[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
生きてる人間はだぁれも居ない……。
そんな声を聞きながらも、少女は脚を止めなかった。
暗い森の中、それでも迷う素振りはなく、しっかりとした足取りで進む。
だぁれも居ない……。
それでも行くの……?
森の奥を見詰める少女の瞳はぶれない。
そんな事は解っているから。
やっぱり……止められない……か……。
やがて行き着いたのは森の中にぽっかりと開いた空間。
そしてその中央には、小さな木造の小屋。
「……お邪魔するわ」扉を開け、少女は呟く様に言った。
応える者はない。
少女にもそんな事は解っている。
此処はこの近辺の、葬送の場。生きた人間が来るのは死者を送る為に運んで来る時だけ。死者を炎によって清め終えれば、その僅かな灰だけを持って、早々に帰ってしまう。
それでも、彼女が来たのは――。
「……貴方も独りなのね」傍らの寝台に安置された死者に、少女は語り掛けた。「大丈夫。さ、行こ……」
少女の翳した手の先で、死者は蒼白い炎に包まれた。
通常の炎とは力も性質も違うのか、程なくして死者は灰となり果てた。
その灰を大事そうに掻き集め、少女は眉根を寄せる。
「……身寄りがないからと言って、清めもせずに放置するなんて……」
やがて少女は小屋を出ると、吹き渡る風に、灰を飛ばした。細やかな灰は直ぐに霞となり、何処へともなく流れて行く。
あーあ……。
あーあ…………。
また、誰のものとも知れない声が囁く。残念そうに、揶揄する様に。
行っちゃった……。
折角仲間が増えそうだったのに……。
「……増えなくていいわ」向きになるでもなくそう言い返して、少女は森の更に奥へと、脚を向けた。「……これ以上、住環境悪くなっても困るもの」
元々、森の奥に作られていた小さな祠は、最早その銘も読み取れず……特に葬送の場が設けられて以降訪れる者もなく、藪に埋もれる様にひっそりと佇んでいた。
少女はそこへと帰って行く。
此処は、生きている人間はだぁれも居ない森……。
―了―
眠過ぎて纏まらん……zzz
「遅くなっちゃったね。ごめんね、則子、明るい内に帰りたいって言ってたのに、道草に付き合わせちゃって」両の掌を合わせ、拝む様にして芽衣は詫びた。友人と一緒に街迄買い物に出たのはいいが、ついつい予定外の店迄回ってしまい、その結果、すっかり陽は落ちてしまっていた。
「大丈夫だよ」微苦笑しながらも、則子は言った。「そんなに気にしないで。それにここ迄荷物運んでくれたんだし……助かったよ」
その則子の両手と、芽衣の片手には、買い込まれた画材が下げられている。やや大きめのキャンバスは重さは兎も角、嵩張ってしようがない。
「じゃ、部屋迄持って行ったげるね」芽衣は当然の様にそう言って、エレベーターの方へと歩き出した。勝手知ったる友人のマンション。位置は把握している。横に長い建物の丁度真ん中辺りに突き出す形で、エレベーターホールが作られているのだ。
が、何故か則子はそれを慌てて止めた。
「あ、ご、ごめん! エレベーターはちょっと、その……何か調子悪いみたいでさ。階段で上るから、荷物はその辺置いといてくれたらいいよ。うち、五階だし、そこ迄運んで貰うのは悪いから」
「ええ? エレベーター使えないのぉ?」不満げに言ったものの、芽衣は荷物を下ろしはしなかった。「てか、それなら尚更大変じゃない。階段を五階迄一往復半なんて。それに置いといて盗られても困るし」
大体、今時の若い女の子が一人暮らしをするのに、オートロックでもない、部外者出入り自由のマンションなんて無用心だと、芽衣は常々思っていた。が、金銭的な問題もあり、実家で親の庇護の元にある自分が口を出す事ではないとも、思っていた。
「でも、五階迄往復付き合わせるのも悪いし」と、則子。
「それじゃ、こうしよう」芽衣は言った。「あたしは喉が渇いたので、則子んちでジュースを飲みたい。で、その序でだから荷物を運んであげる。ギブ&テイクなんだから、則子が気にする事はない。ね?」
芽衣の言い様に、一瞬きょとんとした表情を浮かべた則子だったが、直ぐにその頬を緩めた。
「解ったわ。そこ迄言うなら、ジュースでも紅茶でも」
そして、荷物を下げて歩き出した。こっちから行こう、と。
「ん? エレベーターの横にも階段なかったっけ? あっちの方が部屋に近いんじゃあ……?」付いて歩きながらも、芽衣は首を傾げた。
「より喉が乾いた方が、ジュースが美味しくなるわよ」そう笑って、則子は建物の端にある階段を目指した。
因みに、五階迄自力で上った彼女達は、本当に飲み物の美味しさと有難さを体感する事となった。
只、ジュースとお菓子に舌鼓を打っている間も、則子は何かを言いたそうな、それていて言うべきか迷っている様な素振りを見せていた。
そしてそれに気付かない程、芽衣は鈍くはなかった。
「ね、何かあるの? エレベーター」帰り際、玄関先で見送りながらも、やはり先に通った階段を――お菓子食べたんだから運動した方がいいんじゃないの? などと――勧める則子に、芽衣は訊いた。「と言うか、エレベーター近辺?」
則子は、一つ、大きな溜息をついてから、頷いた。
「実は……ね。芽衣は旅行中だったし、大きなニュースにもならなかったから知らないだろうけど、一週間位前の夜にこのマンションで飛び降りがあって……。発見されたのはエレベーターホールからまともに見える位置だったの。それ以来、夜になると時々あの辺りから音が響くのよ」
「音?」
「重いものが落ちた様な……でも、何となく、独特な、音」そう言って、則子は口にした事を後悔する様に、両手で自らの口を塞いだ。
「それは……詰まり、幽霊……?」
肯定したくない、と則子の目は言っていたが、そうなのかも知れないと、頷いた。
「だからね、夜にはあの辺りに近付きたくないのよ」俯いて、彼女は言った。
「それは……そうよね。あたしだってそんな音、聞きたくないし……」
「それもあるけど――音だけかどうか解らないじゃない?」
今の所、誰かが幽霊を見たという話は聞かないらしい。
が――。
「それが偶々誰も通らないから見ていないだけだとしたら……。私、万が一にも見たくない」きっぱりと、則子はそう言った。
当然の事ながら、芽衣は一番遠い階段から、帰る事にした。
―了―
取り敢えず、お祓い?
勝巳は、予てから見学したいなぁ、と望んでいたとある古民家を前に、目を輝かせていた。
黒く重々しい瓦に白い土壁の落ち着いた佇まい。玄関の格子戸が仄かに影を落とす、土間。上がり框はバリアフリーとは対極を成す様に、高い。
築百年は超えると言う民家は、それに相応しい風格をもって、彼の前に建っていた。
幼い頃から似たり寄ったりの集合住宅住まいだった勝巳には、それらはとても新鮮で、魅力的に感じられた。建築科に在籍する学生としては見逃してはならないと、今では人は住んでいないというその民家の所有者を捜し、見学を申し入れてしまう程に。
「では、私は此処でお待ちしておりますから……」
鍵を持って此処迄同道してくれた、現所有者の孫娘は、しかし玄関でそう言って腰を折った。二十代前半と見えるが、その年頃にしては穏やかで礼儀正しい女性だった。
「え? でも、俺……いや、僕一人で御宅にお邪魔するのも……」勝巳は途惑った。「その……疚しい事をする心算は全くないんですが、やはりその……」
許可を得ているとは言え、他人の家に一人で入るというのは落ち着かない。
「ああ……」得心入った様に頷きながらも、女性はやはり、脚を止めた儘だった。「もう家の中には家具も殆どありませんので……。ある物もかなり古い物ばかり。こんな所で宜しければ、どうぞのんびりと見て行って下さい」
「は、はぁ……」女性の笑顔に送り出され、調子が狂うなと思いながらも勝巳は玄関に向かった。
と、それを女性が呼び止めた。
「あ、済みません。言い忘れておりました。北の角の板戸の部屋だけは、開きませんので」
「開かない?」振り返り、勝巳は首を傾げた。
「開かずの間、なんですよ」そう言って微笑む女性の顔が、僅かに強張っている様に見えた。「では……ごゆっくりと。お気を付けて」
電気を消しては駄目、と幼い娘は言った。
いつもの様にパジャマ姿の娘をベッドに寝かせ、短い御伽噺を読み聞かせ、うとうとし始めた娘におやすみの挨拶をして、電灯のスイッチに手を掛けた時だった。
「なぁに? 未だ暗いのが怖いのかな? 麻紀は」態と、少しからかう様に私はそう言ってやる。我が子ながら負けず嫌いの麻紀は、その意地を刺激してやると、大概、容易に言う事を聞いてくれる。
けれど、今夜はそれでも駄目だった。
「怖くなんかないよ……。麻紀、怖くなんかないんだよ?」そう言いながらも、小さな手は布団の端を落ち着かない仕草で握っている。
「じゃあ、どうして? それにいつもは電気消して寝てるじゃない」私は首を傾げた。「今夜はどうしたの?」
何か怖い話でも聞いたか、怖いテレビでも見たのだろうか?
麻紀は未だ六歳。子供は成長したと思っても、何かの刺激で突然、一時的にその言動が幼児期に戻ってしまう事がある。大抵は、親や周囲の大人に甘えたい時だけれど。
「麻紀はね、怖くなんかないんだよ?」麻紀はそう、繰り返した。「怖がってるのはケイちゃんなの」
「ケイちゃん?」私は尚更、首を捻った。「誰の事?」
麻紀は一人娘。当然、この部屋にも麻紀一人。それに友達の名前は大体把握しているけれど、ケイちゃんと呼ばれる子供は居なかった筈だ。
さては自分が怖がっているのだとは言えずに、誰かの所為だと言い張っているのだろうか。きっとケイちゃんというのはベッドの周りにある人形やぬいぐるみのどれかに、麻紀が付けた名前に違いない。
馬鹿な事を言わないの――そう諌めるのは簡単だけど、それは娘との対話の機会を逸する事にもなる。やはりコミュニケーションは幼い頃からの積み重ねが大事、そう自分に言い聞かせて、私は麻紀の横に屈んで目線を合わせ、話を続けた。
「麻紀? 麻紀は暗いの平気でしょ? だから麻紀がケイちゃんにも教えてあげて? 夜、電気を消しても怖くなんかないんだよって。ね?」
「……うん……」納得は行っていないのか、にこりともせずに、それでも麻紀は頷いた。
私は娘の頭を撫でてから立ち上がり、もう一度おやすみを言うとドアの横のスイッチに手を掛けた。灯の点いた廊下へのドアを少し開けてから、電気を消す。
と――。
「いやあぁぁっ!!」
娘のものではない、けれどやはり幼い子供の声が部屋に響き渡り、窓の戸締りを確認したにも拘らず、室内を突風が吹き抜けた。
明るい、廊下へと向かって。
「な、何……?」突風に煽られ、尻餅を突きながらも私は見た。継接ぎだらけの古い着物を着た、麻紀と同い年位のおかっぱ頭の女の子が、飛ぶ様に階段を駆け下りて行くのを。その姿は半透明で……足音は一切、しなかった。
茫然としていると、ベッドから降りて来た麻紀が溜息をついて言った。
「だから言ったのに。ケイちゃんはずーっと『ぼーくーごー』っていう、暗い所に居てとっても怖い思いをしたから、暗いの怖いんだって」
ぼーくーごー?――私は昼間、社会見学で近くの『防空壕』に行ったと、麻紀が言っていたのを思い出した。買い物の途中で忙しくて、話を半分も聞いてはいなかったけれど。
そこから付いて来たのか……。
幽霊なのに闇を恐れるなんて、余程怖くて、心細い思いをしたに違いない。
無理もない。麻紀と同じ位の、幼い子供なのだもの。
私の胸で、娘について来た幽霊を恐れる気持ちと、ケイちゃんを哀れに思う気持ちが交錯した。
「麻紀……。明日、お坊さんと一緒にその防空壕にもう一度、行ってみようね」それが一番な様に思えた。もし、娘に取り憑いているのなら放置は出来ないし、ケイちゃん自身にとっても、あんな暗い場所にこれからもずっと居るなんて、それこそ浮かばれない。供養する事で先に進めるのなら――明るい場所に出られるのなら、私はそれを手助けしてあげたいと、そう思った。
不思議そうな顔をしながらも、麻紀は頷いた。
「それと……これからも一杯、お話しようね」どんな小さなサインも、見落とさないように。
「うん!」麻紀は笑って、力強く頷いた。
―了―
皆様、寝る時は真っ暗にして寝ますか? 豆球点けた儘、寝ますか?(゜_゜)
「もう庭で花火って気分じゃないんだけど」薄手のカーディガンを羽織りながら、友花は言った。
「いや、まぁ、俺もそうなんだけどさ」頭を掻きつつ、俺は花火セットとライター、そしてバケツを手に取った。「残っちまったし……」
「来年やれば?」
「湿気たら嫌だろう。それに……何か、やらなきゃ落ち着けないんだ」
「……」それ以上は何も言わず、友花はドアを開けた。
バケツに水を満たし、庭木を避けて、花火に火を点ける。
澄んだ秋の夜空の下、鈴虫の音が鳴り響く中、花火から勢いよく色が溢れ出す。
その色は決して、夏に見たものと変わらない。だのに、何故だろう。どこかしら、物寂しげに見える。夏にやった時にははしゃいでいた友花も、妙に神妙な顔で、その彩りを眺めている。
「可笑しいね。イベントの打ち上げ花火なんかは冬でもテンション上がるのに、何かこういうの……寂しいね」彼女もやはり、そう感じている様だ。
涼しい秋風の所為か? 虫の音の所為か?
それとも……いつか花火をやろうと約束した儘、結局この夏、病院から帰って来なかったあいつの所為か……?
庭には様々な色が溢れた。
俺達は歓声を上げる事もなく、只それを眺めていて――やがて最後の一本に手を伸ばしたのは、俺だった。
「やっぱり最後はこれなんだね」友花が微苦笑する。
俺の手にあるのは細い、線香花火。
あいつが一番好きだった花火。
静かに火を点ける。
細かかった火花が徐々に大きくなり、菊花にも似た模様を、闇に描く。だが、それもほんの僅かの間で、火花が治まってくると同時に先に小さな鬼灯の様な赤が灯る。俺は吹き付ける秋風から守る様にそっと空いた手で囲い、少しでも長く持たせようとした。
ほんの数十秒後、一際赤く輝いた後、それはぽとりと落ちて色を失った。
「……終わっちゃったね……」しみじみと、友花が言った。
「終わっちまったな」やはりしみじみと、俺も言った。
途端に風が冷たく感じられて、俺達は急いで後片付けをして、家に入る事にした。
庭に水を撒き、火の気が完全に無い事を確認して、庭に背を向けた時、風に漂う様な声が、俺達の耳を掠めた。
〈また来年、やろうね〉
「……」俺達は暫し、顔を見合わせた。今の声が本当に聞こえたものだったのか、互いに確認する様に。
そしてどちらからともなく、頷き、頬を緩めた。
「ああ、また来年な」
―了―
秋ですね~。
そんないきなりの大きな音に、俺達は揃って身体を硬くし、黙り込んだ。
尤もそれは一瞬で、音の呪縛が解けると同時にざわざわし始めるのだが。
そこに、部屋の主が「しーっ」と指を一本、口の前に立てる。静かにしてくれ、と。
「今の音、こっち側の壁から?」再び皆が黙った室内で、音の方向を思い出して、直紀が一方の壁に歩み寄る。
そちらはこの狭い安アパートの、玄関入って直ぐ右――壁の向こうには隣の部屋がある筈だった。
「隣の人? 今の」ちょっと眉を顰めて、沙耶香が言った。「もしかして、態と?」
部屋の主――真人は頷いた。そして少し、トーンダウンしてくれと頼む。
その真人の大学に入って以来の念願だった一人暮らしがやっと実現したという事で、俺達は引越しの手伝いとお祝いを兼ねて、こうしてこのアパートの三階の角部屋に集まったのだが……。
「ちょっと騒ぎ過ぎたかな」俺は頭を掻いた。特別、羽目を外した心算はなかったのだが。
「悪いな。此処、見ての通りの安アパートだから……」真人が苦笑しつつ、軽く頭を下げる。「結構響くらしいんだよ。実は此処が決まったばかりの一昨日の夜も、嬉しくて一人で泊り込んだんだが、その時暇潰しに持って来たミニコンポの音が煩かったらしくて、夜中に……やっぱり今みたいに、どんっ! って……。その時は暫く、どんどんどん……って叩かれて、少し怖かったなぁ」
「口で言えばいいのにね」沙耶香が不満そうに口を尖らせる。「怖い人なの?」
「それが未だ、会った事はないんだ。引越しの挨拶に行った時も、駐車場にぬいぐるみ満載した車はあったんだけど、出て来なくて……」今時、自棄に律儀な事を言う。
「却って向こうが怖がってるんじゃね? 最近の若いのは直ぐキレるから、そんなのが集まってる所に注意しに行ったら袋叩きにされるんじゃないか、とか」と、俺。
「でも、それなら黙って我慢してるか、一時的に部屋を出るんじゃないかなぁ」直紀が首を傾げた。「今時、深夜だろうと、コンビニでもカラオケでも時間は潰せるし。壁叩いたりしたら、逆に怒りを買いそうじゃない。僕なら怖い人相手にそんな事、出来ないよ」
それもそうかと、俺は頷いた。
「とすると、俺達を怖がってはいないけど、直接会いたくはない? 根暗な隣人かね」俺は肩を竦める。
まぁ、集合住宅に近隣トラブルは付き物だ。自分ではそうは思っていなくても、案外、大きな音を立てている事もある。気分よく聞いている音楽だって、趣味が合わなきゃ騒音になり兼ねない。
突然の雷雨から逃れて駆け込んだ店は、もう初秋だと言うのに、冷房が効いていた。
走った事でやや温まっていた身体が、濡れていた所為もあって一気に冷える。美園はぞくりと身震いした。その鼻腔に、甘ったるい芳香がこれでもかとばかりに押し寄せる。香を焚き込めている様だ。
雷に追われる様に慌てて駆け込んだものの、一体何の店だろう?――彼女は改めて店内を見回し……絶句した。
入り口や窓といった開口部を除いた壁一面を埋めるのは、棚に並べられた数々の人形。ビスクドールというのだろうか、冷たい磁気の肌と、硝子の瞳、フリルやレースのふんだんに使われた古風な衣装……。そのどれもが手の込んだ、美しい物ではあったが、自分を見下ろすその圧倒的な数と雰囲気に、美園は完全に飲まれてしまった。
店の奥の方に、それらの人形に埋まるかの様にしてカウンターがあり、その奥に店主らしき男が居た。ドアに付けられたベルがけたたましく鳴ったのにも構わず、人形の服の襞を繊細な手付きで手直ししている。商売っ気は全くと言っていい程、ない様だった。
これはタオル一枚、出してもくれなさそうだ――そう思っていたら、無造作に、タオルが投げ掛けられた。
慌てて礼を言うと、男はじろりと彼女を見て、周りの人形を濡らされては困る、とぼやく様に言った。
これは万が一にも人形を汚したりすれば、この雷雨の中に叩き出されそうだと、美園は身を縮こまらせて、足元から這い上がる様な寒さに耐えた。
それにしても、アンティーク人形店で、何故こんなに冷房が必要なのだろう――止まぬ雨を恨めしげに見ながら、美園は考えた。食料品専門のスーパーでさえ、こんなに冷えてはいない、と。
そして店主は無愛想。
自分が迷い込んで以降、誰も来ないのも頷ける。
大体、此処の人形はビスクドールとしても大型で、値段もそれなりに張るものだと思われた。そうそう、気軽に人が訪れる様な店ではないのだろう。
美園自身とて、この雷雨に遭わなければ自分が住む街にこんな店がある事さえ、知らない儘だっただろう。
そんな事をつらつらと考えている内に、雨脚は弱まり、雲もその厚さを減じて行った。雷の音も遠ざかっている。
彼女はほっとして、タオルを返し、礼を言って出ようと店の奥へと足を踏み出した。
が、その脚は男の声によって止められた。タオルは玄関のドアノブに掛けて置けばいい、と。
そんなにうっかり人形を汚しそうに見えるのかと、些か憤然としながらも、美園は頭を下げ、言われた通りにタオルをドアノブに掛けて店を出た。
こんな店、二度と来るものか、と。
ところが数日後、彼女はまた、その店に行く羽目となった。
情報提供者の一人として――尤も、彼女は大して情報を持ってはいなかったのだが。
警官に受けた説明では、何でも店主の男は、外人墓地から子供の遺体を盗み出しては、人形の中にそれを仕込み、その数体をこの店に置いていたらしい。決して、売りはしなかったそうだが。
だから異様に冷房を効かせ、更には香を焚き込めていたのか――美園は改めて、ぞっとした。
―了―
取り敢えずこんな店は嫌だ(--;)