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今日こそ夜霧は、レスしたかも――僕は寮の自室に帰るなり、パソコンを立ち上げた。
ネットにアクセスし、目当てのページを表示させる。
本来なら僕には余り縁のない、美術関連の掲示板だった。どこそこで何々展開催の情報だの、鑑賞後の感想板だの、自分達の作品を投稿する板等が乱立している。いきおい画像データが多くなり、携帯のメモリーでは追い付かないので、こうしてパソコンからアクセスしているのだ。
さて、そんな縁のない所にこうしてアクセスしている理由はと言えば……件の夜霧――夜原霧枝先生だった。
美術教師である彼女はよくこの掲示板に出入りしていると、自分でも言っていた。生徒達が付けた渾名、詰まり「夜霧」をハンドルネームとして。
その場に居たのは僕と京、栗栖と勇輝位だったととは言え、ハンドルネームをばらしてしまっていいのかと首を傾げたけれど、ばれて困る様な事は書かないから大丈夫、と夜霧は気にしていない風だった。
夜霧の気紛れさ、気分屋加減から言って、本当に大丈夫なのか、少し心配ではあったけれど、まぁ、美術教師も全国には多数居る訳だし、流石に夜霧もプライバシーに関わる事は書き込みしていない様だった。知人なら「真逆……」位は思うかも知れないけれど。
ところがそれでも、ちょっと言葉が行き違うとトラブルになるのがネットの怖い所で……。
夜霧はとあるユーザーに一つの答えを求められていた。
それは一つのスレッドだった。
この掲示板には珍しく、画像も無く、地味な印象。けれど、タイトルは人目を引くものだった。
『かくも醜き人間を美しく描く事は可能か?』
内容はと言えば、一読すれば、スレッドを立てた主が如何に人間嫌いか判るという代物だった。彼、あるいは彼女が醜いと思う人間の行いを書き連ね、その罪を暴き立てているのだった。
例えば戦争。国の為、信ずる神の為と言いながら他国の民を蹂躙し、自国の民をも苦しめ、疲弊させる。その先に絵画に描かれる様な誇り高き勝利など無いと、断じていた。
あるいは犯罪。人の権利を侵しながら自らの権利のみを主張し、罪を逃れようとする浅ましさ。
もしくは日常に於いて。人を追い越し、追い落とす事のみに執着し、自らを省みない事の醜さ。子供の躾も出来ぬ癖に他人からの叱咤には反発する、未熟な親達。従業員は施設の付属品とばかりに横柄な態度を取る客。その他諸々……。
兎に角、彼、あるいは彼女の目を通せば大概の人間は醜く映るのだと、僕は溜息をつく他なかった。
他のユーザーも呆れたのか心配したのか、荒らしは止めろ、だの、ストレス解消なら此処で文句を吐くより余所へ行け、だの、貴方がちょっと見方を変えれば、だの、様々なレスが付いていた。
その中に、夜霧の最初のレスがあった。
〈確かにモンスターペアレンツだの、自分の権利主張のみに長け、然もその行動の醜さに自分で気付きもしない連中は居ます。でも、此処でこうしてそれを暴き立てる貴方の行動は、果たして醜くないのですか?〉
夜霧にしてはまともだ、と妙に感心したものだった。
それに対する彼、あるいは彼女の答えはこうだった。
〈自覚している。そんな自分も含めて、人間は醜いと言っているのだ。そんな人間である事が、自分は恐ろしくて、哀しくてならない〉
夜霧の次のレスは些か、挑発的だった。
〈自己憐憫ですか? 貴方は人間外の視点に立って見下ろしているのだと思っていましたが、同じ場所に立っていると? それでいてその醜さに気付ける自分に酔っているんじゃないですか?〉
それは僕も感じていた事だった。
自分は特別だ、そんな雰囲気が、悲劇の主人公を演じているかの様なその言葉の端々に感じられたのだ。誰も自分の醜さに気付かないこの世界で、自分だけはそれを自覚しているのだと。
〈人が醜さを持っている事なんて、殆どの人は重々知っています。態とらしく嘆いて見せる事はなくても〉
そう、夜霧は続けていた。
〈それでも醜さだけではない事も知っています。だからこそより美しいものを求めるのではないですか?〉
彼、あるいは彼女の返答は数日、なかった。怒りをたぎらせているのか、自らを省みているのか、その沈黙は不気味だった。
そして数日後、こう書き込みされていた。
〈ならばその人間の美しさとやらを見せてみろ〉
今度は夜霧のレスが、数日間滞った。
そして今日、掲示板を検めていた僕の目に、彼女の返答は、果たしてあった。
それは一枚の水彩画。
パソコンを前に涙を流す一人の人間の横顔。男なのか、女なのか、それは酷く中性的で、しかしその哀しげな表情は見事に描き出されていた。彼、あるいは彼女はパソコンの画面の中の暗い世界を見、涙しているのだった。そこに映し出されているのは他国の内戦のニュースなのか、自国の事件、世相を反映したものなのか。
彼、あるいは彼女はそれを見て嘆き、悲しむ。丸で我が事の様に。
件の人物を描いたものだというのは明らかだった。
そして、その横顔は美しかった。美人、というのではない。何かしら、人の目を惹き付ける、美。どうして泣いているのか、それを聞き出し、共有したくなる思いに駆られる。
これをアップする為に、数日を要したのか――僕は夜霧のレスが遅れた理由を知った。
その画像の後には、それ迄の口論など消し去られたかの様な、他のユーザーからの賞賛コメントが付いていた。概ね、僕が感じたのと同じ様な感想。
そしてその中に紛れる様に、彼、あるいは彼女のコメントがあった。
〈自分なら口論した相手を美しく描く事など出来ない。それが出来るのが……許せるのが美しさだと言うのか?〉と。
時間を見ればついさっき投稿されたばかり。未だ学園に居るだろう夜霧のレスはない。
けれどきっと、夜霧はこの件についてはこれ以上レスしないだろう。
この絵で全てを語った、そう言い切って。それをどう取るかは、彼、あるいは彼女が自分で考えるべき課題なのだと。
僕はもう一度画像を鑑賞すると、静かに画面を閉じた。
―了―
遅くなった、遅くなった☆
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だいたい、完璧を求めるからそんなことになってしまうのよ。
綺麗事だけでは生きていけないという事に気づいてもいいと思う。
誰もとがめない。みんなそうやって生きてるはず…
アタシのコメントが不適切なら削除願います
でも、そう在ろうとも思わないのは如何かと☆
咎められなければ、皆やってるからええやん、というのは……他人がどう思おうが私はしたくない。
プロになるべきじゃない?(笑)
高校の時に、体育講師が言ってたんだけど、「教師って言うのは、みんな落ちこぼれ、本当に才能があれば、その道でプロになっているはず」ってさ。
一理あるなって思った。
絵も表現の内……という事で。
結局、夜霧が描いた絵は厭世的で虚ろな相手の貴方にもかくも美しい涙があるのだと、まっすぐな回答、すっきり落としましたね!
厭世的になる人というのは何だかんだ言いつつも人間が嫌いにはなり切れないのではないかと。完全に嫌いならその行いなんか、自分に害のない限りは放って置けばいいんですから。
このお話、『悲劇的』をおもい出しました。
結局、誰も彼も、自分が世界の中心ですからねえ、いい意味でも悪い意味でも。
どう感じ取るかは人それぞれ。
それこそ、「三人に好かれたら十人に嫌われるくらいに思っておくのが無難」なんですよきっと(笑)
忘年会など宴会・パーティが続くシーズンです、くれぐれもご自愛くださいね。
みけねこさんも風邪など召されませんように、ご自愛下さいませ!