『形無き鍵』

　パソコンを立ち上げるなり、少女はブックマークされたブログにアクセスした。
　不安と期待が半分――そんな気分は画面を見るなり不安一色に染まってしまった。
「まただ……」もう三箇月になろうかと言うのに、と不安な胸が呟く。「どうしちゃったんだろう？」
　一年前に遠くに越して行った友人。その彼女がブログを立ち上げたとメールをくれたのは引っ越しの一箇月後だった。内容的には他愛のない、毎日の日記ブログだったが、彼女の近況を知る事が出来、少女はまめにコメントを入れては、交流を続けていたのだった。
　それが三箇月前、ごくありふれた日常の描写を最後に、ぱたりと通常の更新が止まってしまったのだ。あるのは何故かパスワードが設定されたカテゴリーの記事ばかり。
　最初はどうかしたのかな、などと首を傾げつつも軽く考えていた少女だったが、以前の記事にコメントをしても反応が無いとなると、些か心配になりだした。
　何らかの理由で公表出来なくなったのではないか、と。
　荒らし？　それとも……私にだけ非公開？――悪い想像だけが浮かんだ。直接のメールにさえ、反応の無かった事が更にその想像に拍車を掛ける。
　自宅に直接電話を入れてみようか彼女が出なくても、おばさんから話を聞けるかも知れない。そう思い、幾度かその番号を送信し掛けたのだが……その指はいつしか終話ボタンを押していた。
　確かめるのが怖かった。
　自分が嫌われたのではないかを。
　と、彼女は学校帰りに不思議な少女から渡された紙切れを思い出した。
　アルファベットで、友人の名前のアナグラムらしきものが綴られた紙切れ。
　彼女にそれを渡した少女は十歳程度に見えるその外見とはそぐわない大人びた微笑を残して、青いリボンと服をはためかせて姿を消した。
　見慣れてしまったパスワードを要求する画面。
　彼女の指は、そのアナグラムを入力していた。
　そして、扉は開いた。

　辛い、苦しい、学校に行きたくない――そんな文字の羅列を見て、彼女は一瞬絶句した。
　中には向こうの級友らしい数人の名を上げて、怨嗟の言葉を浴びせた記事もあった。
「これって……」
　不満、不平、恨みの吹き溜まり。それ迄のごく日常的な彼女のブログとは、全く趣が異なっていた。
「一体何が……」眉を顰めつつ、彼女は記事を遡った。原因を求めて。

　丁度三箇月前の記事に、こんな記述があった。
『もう限界。友達に心配をかけたくなくて、いつも明るい記事を書いてたけど、全部嘘。
　友達と映画に行った？　ファミレスに行った？　友達なんて……。あいつ等はあたしのお小遣いが目当てで寄って来ただけだった。段々お小遣いをせびるようになって……。でも、渡さないと一人になるからって、渡してるあたしもバカ！
　元の町に帰りたい。こんな奴等じゃなく、本当の友達と遊びたい！
　でも、その友達にさえ、あたしは嘘をついてる……もう駄目だよ。
　こんな事通常の記事に書けない。でも、ここしか吐き出す所が無い。
　だから……ごめんね』

　それからも級友からの金の無心は続き、それは恐喝紛いに迄発展していく様子が、確かに友人の言葉で綴られていた。
「こんな事になっていたなんて……」彼女は絶句した。向こうの学校にも馴染み、楽しくやっているものだと、ほんのり寂しさを感じながらも喜んでいたのに。
　三箇月分の記事――後半はもう恨み言の連鎖になっていたけれど――を時間を忘れて、彼女は読んだ。画面を滲ませる涙を幾度も拭いながら。
　彼女にこんな思いをさせない為に、それ迄明るい日常を演じる記事を書き、そして恨みの掃き溜めになったここを非公開にしたのだろうが……。
「水臭いよ！　相談もしてくれないなんて！　そりゃあ、こんな遠くからじゃあ言葉で励ます事位しか出来ないかも知れないけど……！」怒鳴りながら、彼女はコメント欄に同じ事を書き込んでいた。非公開の記事にコメントする者が居るとは思わなかったのだろう。コメント欄は閉じられていなかった。「連絡して。コメントでもメールでも、何でもいいから。一人で悩んじゃ駄目だよ！　恨み言だって何だって、何でも聞いてあげるから」
　彼女の肩は震えていた。向こうの級友への怒りと、彼女への悲しみと、憤りに。

　その日の夜、彼女から三箇月振りのメールがあった。
　非公開の記事に彼女がコメントしていた事への驚きと、心配を掛けたくないという理由とは言え嘘をついていた申し訳なさと、秘密を見られた気恥ずかしさから来る僅かな怒りと、そして感謝の入り混じった、取り留めのない文章だったが。
　彼女はそれに安堵のメールを返した。
　それから幾度かやり取りをし、今迄の嘘で広がった溝が埋められて行く。二人の溝も。
　それにしても――と彼女は不思議がった――どうしてパスワードが解ったのかと。
「ある子がね、魔法の鍵をくれたのよ」少女はそう言って悪戯っぽく笑った。「あれ？　あの紙切れ何処やったのかな？」
『もういいよ。これからは嘘も隠し事も無しに、書いていくから。それでも、来てくれる？』
「勿論！」少女は笑って頷いた。

「ご苦労様」紙切れに火を灯して、青い少女は言った。「流石にこれは鍵束って訳には行かないわね。『鍵』も変わったものだわ」
　蒼い火を残し、紙切れは燃え尽きた。
「それにしても、ふらふらと生霊を飛ばして助けを求める位なら、素直に書けばよかったのに……。ま、不特定多数が読む所じゃ、下手な事も書けないか」少女は肩を竦め、胸元から今度は実物の鍵を取り出した。金のプレートには〈master key〉の文字。
　金色の鍵を手近な扉に挿し込み――少女は何処へともなく姿を消した。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

---

　ねーむーいー☆
　パスワードもある意味「鍵」だよね？