〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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今日、窓の外に見える夜霧は、近々旅立つ身となった我が吐息が如く白くも緩やかにたゆたい……それを眺めている内に――いや、眺めていられる内に、俺は彼女にメールしたかった。
別れのメールを。
だが、冬山で遭難して早くも二日が過ぎようとしている。
念の為を想定して多目に持参した保存食も底を尽き、今頼りになるのは、強風に頼りない音を立てるこの打ち捨てられた様な古びた山小屋と、その横に意外にも豊富に蓄えられていた薪だけ。
充電も残り少ない携帯電話は、疾うに圏外――無用の長物と化していた。
俺はぶるりと身を震わせた。
寒さの所為だけではない。小屋の中央の囲炉裏で、薪は勇ましくパチパチと爆ぜている。今はそれだけが頼もしい。だが、幾ばくかの寒さが凌げても、その火を絶やさない為には熟睡など到底出来ない事、食料が無い事、何より助けが来ない事が、俺に絶望的な事態を告げていた。
これだけ火を焚いていても、寒さは壁から、床から、しんしんと沁み込んでくる。吐く息が白い。そして、細い。
俺はこの儘……?
せめて下界に残して来た彼女に――戻って来ない俺を心配しているだろう彼女に、最期のメールをしたかった。
今迄心配を掛けてきた事への侘びと、今迄の礼を込めて。
それとも――別の誰かにあの事を伝えるべきだろうか?
別れのメールを。
だが、冬山で遭難して早くも二日が過ぎようとしている。
念の為を想定して多目に持参した保存食も底を尽き、今頼りになるのは、強風に頼りない音を立てるこの打ち捨てられた様な古びた山小屋と、その横に意外にも豊富に蓄えられていた薪だけ。
充電も残り少ない携帯電話は、疾うに圏外――無用の長物と化していた。
俺はぶるりと身を震わせた。
寒さの所為だけではない。小屋の中央の囲炉裏で、薪は勇ましくパチパチと爆ぜている。今はそれだけが頼もしい。だが、幾ばくかの寒さが凌げても、その火を絶やさない為には熟睡など到底出来ない事、食料が無い事、何より助けが来ない事が、俺に絶望的な事態を告げていた。
これだけ火を焚いていても、寒さは壁から、床から、しんしんと沁み込んでくる。吐く息が白い。そして、細い。
俺はこの儘……?
せめて下界に残して来た彼女に――戻って来ない俺を心配しているだろう彼女に、最期のメールをしたかった。
今迄心配を掛けてきた事への侘びと、今迄の礼を込めて。
それとも――別の誰かにあの事を伝えるべきだろうか?
そもそも、俺はこの山に一人で挑んだのではなかった。冬山登山にも慣れてきたとは言え、そこ迄の無謀さは持ち合わせていない。
大学の登山部OBとなった今でも付き合いのある五人の同好の士と、パーティーを組んでいたのだ。
それぞれに気の合う仲間だった――と思う。
気心の知れた、長い付き合い。だが、それは裏を返せば、お互いの妥協の上に成り立ったものでもあったのだ。喧嘩だってした事はある。諍いだって無かった訳じゃない。それでも、皆それを腹に収めてきたんだ。
だのに、それが解き放たれてしまったのは……最早限界だったのか、日常を離れて山の魔性に飲まれたのか……。
兎も角、いつも穏やかかつ頼りなさげに笑っていたあいつが、不意に仲間の一人にナイフを向けたのだった。
山頂の大きな山小屋で休息を取っていた俺達は、二人の姿が無い事になかなか気付かなかった。何しろそこには他の登山客も居たし、山頂からの眺めを楽しんでいるのだろうと、誰も気になど留めていなかったのだから。
ところがそろそろ下山ルートに入ろうかという予定の時刻になっても二人は現れない。
仕方ないなと探しに出た俺は、頂から僅かに下った岩場の陰に、二人の姿を見付けた。
そろそろ集合だぞ、と笑って声を掛けようとした矢先に目に飛び込んできたのは、白い顔で血に塗れ、恐らくは事切れていると思われる仲間と――紅く濡れたナイフを握り締めた、あいつ。その目がぎらりと俺を睨み付けた。それはいつもの穏やかさも、頼りなさも無い、強い意志に彩られた目。
感じられるのは強い殺意――それだけだった。
何があったんだ、とか、どうして、とか尋ねた気はする。だが、それに返答は無く、代わりに突き出されたのは俺への殺意を籠めたナイフ。
辛うじてその一撃を逃れた俺だったが、出立間近と背負った荷物の重さに体勢を崩し、岩場を転がり落ちる事となってしまった。尤も、その荷物のお陰で今迄生き延びられたのだが。
幸いにも岩場の陰に入った所為か、あいつは追って来る事はなかった。あるいは更に下迄転がり落ち、俺が死んだと思ったのかも知れない。ともあれ、この儘上に上がって見付かれば今度こそ刺される――俺は迂回路を通って山小屋に戻る心算だった。
それがどう道を間違えたのか……。
あいつはどうしたのだろう? 血塗れのナイフを持って、返り血も浴びて……山小屋に戻ったのだろうか?
いや、そんな事をすれば直ぐに身柄を確保され、警察に引き渡されるだろう。
それとも、俺同様、この山のどこかで寒さを凌いでいるのだろうか? いつもルートの手配など、雑事をこなしてきたのはあいつだった。あるいは此処以外にも、安全な隠れ家を見付けてあるのかも知れない。
いや、そうだとしてもいつ迄も隠れていられる訳はない。
パーティーから三人もの人間が欠けたのだ。当然捜索の手は伸びる。遺体を抱えて山道を逃亡するなど、考え難いし、血痕も消す余裕も無かっただろう。
それとも……未だ、俺を探しているのだろうか? 目撃者として、あるいは――始めから俺も始末する心算で?
ぶるり、身が震える。それを寒さの所為と自分を誤魔化して、俺は黒くなった薪を掻き回し、熾火を起こした。辺りを包んでいた冷気が僅かに、身を退く。
窓の外では相変わらず、白い霧が糸を引く様に棚引いていた。
暫し迷った後、俺は携帯電話のフラップを開けた。
電波は届かないとしても、メール本文に遺言を残す事は出来る。
この寒さにわななく指が、未だ動く内に……。
しかし電池も残り少なかった。急がなければ。短く、簡潔に……。
《今迄、ありがとう》
あいつの事は、書けなかった。
もしかしたら着替えも用意していて、何食わぬ顔で戻って行ったかも知れない。俺達二人の事なんか知らないよ、そう言っていつもの様に頼りなく笑っていたかも知れない。
けれども――あいつは、彼女のたった一人の兄貴だから。
俺には書けなかった。
短い言葉を書き終え、届きはしないのに彼女のメールアドレスを設定する。
そして……忍び寄る睡魔に遂に打ち負けようとしながらもその画面を見詰める俺の目に、不意に電波アンテナが立つアイコン。
「!」信じられない思いながらも、俺は反射的に送信ボタンを押していた。
メールが送信されました――味気ない文字が、今は福音に思える。
だが、それを最後に、アンテナは再び圏外を示し、電池も限界を告げた。
それでも俺は満足な笑顔を強張った顔に浮かべ、その儘、意識は夜に沈んで行った。
* * *
翌朝、携帯のGPSに僅かに引っ掛かった電波を拾い、捜索隊は携帯電話を大切そうに握り締めた一人の男を見付けた。あちこちに打ち身を負い、凍傷も起こしていたが、辛うじて、命に別状は無かった。
下界の病院に収容された彼を出迎えた女性は、涙ながらにその身体に縋り付いた。
意識を取り戻し、兄を知らないかと尋ねる彼女に、男はぽつりと答えた。
「山に……魅入られた」
仲間にナイフを向けられながら、男自身、そう思いたがっている様だった。
―了―
長くなった~☆
大学の登山部OBとなった今でも付き合いのある五人の同好の士と、パーティーを組んでいたのだ。
それぞれに気の合う仲間だった――と思う。
気心の知れた、長い付き合い。だが、それは裏を返せば、お互いの妥協の上に成り立ったものでもあったのだ。喧嘩だってした事はある。諍いだって無かった訳じゃない。それでも、皆それを腹に収めてきたんだ。
だのに、それが解き放たれてしまったのは……最早限界だったのか、日常を離れて山の魔性に飲まれたのか……。
兎も角、いつも穏やかかつ頼りなさげに笑っていたあいつが、不意に仲間の一人にナイフを向けたのだった。
山頂の大きな山小屋で休息を取っていた俺達は、二人の姿が無い事になかなか気付かなかった。何しろそこには他の登山客も居たし、山頂からの眺めを楽しんでいるのだろうと、誰も気になど留めていなかったのだから。
ところがそろそろ下山ルートに入ろうかという予定の時刻になっても二人は現れない。
仕方ないなと探しに出た俺は、頂から僅かに下った岩場の陰に、二人の姿を見付けた。
そろそろ集合だぞ、と笑って声を掛けようとした矢先に目に飛び込んできたのは、白い顔で血に塗れ、恐らくは事切れていると思われる仲間と――紅く濡れたナイフを握り締めた、あいつ。その目がぎらりと俺を睨み付けた。それはいつもの穏やかさも、頼りなさも無い、強い意志に彩られた目。
感じられるのは強い殺意――それだけだった。
何があったんだ、とか、どうして、とか尋ねた気はする。だが、それに返答は無く、代わりに突き出されたのは俺への殺意を籠めたナイフ。
辛うじてその一撃を逃れた俺だったが、出立間近と背負った荷物の重さに体勢を崩し、岩場を転がり落ちる事となってしまった。尤も、その荷物のお陰で今迄生き延びられたのだが。
幸いにも岩場の陰に入った所為か、あいつは追って来る事はなかった。あるいは更に下迄転がり落ち、俺が死んだと思ったのかも知れない。ともあれ、この儘上に上がって見付かれば今度こそ刺される――俺は迂回路を通って山小屋に戻る心算だった。
それがどう道を間違えたのか……。
あいつはどうしたのだろう? 血塗れのナイフを持って、返り血も浴びて……山小屋に戻ったのだろうか?
いや、そんな事をすれば直ぐに身柄を確保され、警察に引き渡されるだろう。
それとも、俺同様、この山のどこかで寒さを凌いでいるのだろうか? いつもルートの手配など、雑事をこなしてきたのはあいつだった。あるいは此処以外にも、安全な隠れ家を見付けてあるのかも知れない。
いや、そうだとしてもいつ迄も隠れていられる訳はない。
パーティーから三人もの人間が欠けたのだ。当然捜索の手は伸びる。遺体を抱えて山道を逃亡するなど、考え難いし、血痕も消す余裕も無かっただろう。
それとも……未だ、俺を探しているのだろうか? 目撃者として、あるいは――始めから俺も始末する心算で?
ぶるり、身が震える。それを寒さの所為と自分を誤魔化して、俺は黒くなった薪を掻き回し、熾火を起こした。辺りを包んでいた冷気が僅かに、身を退く。
窓の外では相変わらず、白い霧が糸を引く様に棚引いていた。
暫し迷った後、俺は携帯電話のフラップを開けた。
電波は届かないとしても、メール本文に遺言を残す事は出来る。
この寒さにわななく指が、未だ動く内に……。
しかし電池も残り少なかった。急がなければ。短く、簡潔に……。
《今迄、ありがとう》
あいつの事は、書けなかった。
もしかしたら着替えも用意していて、何食わぬ顔で戻って行ったかも知れない。俺達二人の事なんか知らないよ、そう言っていつもの様に頼りなく笑っていたかも知れない。
けれども――あいつは、彼女のたった一人の兄貴だから。
俺には書けなかった。
短い言葉を書き終え、届きはしないのに彼女のメールアドレスを設定する。
そして……忍び寄る睡魔に遂に打ち負けようとしながらもその画面を見詰める俺の目に、不意に電波アンテナが立つアイコン。
「!」信じられない思いながらも、俺は反射的に送信ボタンを押していた。
メールが送信されました――味気ない文字が、今は福音に思える。
だが、それを最後に、アンテナは再び圏外を示し、電池も限界を告げた。
それでも俺は満足な笑顔を強張った顔に浮かべ、その儘、意識は夜に沈んで行った。
* * *
翌朝、携帯のGPSに僅かに引っ掛かった電波を拾い、捜索隊は携帯電話を大切そうに握り締めた一人の男を見付けた。あちこちに打ち身を負い、凍傷も起こしていたが、辛うじて、命に別状は無かった。
下界の病院に収容された彼を出迎えた女性は、涙ながらにその身体に縋り付いた。
意識を取り戻し、兄を知らないかと尋ねる彼女に、男はぽつりと答えた。
「山に……魅入られた」
仲間にナイフを向けられながら、男自身、そう思いたがっている様だった。
―了―
長くなった~☆
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Re:こんばんは~
その手もあったけどさ~、此処は「俺」がどうするかを主体にしたいと思ってやめたっす。
Re:ほうほう・・・
はい。証人であり、被害者でありながら、彼女の事を思うと口に出せない……という。
Re:こんばんは♪
何とかこじつけました(^^)v
彼女には……いずれ告げなければならない時は来ると思うんですが、ギリギリ迄、口を噤んでそうですね。彼(^^;)
彼女には……いずれ告げなければならない時は来ると思うんですが、ギリギリ迄、口を噤んでそうですね。彼(^^;)
後に・・・
何も発覚されない事を祈るね!
黙っている事が一番に思うわ。
普通の精神状態でない時の出来事・・・
遭難も多い中、何でそこまで山に魅力があるのか分からないけど、
野性人もその1人で、何で??
”そこに山があるから・・・” 人の言葉使うなぁ~~ってね!
黙っている事が一番に思うわ。
普通の精神状態でない時の出来事・・・
遭難も多い中、何でそこまで山に魅力があるのか分からないけど、
野性人もその1人で、何で??
”そこに山があるから・・・” 人の言葉使うなぁ~~ってね!
Re:後に・・・
そこに山があるから登るのさ……全く解りませんが(苦笑)やはり某かの魅力があるのでしょう。あるいは……魅入られてる?
Re:こんにちは♪
有難うございます(^^)
どうにかこじつけましたよ☆
彼の選択を主眼に置きたかったので、再襲撃は無しにしました☆
どうにかこじつけましたよ☆
彼の選択を主眼に置きたかったので、再襲撃は無しにしました☆
こんにちは
ほほう、そうなりましたか。(笑)
実は昨日のコメ、負けず嫌いの巽さんだから、ああ書いておけば、意地でもなんか考え出すのではないかと。
ぷぷっ、大成功。(笑)
いやっ、ほとぼり冷めてからでも良いから、事実を話すべきでしょう。
どんどん話し難くなるし、別口からバレたとき「何で話してくれなかったの?」ってなるんじゃない?
ところで、私は冬山を経験したこと無いんだけど、大学の時に山岳部に所属していたヤツの話だと、事前に一度登って、食料を埋めてきたりするらしいよ。
ほんでもって、遭難の恐れがある場合、協会みたいな所に所属している連中は、学校とかに関係無く大動員されるらしい。
実は昨日のコメ、負けず嫌いの巽さんだから、ああ書いておけば、意地でもなんか考え出すのではないかと。
ぷぷっ、大成功。(笑)
いやっ、ほとぼり冷めてからでも良いから、事実を話すべきでしょう。
どんどん話し難くなるし、別口からバレたとき「何で話してくれなかったの?」ってなるんじゃない?
ところで、私は冬山を経験したこと無いんだけど、大学の時に山岳部に所属していたヤツの話だと、事前に一度登って、食料を埋めてきたりするらしいよ。
ほんでもって、遭難の恐れがある場合、協会みたいな所に所属している連中は、学校とかに関係無く大動員されるらしい。
Re:こんにちは
ほほう〆(。。)メモメモ
やはり事前の用意が大事ですな。
確かにね~。いずれはどこかからばれると思うし。そうなってからだと余計気まずい★
やはり事前の用意が大事ですな。
確かにね~。いずれはどこかからばれると思うし。そうなってからだと余計気まずい★
Re:無題
最後の奇跡という事で(^^;)
彼の念が通じたのかにゃ?
彼の念が通じたのかにゃ?
Re:雪山には
取り敢えず行方不明ですね。
皆の元には戻れずに山を彷徨っているのか、別の下山ルートから降りて……?
皆の元には戻れずに山を彷徨っているのか、別の下山ルートから降りて……?