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割合大きな横断歩道の向こう側で、赤い傘の下、こちらに向かって懸命に手を振っている女の子が居た。何か呼び掛けてもいる様だが、生憎の雨の音と、水溜りをものともせず走る車の音で聞こえない。
見た所、小学三、四年生位――僕と同い年位だ。
そう言えばどこかで見た顔の様な気もする。同じクラスではないが、同じ学校の同学年なのかも知れない。
でも、どうしたんだろう?
梅雨の日暮れ時、空模様の所為か、人影は疎ら。件の横断歩道に至っては、信号の変化を待っているのは僕と、対岸の女の子だけ。そんな状況だから、僕に向かって、手を振っているのには間違いないだろう。
何だろう? 何か困っているのかも知れない。
兎に角、この信号が変わったら、駆け寄ってみよう。
そして信号が青に変わり――駆け出そうとした僕は、ドジな事に慣れない長靴の所為で、危うく転びそうになった。水溜りに突っ込みそうになって、どうにかそれだけは避けるべく、危うい所でバランスを取り、踏み止まった。
その目の前、ほんの僅かの所を、トラックが猛スピードで走り去った。盛大な水飛沫を、僕に浴びせながら。
ぶるぶると頭を振って水を振り払うと同時に、僕はハッとした。もしあの儘、僕が駆け出していたら……。今僕の顔を濡らしているのは水ではなく、僕自身の血だっただろう。尤も、僕がそれを自覚出来たかどうか――その知覚が残っているかどうかは怪しい所だけれど。
どくん、と鼓動が跳ね上がった。
雨と傘で視界が悪く、雨音で聴覚も半ば塞がれていたとは言え、何でこんな不注意な事を……。
「そうだ、あの子!」
改めて対岸を見遣る。居ない。
もうこちらに渡ったかと、横断歩道を含め周囲を見回すけれど、赤い傘の女の子の姿は何処にもなかった。
真逆、あの子が事故に……? いや、そんな形跡は無い。僕がずぶ濡れで立ち尽くしている事を除けば、平穏無事な光景だ。
でも、僕に向かって手を振り、呼び掛けていた筈のあの子が、一体何処へ……?
ぞくり、寒気がするのは濡れた所為だけだろうか?
確かなのは此処に居ても仕方がない事。そしてこの儘では風邪をひきそうな事だった。僕は家に向かって、歩き出した。
あの子が何を言おうとしていたのか、疑問を抱えた儘。
* * *
只、それが疑問の儘であった方がよかったんじゃないかと、あれから一年経った今では思う。
この一年の間に例の横断歩道は無くなり、代わりに歩道橋が設置されていた。
何でも前々から事故が多発していた場所で、住民の要望も多々、あったらしい。僕が危うく轢かれそうになったあの日の一年前にも、女の子が事故で亡くなっていた。そう言えば、ニュースで見たかも知れない。あんたも気を付けなさいよ?――母にそんな事を言われた記憶が、微かに残っている。
そう、ニュースで……あの子の顔写真を見た。そんな記憶が……。
その顔写真が、慰霊と報告を兼ねてだろうか、暫くの間歩道橋脇に花束と共に安置されていた。
赤い傘のあの子。
君は何を言おうとしてたんだい?――そんな思いで、僕はそっと、手を合わせた。
そして、立ち去ろうとした僕の耳に、確かに届いた、声。
「こっちにおいで!」
―了―
交通安全祈願(-人-)