[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私が閉じた本を残念そうに見詰めるのは七歳の男の子。但し、幽霊。
この町立鹿嶋記念図書館は元々私設で、設立者の死後、蔵書ごと町に寄贈された。その設立者の、幼くして亡くなった子供が、この子、鹿嶋良介君だ。元々身体の弱かった良介君は此処で本を読んだり、遊んでいる事が多かったそうで……倒れたのも、此処だったそうだ。
どういう訳か、私にだけ見える様で……すっかり遊び相手にされている。
今日も控え目な声ながら、童話の読み聞かせをしていたのだけれど、もう閉館時間になってしまった。良介君は図書館からは離れられないから、続きはまた今度。
この図書館にはその成り立ちの所為なのか、個人出版の本も多く収蔵されている。この童話も、そんな一冊だった。
『赦せなかったんですよ……』
その一言を遺して、電話は切れた。
バックに流れていた風の音、岸壁に打ち付ける水音も同時に途切れる。
私と山名さんは、呆然と受話器を見詰めていた。
* * *
ある日、馴染みの図書館へ行ってみると、司書の山名さんが難しい顔で新聞を読んでいた。五十近い男性だが、いつも丁寧で穏やかな人なので、おや、と見ていると視線を感じ取ったのか、ふと顔を上げ、目が合った。
「こんにちは」ちょっと気まずさを感じて、私は愛想笑いと共に頭を下げた。「どうかなさったんですか?」
余程面白くない記事でもあったのだろうか。そう思って新聞に目をやると、何と良介君迄も、背伸びして覗き込む様にしていた。
この町立鹿嶋記念図書館に棲み着いた、設立者の息子、良介君――の幽霊。私の顔馴染みだ。
その、七歳で時の留まった彼さえも、険しい顔で紙面を見据えていた。
顔見知りの司書、山名さんやすっかり馴染みになってしまった他の職員さん達に新年の挨拶を済ませ、私は二、三の本を選ぶと、いつもの窓際の書見台に席を取った。
しかし、本を前にして、思わずふぅ、と大きく息をついて書見台に伏せてしまう。
と、少し視線をずらすと、台の下から覗く子供と目が合った。
「どうしたの?」さっきの声の主。七歳位の、目の大きな可愛らしい男の子。ちょっと心配そうに、私を見上げている。
「良介くーん」私は思わずその頭をわしわしと撫で回したくなる。が、勿論それは出来ない。
だって、彼、鹿嶋良介君はこの町立鹿嶋記念図書館に棲み付いた幽霊なのだから。
その為か私は些かの開放感を味わっていた。
「あれ?」図書館の姿が見えてきた時、ふと、声を上げた。
図書館――正式名「町立鹿嶋記念図書館」は白いコンクリート造りながら、創立した鹿嶋氏の嗜好なのか美しい彫刻が随所に飾られた、しかし派手がましさのない落ち着いた建物だった。
そしてその広大な敷地内にもう一軒、こちらは三角屋根の倉庫といった趣の建物があった。
いつも厳重に閉じられている、その倉庫の扉が開いていた。
図書館に向かいながらもこっそり覗き込んでみると、そこには無数に並ぶ書架と、司書の山名さんが居た。他にも何人か、職員さんの姿。
「こんにちは」好奇心もあって、私はすっかり馴染みになった山名さんに声を掛けた。「珍しいですね。こちらが開いてるなんて……」
「ああ、これは、佐内さん」振り返って笑みを浮かべる。「いえね、別館の大掃除がてら蔵書のチェックを……」
別館、というのがこの倉庫の呼び名らしい。しかし、そう言っていい程の本が、此処には眠っていた。
これを見て私の好奇心が疼かない筈が無い。
「随分一杯あるんですね」最早別館の入り口前に――邪魔にならないようにはしつつ――立ち、中を覗き込んでいる。「……真逆と思いますけど、この間の本なんかも此処に……?」
「あれは、万一にも出ないようにしてますよ」読む者に死を呼ぶ本、それは山名さんが厳重に管理してくれているらしい。「一般職員が立ち入り出来る所には置いていません」
立ち話をしていると、別館の奥の棚でチェックをしていた職員さんが、不意に声を上げた。
「山名さん! この棚……壁際なのに動くんですけど!」
そしてその棚を除けた所の天井に、切れ目が入っている、と。
然もあの図書館で借りてきた本だ。新刊本だけど、それを加味すると……気味の悪さが倍増する。
子供の幽霊が未だ遊び相手を探している図書館。開けてはいけない本が――それらしき物が一応は発見されて――封印されている図書館。
でも、この小さな町ではたった一軒の図書館。
本を買い込み、収納する場所に欠ける我が家には有難い場所だ。
ま、他にあれば……とは思うけど。
それにしてもあの図書館を生前に建て、死後に町に丸ごと寄贈した鹿嶋氏とは一体どんな人物だったのだろう?――寝返りを打ちながら、そんな事を考える。
件の幽霊、幼くして死んだ鹿嶋良介君の父親。
「……幽霊とかくれんぼしてる私が怖い話で眠れないってどうなのよ」改めて気付いて、馬鹿馬鹿しくなった途端、私は安眠モードに入っていた。
ま、一不思議は知ってるんだけど――私はまたも目に付く様な所に隠れている男の子に眼をやった。でも「見付けた」とは言って上げない。ちょっとは落ち着いて本を読みたいのよ。幽霊とかくれんぼなんて後回し!
例の子供達は大きな卓に着きながら顔を寄せ合っている。
「どうするよ? 壁新聞、いいネタがあるって言うから他のネタ探してないのに……」
「そうだよ。冬の怪談もいい、なんて言い出した奴がどうにかしろよ」
「ええ?」
どうやら壁新聞の取材に来たグループらしい。冬休みも近いのに御苦労様。
と、紛糾しているらしい会議に山名さんが口を挟んだ。
「七不思議じゃなきゃいけないのかい?」と。
「ここに隠れてる事、内緒にしてね」
街外れの図書館、窓際に並んだ所見台の下からの視線に、ふっと下ろした眼が合ったその子供は、そう言って口の前に指を一本、立てた。小学校低学年位だろうか。大きな目の、ちょっと可愛い子供。
席を探していた私は何と無く、その子の傍の椅子を引いた。何冊か選んできた本を台に広げ、それとない風を装って、声を掛ける。
「何してるの?」
「かくれんぼだよ」解らないの? そんな響きの籠った声。「だから鬼に言っちゃ駄目だよ?」
「ここは図書館よ?」
「だから静かに遊んでるよ? お姉さんが話し掛けなかったら、僕はじっとしてるし、声も立てないもん」
ああ言えばこう言う――小生意気な子供に、私は「それは悪かったわね」と叩き付ける様に言うと、本に集中する事にした。
急がなければもう夕方。閉館時間が迫っている。淡いベージュのカーテンを引かれた窓からの光はもう弱く、薄い影を長く引いている。
元々個人所有だった図書館で、主の死に際して、町に寄付されたその当時の物がそっくり残っているそうだけれど、きっとその主は趣味のいい人だったのだろう。華美な装飾は無いものの、落ち着いた、年輪を感じさせる図書館は外との時間の流れが違う様に感じさせてくれる。
それにしても……この子を捜している風な子供なんて、館内には居ないのだけど?
唯一現実の時間を思い出させる閉館のアナウンスに追われて私が本を閉じる頃、いつしか彼の姿は消えていた。