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――田中さん、実家のお母さんからお電話ですよ。
――ああ、済みません、大家さん。もしもし、替わりました。お母さん、久し振り。元気にしてた?
久し振りね、元気だったよ。そんな他愛もない挨拶から始まるお互いの近況報告。私は穏やかに相槌を打ち、覚え書きから幾つか、最近あった事をさも楽しそうに伝える。そして別の紙にメモを取る。
三十分もそうしただろうか。
――あ、じゃあ、そろそろ行かなきゃいけないから。またね、母さん。
またね、と答えて通話を切った。
――鈴木さん、お姉さんからお電話ですよ。
――はーい、今行きます。大家さん、いつも済みませんねぇ。姉さん、どう? 景気は。
いつも通り、ぼちぼちだねぇ。そのやり取りもいつも通りだ。私はやはり覚え書きを種に、話を続ける。
――姉さん、三年前に傷めて手術した喉はその後、どうだい? やっぱり声は元には……。
大丈夫よ、喋るのには困らないから。これももう何度繰り返したか。
――じゃあ、また喉を傷めると悪いから、また今度。その内、会いたいね。
そうね。その内ね。
そんな日は先ず来ないけれど。それは口にせず通話を切った。
――山田さん、会社の部長さんからお電話ですよ。
――はい、有難うございます。大家さん。もしもし、お電話替わりました。山田です。部長、申し訳ありません。なかなか出社出来ず……。
いいえ、養生が第一だもの。山田君は無理をし過ぎるの。先ずはゆっくり、休んで後の出社に備えて頂戴。覚書さえ無い定型文。それで充分だった。
――はい! 有難うございます!
電話応対のお手本の様なはきはきとした受け答え。それが生かされる事はこの先、ないだろうけれど。
お見舞いと労いの言葉を口にして通話を切った。
ふう……と、溜息が漏れた。
未だ未だ「大家さん」を通じて電話を掛けなければならない。温くなった缶コーヒーで喉を湿らせながら辺りを見回すと、向かいのブースでは男性の親族、友人担当の男性がやはり疲れた顔でこちらに微苦笑を送った。
私達がしているのはこの老人施設の入所者への――掛かってくる筈のない電話。
既に故人だったり、縁が切れていたり、理由は様々だけれど、只唯一の共通点は受け手がそれを待ち望んでいるという事。掛かってくる事はないという厳然たる事実さえも否定して迄、彼等は待っている。
最早、声が違っている事さえも、長く会わない間に喉を傷めたから、で誤魔化されてしまう程に思考も弱っていると言うのに。
忘れられない事も、あるらしい。
そしてそれは時に、生き甲斐にも繋がるらしい。
あの懐かしい人からの電話は、次はいつ掛かってくるだろう? もし掛かってきたら、心配を掛けないようにちゃんと応対をして、お互いの近況を話して、それから……。彼等に直接接触する機会のある同僚からは、彼等はそうやっていつも楽しそうに電話を待っていると聞いている。
そう思えば、この単調な作業の繰り返しも、意味がある事なのだろう。
もう一頑張りするか。私は内部通話用のインターホンのスイッチを入れた。
* * *
数十年後。
「斉藤さん、田中さんからお電話ですよ」
「はい、済みませんね、大家さん。田中さん、懐かしいなぁ。元気だったかしら?」
昨日は鈴木さんからも電話があった。
山田さんや他の人ともその内電話で話したいなぁ……。色々、お話して上げたい事があるんだから。
だって、それが生き甲斐なんだもの。
―了―
ミイラ取りがミイラ?(^^;)
人に生き甲斐を与えている心算が、それが自分の生き甲斐になっていたというお話☆
そうでもしないと来ないのかねぇ(--;)
身近な人とのコミュニケーションだけでも、ボケや精神的な老いの防止には効果があるんじゃないかと思うんだけどねぇ。
最初、ボケた老人からの電話を、成りすましで受けている方だと思っていたので、中々話が飲み込めなかったよ。(^_^;)
何度も読み直してしまった。(^_^;)
う~ん、日本の縮図か?(-_-;)
生き甲斐……人それぞれ、何が生き甲斐になるか解らないけどね。
最近は色々と手口が増えてきたみたいですね~。ああいう成りすましは最低ですが(--;)