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危険だから近付くなと命じられれば、絶対に近付かない――それが夕子という娘だった。本家の三人兄妹の末っ子で、おっとりした子ではあったが、そういう点では譲らない頑固さも持ち合わせていた。
それが何故、封鎖した上に、些かやんちゃな兄達も含めて再三の注意を繰り返してきたと言うのに、庭の枯れ井戸などに近付いたのか……。
古風な木造家屋の裏庭、家からはやや離れた所に、その井戸はあった。石の造りは未だ未だしっかりしているが、最早枯れてしまった上に深くて危険だと、滑車や釣瓶などは取り払われ、丈夫な角材で組んだ格子で蓋がされている。更に周囲には、子供達の接近を恐れてだろう、ぐるりとフェンスが張り巡らされている。一応一箇所だけ、戸口が付けられてはいるが、そこにも小さいながら、南京錠が取り付けられている。
そこ迄するなら、いっそ埋めてしまったらどうなのかと、私は従兄弟であるこの家の主に言った事があった。どうせもう水が湧く事も先ずなかろうし、湧いたとしても今更井戸水など使わないだろう、と。
だが、彼はちょっと困った顔をして、考えて置くと言っただけだった。
そしてやはり井戸は埋められる事なく――事故が起きてしまったのだ。
「やはりあの井戸は埋めた方がいいんじゃないかい? 二度とこんな事がないように」
「そうなんだが……」蒼い顔をした従兄は、何故だか歯切れが悪い。
「何か……埋められない理由でもあるのかい?」
「……悪い。これは、本家の者にしか、言ってはいけない事になっているんだ」そう言って、従兄は深々と頭を下げた。丸で私の顔を見ないようにするかの様に。
だから、言ってはいけないと言いつつ、某かの理由がある事を暗に認めた彼を、私はそれ以上、追及出来なかった。
今時珍しい位、うちは本家と分家の線引きがきっちりしていた。本家だからと威張り腐っているというのではない。寧ろ、本家筋だからこそ、家を支える為に懸命になっている様な所が、伯父や従兄達にはあった。無論、分家も更にそれを支える。そうして維持されてきたのだが……。
本家の者にしか言ってはいけない事――本家の者にしか知る事を許されない事が、この家にはあるらしい。
だが、そう言われれば知りたいと望むのが人情というもので、私はそれとなく、子供達に探りを入れてみようかと、子供達の姿を捜した。
だが――。
「駄目だよ?」足音さえなかった筈の背後から、不意に澄んだ子供の声が掛けられた。「危険だから近付くな――やっちゃいけないって教えられた事はやっちゃあいけないんだって、おじさんもお祖母ちゃん達に教えて貰ったよね? いけないって言われたのにやっちゃうと、痛い目に遭うんだよ?――あたしみたいに」
「夕子……ちゃん」ゆっくりと振り返りながら、私は感じていた。そこに居る夕子が、最早夕子ではない、と。
そんな私を屈託なく見上げて、にこりと笑うと、昨日、あり得ない事に掠り傷一つ無い姿で枯れ井戸の底から助け出された少女は、やはり足音も立てず、暗い廊下の先へと姿を消した。
……あの井戸の底には、何かが潜んでいたのかも知れない。
だが、それはきっと、この家にとって害にならないもの、あるいはこの家を支える為に無くてはならないものなのだろう。只、それは時折、見返りを要求するのかも知れない――取り憑ける、誰かを。
多分、それは人柱。この家の繁栄の為に、犠牲にされた誰か。
そして夕子もまた、人柱。その誰かを慰め、この家に縛り続ける為の、生贄として、呼ばれてしまったのだろう。
それが本家の者しか知ってはいけない、この家の暗部……。
夕子――あるいは別の誰か?――の言葉が脳裏に蘇る。
「いけないって言われたのにやっちゃうと、痛い目に遭うんだよ?」
知ってはいけない事を知ってしまった私は……どんな目に遭うのだろう?
―了―
あーつーいー(--;)