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「人を食う?」男に道を尋ねた青年は、軽く眉根を寄せた。黒い目、黒い髪、黒い着物に黒い猫。そんな黒尽くめの青年だった。
「流れ者が偶にあの家に宿を求めて入り込んだりするが……出て来るのを見たもんは居ねぇ」
「それで、家に食われていると?」
こくり、男は頷いた。村の者は皆、そう言っている、と。
「何か、不吉な謂れでも?」
詳しくは知らないが……そう前置きして、男は言葉を継いだ。
「あそこが空き家になったのは、俺が生まれるよりも前――彼此四十年は前の事だからなぁ。実際に何があったのか、知っているもんは居ねぇだろう。只、婆の夜話に聞いた所じゃあ、昔あの家には美しい娘がおったが、旅人を装って入り込んだ夜盗に殺され、世を恨んで化けて出るとか、その娘の許嫁がその所為で気の病になり、あの家でもう来る筈もないだろうに、夜盗を待ち伏せ……誰彼構わず、近付くもんを鉈で切り付けていたとか……。まぁ、あそこに近付けさせない為に怖がらせようと、些か大袈裟に話を作ってたんだとは思うがね」
「では、人が帰らないのはその許嫁の男の所為で?」
「最初はそうだったかも知れねぇが……。言ったろう? 四十年は前の事だって。もし夜話が本当だったとして、当時その男が幾つだったか迄は知らねぇが、それなりの歳だったろうよ。生きていたとしても老人だ。旅慣れた上にあんな所に泊まろうなんて豪胆な流れ者達がそうそう、寝首を掻かれるかい?」
ま、その男が幽鬼にでもなってりゃあ、簡単だろうがな――そう苦笑して、男は畦道を行ってしまった。
黒尽くめの青年――至遠は暫しその場で黙考した後、村外れへと、足を向けた。
だから地方は嫌なのよ――琳璃は憤然と、重々しい息を吐き出した。
北部のやや大きめの地方都市で噂を聞き、訪れたのは小さな寒村。住人はやや歳の行った者が多く、全体的に物静かと言うか、寂しげだった。
子供が居ないからだ、と彼女を村に案内した街の役人は言った。
ここ数箇月、小さな子供達が姿を消している。村の者は神隠しだと言っているが、貧しい山村の事、口減らしの疑いがある、と。
親も子も食うや食わず、その日の暮らしにさえ苦慮する、こんな小さな村では、明日の事よりも先ずは「今」が優先される。今現在は働き手にならぬ小さな子供より、働き、そしていずれまた子を成す事も出来る大人を生かそうとする訳だ。
とは言え、それは許される事ではない。法的にも、人道的にも。だからこそ役人はその証拠を押さえようと、琳璃を伴ってやって来た訳だが……。
「もし子捨てが行われているとしたら、怪しいのは村の外れの沼ですかね」役人は村の北東を指差して言った。「寂しげな場所で、水も綺麗ではなく農作業にも向かないので、普段近付く者は殆どない様ですし」
「深いの?」
「深い……と言いますか、底に泥が溜まっている様で、迂闊に足を踏み込むと、大人でも抜け出すのは困難かと」
「じゃあ、事故の可能性もあるんじゃないの?」
「あんな寂しげな場所に子供だけで行くとは思えませんが……。子供だけで行かないよう、言い付けてもある筈ですし――本来なら。それに、子供達が消え始めたのは、春先の長雨の所為で作物の育ちが悪くなった頃からでした。私はそこに作為的なものを感じてしまいます」
「なるほどね」琳璃は頷いた。「それにしても、この村の事、詳しいのね」
「実はこの村の出身でして……私の幼い頃にも、飢饉の際、近所の子供達が……消えました」
「聞いたかい、また邪魔が入ったんだってよ」
「またかい? これで何度目だい? 諒元さん、がっかりしてるだろうねぇ。気の毒に」
「諒元さんも気の毒だけど、この分じゃあ、いつになったら出来上がるんだろうねぇ。お社は。後少しで完成だって時に……」
井戸端会議が続く傍らを、黒髪、黒い着物の青年は通り過ぎた。肩には黒い猫が器用に均衡を取りながら、乗っている。
と、その後ろを、物陰に身を隠しながら歩く男が一人。真剣な表情で、前を行く青年を尾行している様なのだが、、あからさま過ぎて井戸端会議の婦人達にさえ、新たな話題を提供してしまっている。
「あれ、諒元さんとこの若いのじゃないか。棟梁が大変なのに、何やってんだろうねぇ」
「お社建立の邪魔をする奴を捕まえるんだって、意気込んでたそうだけど……。ありゃ、無理だね」
「前を歩いてるのはこの村のもんじゃないけど……。はて?」
二人の男達はゆっくりと、彼女等の視界を横切って、村の中心の社の方へと消えて行った。
「言って置きますが、私がこの村に入ったのは、ほんのさっき――今日の昼前の事ですよ」
社を囲む、こんもりとした杜に足を踏み入れた時、青年は振り返ってそう言った。井戸端会議に夢中の婦人達に見咎められる程度の尾行、当の本人に気付かれても無理もない。
冷や汗をかきつつも精々平静を装い、男は覚悟を決めて姿を現した。
「いや、その、疑ってる訳じゃないんだが、見慣れない奴が居るんで……その……」しどろもどろの言い訳が口をつく。
「問題なのは先程、井戸端会議のご婦人達が噂していた件ですか? お社の建立が遅れているんですか?」
「あ、ああ」彼は頷いた。「うちの棟梁が抱えてる件で、もう殆ど出来上がってるんだ。そりゃあもう、街のお社にも引けをとらない立派な出来でさ、正に完璧に……。なのに、山門の一部が、後少しって所迄造っても、翌日行くと壊されてるんだ。それでまた、造り直し……。賽の河原の鬼にでも会った気分だよ」
ここ迄丁寧に仕上げてきて、邪魔が入るのが嫌だからとやっつけ仕事になってしまっては、結局犯人に負けた様で業腹だと、諒元はその工程に関して手抜きを一切認めない。結局その分、余分に日程が掛かってしまっているのだと言う。
「兎に角犯人を見付けて、締め上げてやろうって、こうして怪しい奴を探してるんだが……。ところで、何でこっちに? この先は問題のお社しかないぜ?」疑惑は完全に捨ててはいないと、男は青年を見遣った。
「何、そのお社を見せて貰おうと思っただけですよ」そう言って、至遠と名乗った青年は微笑んだ。
「不躾な事をお尋ねしますが……誰かに恨まれる覚えでもおありですか?」
黒髪に黒衣の青年にそう問われて、蓮香ははっと、息を飲んだ。
旅の者らしい彼とはつい先程、知り合ったばかりだった。それでいていきなりこの様な質問を受けるには、当然それなりの理由があった。
数日来、彼女は物言わぬ影の様なものに脅かされていた。それは気が付けば只じっと、彼女の傍らに佇んでいるだけではあったのだが、真っ黒な影の様でありながら、彼女に対する視線を感じるのだ。それも怒りに満ちた、刺す様な視線を。
この国では――他国では違う様だが――大概の者は霊を見る事が出来る。だが、それは死霊でもない様だった。そして何より、その姿を見る事が出来るのは蓮香だけだった。
影に付き纏われるようになって初めて、その気配を捉えた他人が、目の前の黒衣の青年、至遠だった。
夕暮れの街、軒先をを歩いていて、突然音を立てて落ちて来た屋根瓦に回避する事も出来ずに固まっていた彼女を、通りすがりの彼が安全な所迄引き寄せてくれたのだ。
そしてせめてものお礼にと立ち寄った茶屋で、先の質問が出たのだが……。
「はい……」彼女はどこか寂しげな微苦笑を浮かべて、そう答えた。
板壁の所々が破れており、そこから差し込む光の中に浮かび上がったのは数知れぬ人形、人形、人形……。造りも大きさも様々な人形が所狭しと並べられている。人形師等の手によるものではなく、一体一体、手作りの様だ。布で作られたもの、木を彫って作られたもの、どことなく顔に似た形の石に更に目鼻を強調する模様を描いたものなど種々雑多な人形の群れ。
中には吹き込んだ風雨によるものか、獣の仕業か、倒れて傷んだものなどもあるが、殆どは恐らく置かれた時の儘なのだろう、整然と安置されている。
寺が放置された頃からあったものなのだろうか。厚く埃を被り、着物は色褪せ、顔もくすんで紅など落ちてしまった様だ。
青年――至遠の足元の黒猫白陽が恐る恐る手近な人形にちょっかいを出そうとして、至遠の腕に抱き止められる。
「白陽、これは玩具じゃないよ。多分、玩具にしてはいけないものだ」そう言い聞かせつつ、至遠は他に今宵の塒に出来そうな部屋が無いか、視線を走らせる。例によって胡散臭そうに彼を見る村人から、それでも此処ならと教えて貰って来たのだが、流石にこの本堂では落ち着けそうにもない。
脇の廊下から、かつて住職が使っていたのだろう住居に行ける様だった。至遠は白陽を抱いた儘、そちらへ向かった。幸い、行き着いた先の部屋には人形は一切無く、年月による老朽化も、床板が一部歪んではいるものの許容出来る程度のものだった。些か臭いが澱んではいるが。
此処ならもしもの雨露も凌げる、と頷いていると表の本堂の方から声が掛かった。
おや、と思いながら出てみると、この寺を教えてくれた男と、どこか男と似た風貌の若い男。
彼は楊雪と名乗った。
一夜の宿と決めた村外れの空き家。辛うじて使える囲炉裏端では旅の連れが火を熾し、雨に濡れた黒衣を乾かしている。
白陽はひょいと縁側から外へと身を躍らせた。
極力雨に濡れぬよう、物陰沿いにと進んで行く。雨に濡れるのはやはり好きではない。密に生えた漆黒の毛が水を含み、ぺたりと冷たく張り付く。
それでも先程聞こえた声が気になって、白陽はその方向へと脚を進める。
それは小さな子供の声だった。それも、人間と、猫の。
薄い板塀を回り込んだ時、その声の主の一人が目に入った。丈の短い着物を着た七つばかりの男の子。雨から身を守る物も持たず、時折しゃくり上げながら泣いている。
彼の目の前には小さな袋小路。板切れ等が立て掛けられ、ちょっとした雨宿りや子供の隠れ家には打って付けの場所になっている。だが、件の子供はそこには入らず、只雨の中、泣いていた。
そして、板切れの陰からは、人の赤子の声にも似た、仔猫の声――だが、それは幻だと、白陽は耳を動かして振り払う。だが、その哀しげな鳴き声はなかなか頭から離れない。
白陽は進み行き、子供の脚に濡れた身体を擦り付けた。
「でも、興味は持ってたみたいでね、村一番の年寄りのじっちゃんの所へ行って相談したかったらしいよ。けど、じっちゃんはこの間から伏せってたから会えなかったんだって」
「でも、昨日辰巳の方角の魔物退治についての説明を、村長と一緒に、先述する筈だったみたいですよ。結局、さっさと行ってしまったんですが」
村の子供達からが口々に述べる、思い思いの報告を、黒髪、黒い目、黒い着物の青年は微苦笑しながら、頭の中で再構成した。
「要するに、この村の辰巳の方角の森に魔物が現れて、その退治を村長さんに頼まれた術師さんは確かにやり遂げるとは約束しなかったし、出発に先駆けて村長と一緒に説明する筈だったのをすっぽかした、と。けど、事件に対しての興味はあったらしい……と」
うんうん、と子供達が頷く。
「問題はそれが昨日の事で、件の術師さんは未だ戻らず、今日の夕方には未だ魔物の声が森に響いていたって事か……。返り討ちに遭ったのでなければいいが……」
また、うんうん、と子供達が頷く。
ぱちぱちと火が爆ぜる、囲炉裏端での夜話。三人もの子供を抱える家に招じ入れられた今宵の宿代代わりと、至遠はそれを聞いていたのだが、どうもそれだけに終わりそうにない、と内心苦笑を滲ませていた。
少し夜の散歩に出て来るから、と言い置いて、彼同様に黒い姿の相方を肩に乗せ、至遠は家を出た。心配する声に振り返り、大丈夫、と声を残して。