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〈2007年9月16日開設〉 これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。 尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。 絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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「今年も咲かないのかなぁ」一枚の葉も纏わぬ木を見上げて、さくらは言った。
 庭の一角に長年生えている一本の桜の木。十六年前に彼女が生まれた時、その余りの花の見事さに祖父が予め考えていた名を変更して迄、孫娘にその名を付けた程の美しい木だったのだが――それ以来、この木が花をつける事は、何故か無かった。
 寿命を迎えるには未だ未だ早過ぎ、さりとて病気の兆候も見られない。何故花を結ばないのか、庭木には詳しい祖父にも皆目見当が付かないと言う。
「どうしてなのかなぁ」ある意味では自らの名付け親とも言える花を、是非見てみたいとさくらは毎年、木を見上げる。しかし桜の木は僅かにその樹皮に紅を色付かせるものの、その色が花に昇華する事は無かった。
 早い所ではもう花便りが聞かれ、テレビの中継車は浮かれた行楽客を映し出している。この辺りも最近の暖かさならそろそろ……と言われているのだが。
 今年も駄目なのだろうか、とさくらは肩を落とした。
 そして、また今年もあの夢を見るのだろうか、と。物心付いてからずっと、誕生日の度に見続けている夢を。

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 春の雨が枝を叩く。
 その音に誘われる様に私は窓を開けた。その儘、窓辺に佇む私の頬に、柔らかい雨が降り注ぐ。
「何してるの」僅かに咎め立てる様な声と共につかつかと歩み寄って来た母が私を押し退けて、窓を閉めてしまった。私はそっと、溜め息を漏らした。
 養母もそんな私に態とらしい溜め息をついて見せると、さっさと元居た椅子に戻って行った。全く困った子だわ、そんな呟きが口元に浮かんでいた。
 私も元の席に戻り、ミルクに口を付けた。
 母の言う事も解っている。雨が降ると言うのに窓を開けるなんて、おかしい事なのも解っている。私も絨毯も濡れてしまい、この家の家事全般を取り仕切る母の手間が増える。ぼやきたいのも解る。
 それでも、私は春の雨が好きだった――前は、あんなに雨が嫌いだったのに。

 丁度一年前だろうか、この家に来る事になったのは。
 それ迄の私は降り頻る雨を憂鬱に見上げ、冷たい雨に震えていた。
 雨は嫌いだった。冷たくて、身体が濡れて、寒くって……。街も灰色に沈んで見えた。
 そんな中、小さな手だったけれど、差し伸べられた手は温かかった。
 尤も、その手の主の女の子に連れて来られたこの家では、養母の甲高い声が待っていたのだけれど。小さい身体を更に縮こまらせる彼女の横で、私も小さく震えていたっけ。
 けれど、養母は結局、私の事を認めてくれた。

「あの子がね、あんなに強情に何がしたいかはっきり言ったのは初めてだったの」私しか居ない時、養母はそっと語り掛けてくれた。「いつも大人し過ぎて……。私が厳し過ぎるんじゃないかって――あの子の心を押し込めてしまってるんじゃないかって、少し心配だったんだけどね。よかった……本当にしたい事は、ちゃんと言える子で」
 そう言って微笑んだ養母の顔を、私はずっと覚えている。優しくて、温かくて――春の雨の様だった。
 だからつい、こんな雨の日には窓を開けたくなってしまう。温かい雨に触れたくて。
 サッシ窓は端っこに上手に出した爪を掛けないと、この肉球では開け難いけれど。

                      ―了―

 にゃん(=^・×・^=)

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 闇に濃く蟠る夜霧は、僕の視覚も惑わせた。だからこれはきっと……錯覚なんだ!――岩場に腰を落とし、頭を抱えて僕は自分にそう言い聞かせた。錯覚に過ぎない、と。

「この山間で霧に遭遇したらけっして殺生をしちゃいかん……この近辺には、そう昔から伝えられておるよ。それが人であれ獣であれ、どれ程小さなものでもいかん。どんなものであったとしても」

 そんな山の麓に張り付く様に広がる村の、古老の言葉が脳裏に蘇った。山の天候や危険箇所といった地元の人間の生きた情報を貰い、さて出立しようかと腰を上げた所に掛かった言葉だった。僕はぎくりとして振り返ったものだ。それが不吉な警告の様な気がして。 
 だが、彼の無自覚な警告は活かされる事なく、僕は当初からの計画を実行してしまった。
 詰まり、山頂の湖にて、別の登山口から登頂して来た旧友を――突き落とした。彼は決して金鎚ではなかったが厚い防寒ジャケットや荷物が自由を奪い、程無く、水に没した。
 お誂え向きの霧に紛れ、僕は冷たい湖面を後にした。
 数年振りの再会の演出としてそれぞれ別の登山ルートを取るよう計画した事、霧の多い山間を選んだ事、全てがこの為だったのだ。かつての僕への仕打ちを忘れ、軽々と誘いに応じて来た彼の愚かさに口角が歪む。
 未だ、親友だなどと思っていたとは……。

「昔、裏切ったのはお前の方じゃないか」霧に巻かれ、道を失い、僕は一人、呻く様に言った。「……虐めに遭っていたクラスメートを、一人一人なら非力でも、二人なら助けられるとか何とか言って……先に逃げ出したのはお前の方だった。結局僕はそのクラスメートと共に、高校の三年間、ターゲットにされ続けた。お前もそれが怖くなって逃げたんだよなぁ? そして僕の助けを求める視線をお前は避け続けた。卑怯者だよ、お前は」
 それでも、その視線が耐えられずに苦しんでいたんだ――奴がそう言った様な気がした。
「だから? 僕以上に苦しんだとでも言うのか? あの下らない連中に毎日毎日、嫌な目に遭わされてきた僕より?」
 なら、俺よりその連中を……。
「殺せって? どこ迄も逃げる気かよ。確かに奴等は今でも憎い。けど……それ以上に、お前が憎いんだよ! 虐められてた奴を庇えば、今度は僕達がターゲットにされるかも知れない、それはお前もよく解ってたよな。そして実際に矛先がこっちに向いてきたら、さっさと尻尾を巻いて逃げたんだよ、お前は! 解っていて僕を誘い、解っていて僕を見捨てた――奴ら以上に、お前が憎い」
 …………。
「それなのに、この間電話したらあんなに喜んで!」遂に僕は叫んでいた。「殺す為の呼び出しだったんだぜ!?
 この数年間ずっと忘れられなかった恨みを晴らす為の……! なのに、こんなほいほいと誘いに乗って……! お前は忘れてたとでも言うのか? 僕にした仕打ちを! 僕の恨みの籠もった視線を!」
 忘れてなんかいない……だからこそ、連絡があって、嬉しかった。赦してくれた訳じゃない……そう解っていても。
「解っていても……?」僕は顔を顰めた。「いいや、解っている筈がない。解っていたら来なかった筈だ。こんな霧の多い山、それも湖の畔なんかに……。況して僕に背を向ける事なんて……解っていたら……」

 呼吸が苦しい。頭が混乱する。
 もしかしたらあいつは僕に恨まれている事、それが殺意に迄達している事、全て解っていたのかも知れない。解っていて――いや、そんな馬鹿な!
 激しく打ち振った頭から、汗の雫が落ちる。嫌な汗だ。
 僕はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。
「お前は……何で来たんだよ!?」
 来なければよかったのに。いっそ忘れていてくれたら……。殺さずに済んだのに。
 僕は、我知らず獣の様な咆哮を上げていた。
 錯覚に違いない。きっとブロッケン現象か何かだ――そう思うのに、思いたいのにそう見えてしまう、霧の空に浮かんだあいつの顔に向かって。

                      ―了―

 夜霧の視界は360度錯覚ー!(笑)

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 春先の連休を利用しての旅は、それなりに順調だった。
 細かいコースは現地で決める、本当に気儘な一人旅。勿論、それだけに宿や移動手段の手配迄、自分一人でしなければならないし、飛込みでの泊まりを満室だからと断られる事もあったが。それでも概ね、順調だった。
 この田園風景広がる、長閑な村で足止めを食う迄は。

「あれ? バス停……」俺は記憶を検めながら、周囲を見回した。
 田を休ませている間だけなのだろう、赤紫の蓮華の花が咲き揃った田圃の中をやや広めの道が一本。更にそこから枝分かれする様に、畦道が規則正しく延びている。その延び行く先は点在する古民家だったり、新緑の林だったり……。
 その広い道の真ん中に突っ立って、俺は途方に暮れていた。
 この村に俺を運んで来たバス。特に行く当ても無く、一面の蓮華に誘われる様に此処で途中下車したのだが――そのバス停が、無い。
 記憶違いだろうか? 村の景色は殆どが緑に彩られている。初めての村で、あちらこちらと散策していたのだ。戻る道を間違えても不思議は無いのかも知れない。
 しかし、これ程の広い道は他には無かった筈なのだが?
「おっかしいなぁ」頭を掻き、ぼやきつつも俺は辿って来た道順を思い起こす。「……やっぱりこの道だよなぁ」
 しかし、どう見ても、道にはバス停の跡も、その傍らに設置と言うより放置されている様な錆の浮いたベンチも、見当たらないのだった。
 俺は溜め息をついて、正しい道を訊く為に一番近い民家を目指した。

「すみませーん」庭を覗き込んで、俺は声を掛けた。門柱はあるが、インターホンは見当たらなかった。
 しかし、庭にも縁側にも人の姿は無く、俺の声に応えてくれる者も無かった。只長閑に、鶏が草を食んでいるだけだ。
 再度声を掛けつつも、庭に足を踏み入れる。昔造りの広い家だ。聞こえないのかも知れない。
 と――いつからそこに居たのか、門柱の陰に老婆が一人、佇んでいた。余りにひっそりとした登場に、俺は飛び上がった。さっきから居たのに気付かなかったのか……?
「あ、す、済みません。道を教えて頂きたくて……」慌てて頭を下げる。「勝手に入って済みません。それであの……バス停がどこか、教えて頂けないでしょうか?」
 す、と手を伸ばし、老婆は俺が元来た道を、指差した。
 帰れ、という事なのかと――機嫌を損ねてしまったかと焦ったが、釣られて見遣った先には、確かにバス停。
 え? そこは確かにさっきの広い道で……さっき無かった筈の物が、今はある。バス停も。ベンチも。
 内心首を捻りながらも、俺は無口な老婆に礼を言って、その家を後にした。

「おかしいよなぁ。俺の目、どうかしたんだろうか」足元の悪い畦道を辿りながら、俺はぶつくさと呟く。「それにしたってあんな大きな物が見えないなんて事……あれ?」
 広い道にぶち当たり、顔を上げたそこには、またも何も無い、道。
「な、何で……」きょろきょろと辺りを見回すも、先程あの家から見たバス停もベンチも、その欠片すらも見当たらない。「どうなってるんだよ……?」
 足元に留意して、下を向いて歩いている内に消えた?――そんな馬鹿な!
 もう一度、さっきの家で訊いてみようか。そうも思ったが、何も言わずにこの道を指差した老婆への薄気味悪さが心に浮かび、俺は別の小道を辿る事にした。

 その別の民家でも先程と同じ対応を受け、更に言い知れぬ気味の悪さを感じながら、俺は元の道に戻った。
 そう、その家からも、この道にバス停が見えたのだ。確かに。
 そして今度は多少の足元の悪さも我慢しつつ、バス停を視界に捉えた儘、真っ直ぐ歩いて来た。
 だが、いつからなのか、俺の意識が捉えない内に、またもやバス停とベンチは跡形も無く、消え失せていた。
「どうなってるんだよ?」辺りの蓮華畑に、都会よりも早く夕闇が忍び寄る中、俺は頭を抱えた。「何で? いつ消えた? 何故……!」
 遠くから見ればあるのに、いざ来て見ると無い。そんな騙し絵の様な、バス停。
 しかしそれを見付けなければ、俺はこの村から出られない。いや、この道を辿って行けば、いずれは出られる筈なのだが――そんな気がしなかった。
 今の俺には、この道そのものが騙し絵で、どこ迄歩いても何処にも辿り着けない様な……そんな気がしてならなかった。
 徐々に深くなる夕闇を頭上に、どこかに宿を請うべきだろうかと考えたが、あの無言の人々に、そして夕闇迫りつつあると言うのに灯一つ点かない家々に、俺が感じるのはやはり、薄気味の悪さだけだった。
 そして俺の脚がやっと踏み出した一歩は……。

 道はどこ迄も延びている。
 村を囲んでいるらしい林を突き抜け、只々、真っ直ぐ――左右に規則正しく枝分かれする畦道を延ばしながら。
 バス停は、未だ見付からない。

                      ―了―

 こんな村嫌だー(--;)

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 背負った罪と、彼女から投げ付けられた言葉を一時も忘れられずにいる心労を、今は少しでも癒したかった。

「綺麗な夕陽だ……」ベランダのデッキチェアに深く腰掛け、私は溜め息を漏らした。
 マンションの高層階の我が家からは朱色に染まった街並みが一望出来る。無機質な灰色のビルも、古くからある民家も、アスファルトも、全てが平等に染められている。いつも眺めているのに、丸で異国の街並みの様な錯覚を起こす。
 穏やかな夕刻だった。
 二人の子供達は既に私達の手を離れ、それぞれに海外で家庭を持っている。そうだ、彼等が住むのはこんな街かも知れない。紅い街――どこか乾燥した空気を、私も嗅いだ気がした。
 その思い付きを、紅茶のセットを持って来た妻に話した。
「まあ……」長年連れ添った妻は、盆をテーブルに置くと、ゆったりとした足取りでベランダの端に行き、高い手摺り越しに下界を眺める。「本当、綺麗な街ね」
「紅いのはきっと砂なんだ」目を閉じて、私は言う。「紅い砂の大地に、その砂から作ったんだろうな、紅い瓦屋根を載せて、白い土壁の家々が並んでいるんだ。土壁に紅が映えて――!」
 燃え立つ様に美しく――そう続け掛けて、私は言葉を途切れさせた。

「い、いや……あの子達が住むのは、こんな紅い街じゃないかも知れないな」
「あら……そうなの? あの子達ったら、一度も絵葉書を送ってくれないのだもの。いつも貴方のパソコンにメールを送ってくるだけ。それも文字だけなんだもの。どんな所に住んでいるのか、どんな暮らしをしているのか、知りたいのが親心なのにねぇ」彼女は一つ、吐息を漏らす。「写真も送ってくれないし……」
「そうだな」私は同意の溜め息をついて見せた。
「それにいつ日本に戻って来るのかも解らないし……。突然出て行った切り!」彼女の愚痴は続いた。「もう何年、顔を見てないのかしら? 孫達もさぞかし大きくなったでしょうに」
「そうだな……。今度、メールしておくよ」
「お願いしますね」屈託なく、彼女は微笑む。「私機械って全く駄目で……。パソコンなんて触るのも怖いんですもの。精密機械って繊細なんでしょう? 私、うっかり壊してしまいそうで」
「ああ、解ってるよ」私は深く頷いて見せた。彼女のその、幼い子供の様な微笑みを、まともに見ていられなくて。

 彼女が機械に極端に弱いのは、私にとっては好都合だった。
 私が偽造したメールを見せても、気付く事無く彼女は嬉々としてそれを読んでいる。しかし、確かに文字だけのメールでは、限界だろうか。せめて風景写真だけでもどこかから拾ってきて、添付するか……。
 しかし、紅い街は駄目だ――燃え立つ様な紅い色……それは彼女に、彼女自身が封じた記憶を呼び覚ます切っ掛けになるかも知れない。
 それは――嫌だ。
 もう、子供達や孫の姿を見る事も無いと、帰って来る事など無いのだと、彼女に思い出させるのは。
 そして何より、全てを思い出した彼女に、再びあの言葉でなじられるのは。
 私は卑怯だ――それは自覚している。弱い人間なのだと。
 だからこそ忘れ去る事も出来ず……ああ、記憶の中の彼女の言葉が、またも胸に突き刺さる。

『人殺し! 子供達が久し振りに集まってくれたって言うのに……そんな夜に火事を起こすなんて……! 何故よ!? 何故私達だけが残らなきゃならないの? あの子達が……居ないのに……!』
 そう言って泣き崩れた彼女は、精神的なショックの所為だろう、数日間高熱に浮かされ、それが下がった時には……あの夜からの記憶を失くしていた。それは辛い現実からの逃避だったのだろう。
 そして私は、卑怯にもその記憶の喪失を利用した。
 突然の転居、子供達家族の転勤、出国……彼女に対して誤魔化さねばならない事は山程あった。それでいて現実の火災と息子達の死にも、社会的に対処しなければならない。それに忙殺され、あるいは知恵を巡らせる事で、私も現実から逃避していたのかも知れない。
 何よりも、彼女の言葉からの逃避――しかし、一度私に刻まれたそれは、もう消える事は無かった。
 彼女の微笑さえも、棘の様に私を苛む。
 彼女を騙す私の言葉が、私の頸を絞める。
 彼女の言葉が……私を殺す。じわり、じわりと。

 だから、今だけはこの美しい街の景色に癒されていたい。直、暗闇に閉ざされるとしても。

                      ―了―

 夜霧サン、私を癒して下さい(無理)

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 いにしえの昔より「病は気から」と申します。
 無論、それだけで片付かない病は数々ございますが、逆に片付く病もまた数多あまた
 だからこその身代わり、形代、移し身……何と呼んでも構いませんが、詰まりは、依り代でございます。
 その代表的な物が、ほれ、この人形。
 雛人形、市松、ちょっと偏った所では藁人形……いずれも人の姿を映し取り、それを通じて身に降り掛かる災いを転じようとした物。藁人形だけは、方向が逆でございますが……。
 人形が難を、疫を引き取ってくれる――そう信じるだけでも人の気は軽くなり、心労の減ったお陰か病も軽くなる。単純な思い込み、そう思われますでしょうが、それでも、未だに流し雛の習慣などは残されておりますな。
 それはやはり、どこかそういった心気があるからやも、知れませんな。
 ほれ、今年も和紙で作られた依り代が、色んな思いを引き受けて、小さな船で一方通行の旅に出る所です。
 ……何処に行き着くのでございましょうね? 人々の思いを抱えて。 

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 独り暮らしの狭いワンルームから、久し振りに里帰りした実家には、例年に倣って広間に雛壇が設えられていた。
 我が家に代々受け継がれてきたもので、今は一人娘の私の為に、母が用意しては見においで、と里帰りに誘う。七段にも及ぶ雛壇を飾り付けるのは、決して容易ではないだろうに。父は壇を形作ったら、後は母任せだ。
 丁寧にしまわれている雛人形を傷付けないよう、細かな細工にも気を配って飾り付ける。昔からそれは母の仕事で――そしていずれは私の仕事になるのだろうかと、母を遠巻きに見ながら、子供心にも思っていたものだった。
 漠然とした不安の様なものを抱えながら。
 
 代々受け継がれてきたお雛様は丁寧に扱われてはいても経てきた年月は隠し難く、造られた当時の主流だったのかどうか、お顔も優しくはない。細い目、きりりとした唇、高みから見下す様なその表情。
 友達を呼んで雛あられや子供用の甘酒を楽しんでいても、どこかで、その威圧的な視線を感じていた。
 人形は雛壇の上、私は小さい。当然見上げる形になった。だからそう感じるのだろうと、当時は自分に言い聞かせていたのだけれど……大学に入り、独り暮らしを始める頃になっても、それは変わらなかった。
 それは気品というものよ――私が十歳の頃に亡くなった祖母はそう言っていた。気品ある雛人形。それは受け継いできた彼女にとっても自慢だったのだろう。幼い私は「新しいのがいい」と駄々を捏ねて困らせたりもしたけれど。その翌年、祖母は急死した。人形店のパンフレットに突っ伏す様にして。

「ひな、今夜は泊まって行けるんでしょう?」母が訊いた。
「うん、大丈夫だけど……何?」
「お雛様。明日にはもう片付けるから、手伝って貰おうと思って。ひなだってちゃんとした仕舞い方とか、そろそろ覚えて貰わないとね。お母さんだってもう歳だし」そう言って母は苦笑いする。見た所具合が悪そうでもないけれど……不安が顔に出たのか、母は慌てて頭を振った。「ああ、別に死期を悟ったからなんて言うんじゃないからね。未だ未だ死ぬ気無いもの」そう言って、笑う。
 私はほっとすると同時に、とうとうこの時期が来たのかと、やはり不安になる。
 あの雛人形を、私が仕舞い、そしていずれは飾り付け……。
「緊張するなぁ」気を紛らわそうと、私は笑って言う。「時代のあるお雛様だもんねぇ。傷でも付けたら祟られそう」
 馬鹿な事を言うもんじゃありませんよ――そう言って苦笑してくれる筈だった母は、しかしさも当たり前の様にこう言った。
「そうそう、だから気を付けてね?」
「……」私は黙って頷く事しか出来なかった。

 かつて、私が困らせてしまった祖母。もしかして死の間際に彼女が見ていたパンフレットは、私の為の新しい雛人形の品定めだったのだろうか?
 そして……だから……?
 翌日、私は――丸で神事を行なう様に厳かな母の所作を、その一挙手一投足を注視した。
 決して、傷など付けないように……。
 無事にお焚き上げでもしてくれる寺社が見付かる迄は。
 怖いけれど、大好きだった祖母の急死に関わっているとしたら……私は雛人形の細い目を、そっと、それでも目を逸らす事無く見返した。

                      ―了―

 雛祭前日に何でこんな話やねん(^^;)
 でも、時代のある雛人形って……怖くないですか!?

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プロフィール
HN:
巽(たつみ)
性別:
女性
自己紹介:
 読むのと書くのが趣味のインドア派です(^^)
 お気軽に感想orツッコミ下さると嬉しいです。
 勿論、荒らしはダメですよー?
 それと当方と関連性の無い商売目的のコメント等は、削除対象とさせて頂きます。

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