポットでもあるあの崖への来訪者を見張る為の監視所だという事。
そしてたった一人で訪れて、なかなか戻らない僕は危ないのではないかと、一声掛ける為に彼が来たのだという事。
そして、彼の記憶がない事。
どういった事情でか裸足で海岸に倒れていた所を、この監視所に勤める人に助けられ、自分も此処に勤務するようになったのだと。
「記憶……取り戻そうとはしなかったんですか?」僕は彼に訊いた。手の中の湯飲みが揺れ、漣を立てている。
「自分は頭を打っていて……どうやら、この崖から落ちた、あるいは飛び降りたものだと、思われました。崖の壁面にぶつけたのでしょう、当時はぼろぼろの状態でしたが……靴が両方とも無いのが、自分でも気になりました。あるいは落下の衝撃で脱げただけなのかも知れません。けれど、記憶もない癖におかしな事ですが、それは自分が覚悟の上で脱いだものだと、思ったんです。だから……自分は逃げたかったのかも知れません。死を選ぶ様な、自分の失われた人生から。それは卑怯な事だとは思いますが……」彼は俯いた。「生まれ変わりたかったのかも知れません」
「……」僕は涙にぼやけた目で、彼を見詰めた。兄はそこ迄、追い詰められていたのだろうか。命長らえながらも、記憶を失くして尚、最早自分に戻りたくない程。
「だから、此処に居るのはある意味罪滅ぼしの心算です。自分は恐らく、家族や友人に酷い事をした、いや、している。だからせめて、これ以上同じ思いを他の人に背負わせない為に……。いや、これは言い訳ですね。自分は只の弱虫なんです――こうして、自分を兄と呼ぶ貴方が現れても、記憶が無いのをいい事にこうして他人の振りをしているのですから」
「それでも……」僕は言った。「それでも生きていてくれたのなら、いいです。戻りたくないと言うのなら、僕は誰にも言いません。その代わり……」
「その代わり?」
「罪滅ぼしだと言うのなら、貴方が此処を去る事は許しません。どこに居ても探し出して、此処に引き摺って来ます」きっ、と相手の目を見詰め、僕は宣言した。
「解りました」彼は神妙に頷いた。「元よりその心算です。自分は此処で、死を選びたくなった人の話を聞き、それを思い留まらせる事に専念します。それが、助かった自分の務めなのでしょう」
時折様子を見に来る事を約束して、僕は事務所を後にした。
確かに兄は記憶を失くしているのかも知れない。けれど――此処で同じ様な境遇の人間達の話を聞き、姿を見る内、それが蘇らないという保証は無い。記憶を失くしてさえも、戻りたくないと言った過去の記憶。それは彼の中に今も厳然として存在するのだから。
例えそうならなくとも、過去の自分を見せ付けられる感覚に苛まれる事だろう。
「兄さん……罪滅ぼしなんて、そんな生易しいもんじゃないよ」
一つ呟いて、僕は車を出した。
―了―
今日は雨~。
ちょっと蒸し暑いかも(--;)
この付近の海で亡くなった者の殆どが流れ着くと言う入り江――そこで兄の遺体が見付かったという報せは、未だにない。
ならば、兄は何処かで生きているのではないか? 何らかの事情で自殺を偽装し、姿を隠しているのでは?
僕のその言葉に、母は一瞬目を輝かせたが、直ぐに目を伏せた。そんな希望など、持たせないでと。海で死んだ者は直ぐに上がるとは限らない。何年か後に、あの入り江に漂着した遺体の身元確認をと、地元警察から連絡があったら……。希望という高みは、逆に失望を深くする。
僕は二度と、その事に触れないようにした。
けれど二日前、兄の友人から、この辺りで兄に似た人を見たという話を聞いたのだ。残念な事に、呼び止める間も無く、その人は立ち去ってしまったという事だけれど、それでも貴重な目撃証言だった。
だから僕は今日、此処に来た。
兄の死を信じたくないだけの悪足掻きかも知れない。けれど……。
風が、不意に強さを増した。
足元の草が千切れ飛びそうな程に靡き、僕も足を踏ん張っていないとよろめいてしまう程だ。危険を感じた僕は身を低くして、一歩、二歩と後ずさった。
この崖では年間何組かの飛び込み自殺があると言う。その中にはもしかして、こんな突然の強風に足下を掬われ、落下した事故死もあったのではないか?――そう思わせる程の、風。
もしかしたら兄も? いや、靴は崖の突端に揃えてあった。だからこそ、早々に自殺の可能性が考慮され、遺体は上がらないものの、ほぼ確定しかかっているのだ。
やはり兄は――似た人も見付からず、失意の儘僕は駐車場に戻り掛けた。
そして、目を疑った。
兄に似た人、と言うよりも兄にしか見えない人がこちらに駆けて来る。
「兄さん!」僕は思わず声を上げた。
相手はきょとんとして立ち止まり、知らない人を見る目で、僕を見詰めた。そしてやはり知らない人に話し掛ける様に、こう言った。
「どなた、ですか?」
僕は気が遠くなるのを感じた。
駐車場の一角に、小さな事務所の様な建物がある事には、来た時に気付いていた。取り敢えず話を、とそこに連れて行かれ、お茶を振舞われて一息ついた僕は、話す内に大体の事情を把握した。
この事務所は、自殺や事故の多い、しかし見晴らしのいい観光スポットでもあるあの崖への来訪者を見張る為の監視所だという事。
そしてたった一人で訪れて、なかなか戻らない僕は危ないのではないかと、一声掛ける為に彼が来たのだという事。
そして、彼の記憶がない事。
どういった事情でか裸足で海岸に倒れていた所を、この監視所に勤める人に助けられ、自分も此処に勤務するようになったのだと。
「記憶……取り戻そうとはしなかったんですか?」僕は彼に訊いた。手の中の湯飲みが揺れ、漣を立てている。
「自分は頭を打っていて……どうやら、この崖から落ちた、あるいは飛び降りたものだと、思われました。崖の壁面にぶつけたのでしょう、当時はぼろぼろの状態でしたが……靴が両方とも無いのが、自分でも気になりました。あるいは落下の衝撃で脱げただけなのかも知れません。けれど、記憶もない癖におかしな事ですが、それは自分が覚悟の上で脱いだものだと、思ったんです。だから……自分は逃げたかったのかも知れません。死を選ぶ様な、自分の失われた人生から。それは卑怯な事だとは思いますが……」彼は俯いた。「生まれ変わりたかったのかも知れません」
「……」僕は涙にぼやけた目で、彼を見詰めた。兄はそこ迄、追い詰められていたのだろうか。命長らえながらも、記憶を失くして尚、最早自分に戻りたくない程。
「だから、此処に居るのはある意味罪滅ぼしの心算です。自分は恐らく、家族や友人に酷い事をした、いや、している。だからせめて、これ以上同じ思いを他の人に背負わせない為に……。いや、これは言い訳ですね。自分は只の弱虫なんです――こうして、自分を兄と呼ぶ貴方が現れても、記憶が無いのをいい事にこうして他人の振りをしているのですから」
「それでも……」僕は言った。「それでも生きていてくれたのなら、いいです。戻りたくないと言うのなら、僕は誰にも言いません。その代わり……」
「その代わり?」
「罪滅ぼしだと言うのなら、貴方が此処を去る事は許しません。どこに居ても探し出して、此処に引き摺って来ます」きっ、と相手の目を見詰め、僕は宣言した。
「解りました」彼は神妙に頷いた。「元よりその心算です。自分は此処で、死を選びたくなった人の話を聞き、それを思い留まらせる事に専念します。それが、助かった自分の務めなのでしょう」
時折様子を見に来る事を約束して、僕は事務所を後にした。
確かに兄は記憶を失くしているのかも知れない。けれど――此処で同じ様な境遇の人間達の話を聞き、姿を見る内、それが蘇らないという保証は無い。記憶を失くしてさえも、戻りたくないと言った過去の記憶。それは彼の中に今も厳然として存在するのだから。
例えそうならなくとも、過去の自分を見せ付けられる感覚に苛まれる事だろう。
「兄さん……罪滅ぼしなんて、そんな生易しいもんじゃないよ」
一つ呟いて、僕は車を出した。
―了―
今日は雨~。
ちょっと蒸し暑いかも(--;)
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こんばんは
崖に靴が揃えてあって行方不明者が出たのなら、いかに自殺の名所と言えどもニュースになるだろうし、警察の聞き込みも監視小屋に有ったんじゃないかなー?
兄貴を助けた監視小屋の人は、何故警察に知らせ なかったんだろーか?報告位してもいいのに…
そこら辺が少し気になりました~
兄貴を助けた監視小屋の人は、何故警察に知らせ なかったんだろーか?報告位してもいいのに…
そこら辺が少し気になりました~
Re:こんばんは
う~む、本人の希望だけじゃ弱いか(^^;)
勿論、監視所の人達は自殺未遂者と解ってますが。彼等の目的は兎に角自殺を思い留まらせる事なので……。
勿論、監視所の人達は自殺未遂者と解ってますが。彼等の目的は兎に角自殺を思い留まらせる事なので……。
おはよう!
おっ、早速鋭いツッコミをされてますな。(笑)
私も、遺書は無く、靴があっただけで、どうして人物が特定できたのかと思ったよ。
あと、靴があっただけでは、中々自殺とは特定されないんじゃないかと。
それぐらいの工作は誰でも思い付くし、警察が、交友関係とかを、徹底的に洗い出すんじゃないかな?
私も、遺書は無く、靴があっただけで、どうして人物が特定できたのかと思ったよ。
あと、靴があっただけでは、中々自殺とは特定されないんじゃないかと。
それぐらいの工作は誰でも思い付くし、警察が、交友関係とかを、徹底的に洗い出すんじゃないかな?
Re:おはよう!
出たな、ツートップ(笑)
自殺と断定はされてないです。遺体も上がってないし。なので「僕」ももしかして、と現場に出掛けた訳です。行方不明の場合、七年で死亡認定でしたっけ? 未だ二年だし。
交友関係は……出奔前の時点では監視所の人達とは全く接点ないので、調べても出てきませんな。
自殺と断定はされてないです。遺体も上がってないし。なので「僕」ももしかして、と現場に出掛けた訳です。行方不明の場合、七年で死亡認定でしたっけ? 未だ二年だし。
交友関係は……出奔前の時点では監視所の人達とは全く接点ないので、調べても出てきませんな。
こんにちは♪
あやや!↓のお二人さんが何やら突っ込みを
入れてますまぁ~!
まぁ~、それはさておいて!
家族の一員が理由も分からずに自殺したりすると
残された家族は本当に辛い思いをするでしょう
ねぇ~!訳が分からないというのは、なかなか
踏ん切りもつけがたいしねぇ~気の毒だネ!
入れてますまぁ~!
まぁ~、それはさておいて!
家族の一員が理由も分からずに自殺したりすると
残された家族は本当に辛い思いをするでしょう
ねぇ~!訳が分からないというのは、なかなか
踏ん切りもつけがたいしねぇ~気の毒だネ!
Re:こんにちは♪
せめて理由なりあればね~。あっても納得出来ないだろうけど。
んー
ツッコミと言うか、何と言うか……監視小屋の人の悪意を感じてしまったのよ。
助けたのは偉いと思うけど、訳解らなくなってるのを良い事に何か犯罪めいた事をさせるとかさ。
私は根っから底意地が悪いもので(笑)
助けたのは偉いと思うけど、訳解らなくなってるのを良い事に何か犯罪めいた事をさせるとかさ。
私は根っから底意地が悪いもので(笑)
Re:んー
犯罪めいてますか?(・・;)
兄の希望で身元を伏せて、やはり彼の希望で自分達と同じ様に自殺志願者の監視を行なっているだけですが……。
寧ろ思い出す事でまた自殺を図られたらという、恐れもあったかと。
訳解らなくなっていると言っても、記憶が無いだけで判断は出来ますから、させようと思っても出来ませんって。
兄の希望で身元を伏せて、やはり彼の希望で自分達と同じ様に自殺志願者の監視を行なっているだけですが……。
寧ろ思い出す事でまた自殺を図られたらという、恐れもあったかと。
訳解らなくなっていると言っても、記憶が無いだけで判断は出来ますから、させようと思っても出来ませんって。
Re:無題
あ~(゜o゜)
確かに出来過ぎた弟や妹って、嫌な時もあるかも?(居ないから解らないけど)
弟も出来てるだけじゃないですよ。此処に居れば、いずれ兄が直面するだろう自殺志願者という過去の自分の姿、それを放って置く事で敢えて見せようと言うんですから。
確かに出来過ぎた弟や妹って、嫌な時もあるかも?(居ないから解らないけど)
弟も出来てるだけじゃないですよ。此処に居れば、いずれ兄が直面するだろう自殺志願者という過去の自分の姿、それを放って置く事で敢えて見せようと言うんですから。