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〈2007年9月16日開設〉 これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。 尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。 絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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 祖母に買って貰った鯉幟は、未だ空を泳いだ事がなかった。
 
 ――都心のマンション暮らしなのに、こんな大きな物頂いても、建てる場所が無いじゃない。

 小学校に上がったばかりの頃、生まれた時に贈られたというその鯉幟の存在を知った僕がせがむと、母はそう言って、これ見よがしな溜息を漏らした。
 元々、田舎の父の実家での同居を予定していたのを、仕事の都合で急遽都心に出る事になった所為だろうか。確かにその鯉幟はマンションのベランダには少し、大きかった。
 祖母の家の庭なら、今頃悠々と空を泳いでいただろうか――そんな事を思い、口を尖らせつつも、鯉幟の入った箱をクローゼットの奥にしまい込んだものだった。

 ――庭付き一戸建てって言ったって、そんなに広い庭じゃないもの。お隣にも迷惑じゃないかしら。

 高学年に上がった頃、我が家は引っ越した。これで鯉幟も出せるねと言ったら、母はそう言って渋い顔をした。確かにお隣との距離はそんなに離れてはいない。上空で鯉幟が翻ったら、陰になったりするだろうか。
 結局、そこでも、鯉幟が出される事はなかった。

 ――もう来年からは高校生でしょ? 今更鯉幟なんて、可笑しいわよ。

 また仕事の都合で、この春、父の実家に戻る事になった。広い庭のある日本家屋。初夏の日差しを照り返す甍の上空にはきっと、鯉幟が似合う。だが、母はそう言って、頭を振った。
 確かにうちには弟も居ないし、僕の友達の家だって、もう立てるのを止めた所も多い。鯉幟と言えば、子供の居る家が立てるものというイメージがある。十五歳は昔ならば元服、今の成人式を迎える頃だ。
 でも、と今度ばかりは僕は食い下がった。それなら尚更、一度だけでも祖母の鯉幟が泳ぐ所を、この目で見たい、と。今では部屋で寝たきりになっている祖母が、僕の為に用意してくれたものなのだから。
 何故か困った顔をした母は、その日、夕食をとても簡単な物で済ませ、一人、部屋に籠った。夜遅く迄、障子に蹲った影が映っている。どうしたのかと問うても、答えは酷く曖昧だった。

 強硬にせがんだ僕に機嫌を損ねているのだろうか。こんな大きな子供が居るのに鯉幟を立てる事を、そんなに恥じているのだろうか?
 母にそんな思いをさせて迄、鯉幟を立てる必要があるのだろうか、僕には?
 居た堪れず、僕は障子を開け放った。もういいよ、と言う心算で。
 そして思わず息を飲んだ。

 田舎の広い八畳間に、黒、緋、青の錦が広がっていた。
 長い間仕舞い込まれていた所為だろう、日に焼ける事もなく、鮮やかに。
 只――所々にある傷は? 決して虫食いとも思われない、鋭利な傷が、その鱗を切り裂いていた。
「これ……は……?」僕は茫然と呟いた。「母さん……?」
「ごめん……ね」深い溜息と共に母は言った。「私がやったの」
 母の指が、傷を撫でる。だが、その傷はもう、針と糸によって塞がれていた。今夜、部屋に籠った母は、ずっと自らが刻んだ傷を直していたのだろう。
 そしてこの傷が為に、鯉幟を出す事が出来なかった……。
 だが、何故? 何故こんな傷を?

 そう問うた僕が知ったのは、母と祖母が決して僕には見せようとしなかった、嫁と姑の問題。孫を待ち望む祖母の一言一行が、母にはストレスだったと言う。
 それでもどうにか僕という男児を得、これで認められると思ったものの、祖母の目は母を素通りして、孫を見ていた。
 祖母に悪意はなかったのだと思う。だが、結局どこ迄行ってもこの家では自分は異物なのだと、母は心を病んだ。実家を出たのは、仕事以外にもそんな理由もあった様だ。
 それでもいつかは実家に戻らなければならないだろう――悪意のない祖母は離れてからも時折、孫の顔が見たい、遊びに来いと手紙や電話を寄越す。祖父を早くに亡くしている為に、祖母を一人で置くのも限度がある。
 母は、時折祖母から贈られたこの鯉幟を傷付けては、ほんの少し、そういった重圧を軽減させていたのだろう。だが、母が自らの傷を転化する毎に、鯉幟は表に出せない状態になっていった。
 僕が時折せがむ事で、尚更母を悩ませていたのだろう。
 それでも、今度だけはどうにかしようと、こうして……。
 
 ごめんね、と顔を伏せる母に、僕は何も言えず――そっと、針と糸を手に取った。

 翌日、鯉幟は天高く、空を舞った。
 傷は母と僕の二人掛かりで塞いだものの、僕の裁縫の成績は誉められたものではない。だが、これだけ高ければ、荒い縫い目も見えない。
 初めて自分だけの鯉幟を見上げる僕にも、その僕を病床の窓から見詰める祖母にも。
 
 それでも、母の傷はちゃんと見据えて行こうと、僕は五月の風の中、思う。

                      ―了―


 イマイチ暗い……(--;)

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無題
てっきり襖を開けたら、母親が大きな鯉になっており、鯉幟にまとわりつかれて、もんどり打って苦しがっているのかと思った(笑)
うーん、頭が眠りかけてる。
銀河径一郎 URL 2011/05/02(Mon)01:45:33 編集
Re:無題
鯉幟の祟りじゃ~(^^;)
でも、傷付けまくってたらその内……?
巽(たつみ)【2011/05/03 21:48】
おいらも・・・
なんか『雪女』か『鶴の恩返し』的な、なにか異常な光景を想像してもうたwww。

まぁ、この程度は、序の口だろうねぇ。

最近は、ランドセルから机、与えるお菓子から、読ませる絵本まで、母親が己の好み以外を認めないなんてこともあるようだから。
afool 2011/05/02(Mon)22:48:28 編集
Re:おいらも・・・
うわ~( ̄□ ̄;)
お菓子から絵本迄?
何て言うか……力関係の表れなのかなぁ? 夫でも子供でも、自分の思う儘にコーディネートした方が勝ち、みたいな(怖)
子供にとっては迷惑な話かも。
巽(たつみ)【2011/05/03 21:54】
わかるわ
自分を通り越して跡取りの孫をみるって・・・・
アレは嫁にとっては拷問に近いからなw

私は気にせずあげた。うん。マンション用を。
つきみぃ URL 2011/05/03(Tue)17:32:04 編集
Re:わかるわ
子供も出来て、これで家族の一員……と思ったら、自分素通しっていう(^^;)

マンション用鯉幟。キーちゃん達は狙いませんか?(笑)
巽(たつみ)【2011/05/03 22:06】
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