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気味が悪そうに遠巻きにしながらも、それが間違いなく、あの鍵だと確認する。
しかし、それは確かに中学からの帰り道、橋の上から投げ捨てた物……。
誰かが拾って届けた?――しかし、鍵にはキーホルダーすら付けられておらず、彼の物だと示す様なものは何も無い。それにもし彼が投げ捨てた所を見ていたとしても、態々川底から拾い上げて届けるだろうか? 然も、この部屋に? この家では誰よりも早い、彼の帰宅よりも先に。
「一体……」彼は何かおぞましい物を見る様な目で鍵を注視し、やがて触るのも嫌だと言う様に、それを傍らにあった本で滑らせて、ゴミ箱に落とし入れた。
最早部屋に置きたくもなかった――元々、だからこそ川になど投げたのだ――が、もう一度捨てに行くにはこの鍵に触らなければならない。それも嫌だ。それにもし、また捨てに行って帰って来た時、此処にあったら?
その恐れは直ぐに現実となった。
ゴミ箱に落とした筈の鍵が、ちょっと目を離した隙に机の上に戻っていた。
「バカな……!」彼は思わずそれを本で叩き落とした。鍵は床の絨毯の上にぽとり、落ちた。
また移動していたらと、彼は目を逸らす事も出来ずにそれを注視する。
と、不意に窓際から、どこか笑いを含んだ声が聞こえた。
「酷いわねぇ。届けてあげたのに」
慌てて視線を巡らせれば、そこにはいつ入って来たものか、茶色の髪に青いリボンの、十歳ばかりの少女が微苦笑を湛えて立っていた。
「一体何処から……!?」少年はいきり立って質した。「人の家に勝手に入って来たのか? 何処の子だよ!? 大体、何でこの鍵を……!?」
「届けに来たのかって?」少女は小首を傾げた。「だって、要るでしょ? 鍵」
「い……要らないよ! 要らないから捨てたんじゃないか! 余計な事するなよ!」怒鳴りながらも、少年の脳裏には疑問が渦巻く。
少女はいつの間に、どうやって彼に気付かれる事なくこの部屋に入って来たのか? 何故態々彼に鍵を届けたのか? 要るでしょ?――だからって川に投げ捨てられた物を態々拾って来るか? それに川底から拾い上げたにしては少女の服にも水の染みなど一切見当たらない。子供が手を伸ばしただけで底に届く様な川でもないのに。それに、どうやって彼より早くこの部屋に鍵を……?
何より、何を以って自分がこの鍵を必要としているだろうなどと……!
「いいか? これは要らないから捨てたんだ。こんな鍵、俺には必要ないんだ!」
「ふぅん……?」少年の言葉を疑ってでもいるかの様に、少女は小首を傾げる。「必要ない……どうでもいい鍵なら、何故そんなにムキになるの? そもそもこれ、何処の鍵?」
上目遣いに見る少女の目に、悪戯っぽい光。丸で問いを投げて置きながら、その答えを知っているかの様だった。
「お前……もしかして、あいつに頼まれたのか? そうか、だから俺が帰る先回り出来たんだな? この家の鍵も預かってるんだろ。でなきゃ此処に入れる訳ないもんな。あいつ……出て行く時に鍵を置いて行ったのに、こっそり合鍵を作ってたんだな。そうなんだろ!」
改めて見れば少女は腰のベルトに何十とも知れない鍵を束にして下げている。その中にこの家の鍵があっても何ら不思議はない。
だが、少女は頭を振った。
「悪いけど貴方が言う『あいつ』とやらには頼まれてないわ。勿論、この家の鍵も持ってないわよ」
「嘘だ! じゃあどうやって入って来たんだよ!? あいつが……七年前に家を出て行った親父が、今頃になって送り付けて来た鍵を拾って届けに来るんだよ!?」
七年前、少年の父は家を出て行った。
幼かった彼に、母は詳しい理由は話さなかった。只、仕事に出て彼を養いながらも、時折、独り酒を飲みながら涙していた。
父に落ち度があったのか、それは解らない。酒やギャンブルに溺れる事もなく、寧ろ仕事人間で、それ故に早く寝付いてしまう子供との接触は少なく、正直言って彼は父の事を余り、覚えていない。そんな父が何故出て行ったのかも解らない。
だが、妻と子を置いて出て行ったのは事実だった。
元々共働きで、母の稼ぎの方がよかった所為もあり、暮らし向きは然程悪くはならなかった。それでも、そんな事よりも、捨てられたという思いが小さな彼の心に圧し掛かった。
そしてそんな父から一通の封筒が届いたのは、ほんの三日前だった。
近くに赴任して来た。もしよければ会いたい、と。
自分のアパートの住所と鍵を同封して。
何を考えているのかと、彼は封筒と手紙を破り捨て、鍵を壁に投げ付けた。
宛名には彼の名前だけがあった――妻には会いたくないという事なのか?
余りに勝手な話ではないか?
絶対に行くものかと鍵をゴミ箱に捨てたその夜、彼は夢を見た。見知らぬアパートの扉を前に逡巡している夢を。恐れと不安、そしてどこか懐かしさと高揚感を抱えながら。
真逆、自分は会いたいと思っているのか?――夢から醒めて、彼は自問した。確かに父本人に、悪い思い出は無い。自分が悪い事をして叱られた事はあっても、決して理不尽な暴力は無かった。また、会って本当の理由を問い質したい思いも、少なからずあった。
だが、結局今日、彼は鍵を川に投げ捨てた。
この鍵をこの儘持ち続けていたら、いつか会いに行ってしまいそうで。そしてそれは、ここ迄女手一つで彼を育ててくれた母への裏切りに思えて……。
「要するに会いたいんじゃない」少女はすっぱりと、少年の相反する思いを看破した。「だったらこの鍵、要るでしょ?」
「だから要らないってば!」少年は頭を振った。
「だって、この鍵は必要とされてる……。だから、私の所に来るには早過ぎるの」
「何言って……?」
「それにお父さんも貴方に会いたいから送って来たんでしょう? この鍵は少なくとも二人の人に必要とされてるわ。川底になんて沈めちゃ、駄目」
「……あいつ――父さんが、俺に会いたい……?」
「そう言って来たんでしょう? 大体、そうでなきゃ、送って来る訳ないじゃない。ま、行くかどうするかは、貴方次第。私が口出す事じゃないけれどね。取り敢えず、鍵は届けたわ――あるべき場所に。じゃね」言うなり、少女は彼の横を摺り抜けて、部屋のドアを潜った。
「あっ、おい!」慌てて閉じるドアに飛び付いたものの、そこにはもう何の気配も、ありはしなかった。
少年は黙して、手に取った鍵を見詰め続けた。
数週間後、少年は父が出て行った理由を母から聞かされた。夫からの封筒の残骸を目にして以来、彼女も悩んでいたのだと言う。
彼が出て行ったのは自分の所為だ、と。
自分が妻として家庭に収まるよりも仕事を取り、それでいてその励みともなる子供を手元に置きたがったから――そんな我が儘の所為なのだと。
許してくれ、と涙する母に、少年はそっと肩に手を添えるしか、思いの伝え様がなかった。決して、恨んではいない、と。
それでも、やはりこれ迄完全に接触を断っていた父への複雑な思いは消えなかった。
会いたい、という思いもまた。
「あの分じゃ未だ未だ、鍵が役目を終えるには時間が掛かりそうね」肩を竦めて、少女は呟いた。「子は鎹って言うけど……寧ろ板挟みかも。子供も色々、気を遣うものよね」
まあいい、と少女は微苦笑する。
時間は幾らでもあるのだからと。
―了―
長くなった~(--;)
まぁ、仕事にしろ何にしろ、のめり込んでる人は視野が狭いという事で(^^;)
やっぱり身近で苦労しているのを見れば、そちらに付くかと……?
そう言えばフライパンで夫を……なんて事件もありましたねぇ。