『夏休みの夜』

「流石にガランとしてるね」寮生が一堂に会する食堂を見渡して、僕は言った。「皆帰省してるんだね」
　各部活もこの時期は休みとなり、生徒達も墓参りだ何だと帰って行き、今頃は久し振りの自宅で羽を伸ばしているのだろう。何しろそこには眉間に皺寄せた煩い纏め役は居ない。ま、親戚同士の煩わしさはあるかも知れないけれど、それはまた別の話だ。
「解り切った事をいちいち言うな、祥」ほら、また眉間に皺が寄ってる。「と言うか、お前も帰省してよかったんだぞ？　何で居るんだ？」
「何でって……その言い方は無いだろ？」そりゃあ、僕はこの双子の兄、真田京みたいに寮の纏め役を任されている訳でもないし、夏休み中の学校に特に用事がある訳でもない。そもそも、京にしたって、寮長先生に任せて寮を空けたって何の問題も無いんだ。残っている生徒自体が少ないんだから。
　なのに二人共、然程遠くもない実家に帰省しようとは、言い出さなかった。高校生活最後となる、今年も。
　空いた席が圧倒的に、広大な空間を占める食堂で、僕達はテーブルと温かい料理越しに、そっくりの顔を見合わせていた。

「何難しい顔してるんや？」不意に降ってきたのは柔らかい関西弁。そして僕の隣の席に料理の載ったトレーが置かれた。「いっつも一緒に食べてる連中、みぃんなおれへんし、よせてや」
「栗栖か」ちょっと見上げて、僕は笑みを浮かべた。「勇輝達も帰省組？　栗栖は帰らなかったんだ」
　関西からの編入生、間宮栗栖。その自宅からの距離ゆえに、今回は帰らなかったのだと言う。
　何故か彼に対する基本姿勢が攻撃的な京も、周囲の三々五々固まった生徒達の様子に、何も言わなかった。やっぱりこの広い空間でぽつりと座って食べるのは味気ないからね。
「そらお盆やけど……この時期の新幹線の乗車率は洒落にならんで。帰るんやったらこの長い休み中、空いた時期を見計ろうて帰るわ。電車代も馬鹿にならへんし」流石関西人、と言ったら偏見だろうか？
　それより、と栗栖は話を転じた。
「祥達は帰れへんの？　確かそない遠くでもなかったやろ？」
「そこはまぁ……色々と……」僕は言葉を濁したが、京はもっと直裁的だった。
「関係無いだろう」態とらしく眉間に皺寄せ、口が忙しいんだとでも言う様に、ピーマンの肉詰めを頬張る。あ、ピーマン嫌いじゃなかったっけ？　京。
「色々なぁ。嫌な親戚でもおるん？」
　好奇心旺盛な関西人に更に追及されて、僕は京の顔色を窺いながらも、ぼそぼそと話し出した。

「中学の時に――その時はもう此処の中等部で、寮生活だったんだけどね――確か一年の時に一度、二人で帰省した事があったんだ。それで、その時に……曾お祖父さんの家でおかしな物を見てしまって……それ以来、何かと理由を作って帰ってないんだ」
　スープを口に運びながらも、興味津々と言った目で栗栖はこちらを見ている。
　それに反して冷たい視線が正面から突き刺さる……。
　が、僕は話を続けた。誰かに聞いて貰いたかったというのもあるし、栗栖なら、もしかしたら合理的な解釈が出来るかも、という淡い期待もあっただろうか。
「曾お祖父さんの家は休耕田に囲まれた古い一軒家でね。昔は人を使って周囲の田んぼで作物を作らせていたらしいんだけど、今はもうひっそりと年金暮らし。土地もなかなか処分出来ないらしくって、ぼやいてたよ。結構大きな家なんだけどね。離れもあって――僕達はその離れに寝泊まりして、大人抜きでちょっと浮かれてたよね、京」
「……」無言。でも皺が一本減ってるのは楽しかった事を思い出してるのかも。
「この時はお盆を含めて何日も泊まり込んでたんだけど……ある晩、真夜中なのに何だか外が騒がしくて、二人で窓からそっと見てみたんだ。尤も高い漆喰の塀があるからよくは見えなかったんだけど、ほら、塀って風が滞らないように所々透かしが入ってるだろう？　そこから見たら……何か外で動いてたんだ。土を掘り返す様な音と、葉擦れの音がしてて……。灯も全く無い真夜中に音だけが響いてて、何かが蠢いてて……流石に不気味で僕達は布団を頭から被ってさ。その暑さと気味の悪さで明け方迄眠れなかったよ」
　先に布団に逃げ込んだのは京だったと、僕は記憶している。こういうの、意外と苦手なんだよな、兄貴。そう思ってちらりと見やると、思い出しているのか、また皺が増えていた。

「朝になって家の空気が動き始めると、僕達は揃って離れを出たんだ。夜の内に両親の居る母屋に駆け込もうとしなかったのは、あのざわめきの中、屋根はあるけど両側の壁の無い、渡り廊下を渡るのが怖くって……。それで、我先にと母屋に、母さんが曾お祖母さんと共に立っている台所に駆け込んだ僕達に、曾お祖母さんは笑って言ったよ。夢でも見たんだろうって。幾ら双子だからって、二人揃って同じ夢なんて見ない、っていう抗議は笑って受け流されたなぁ。それからはその日一日、親戚回りに付き合うよう、言われた。数日前にも、行ったのに。その癖曾お祖父さんは残ってたんだけどさ。まぁ、もう長年腰を痛めてたしね。お陰で窓の外――塀の向こうを確かめに行く事も出来なかったよ。夜に帰ってから怖々行ってみたけど、何も無かったし……。掘り返された跡はあったけど、それは数日前に父さんが曾お祖父さんに頼まれて、伸び過ぎた夏草を処分してたから、その時のかも……。だから結局、あれが何だったのか……」僕は不安げに眉根を寄せ、栗栖を見た。「帰省すると親戚の家では一番広い曾お爺さんの家に泊まる事になるからさ、ついつい、足が遠退いちゃって……」
「なるほどなぁ」栗栖はゆっくりと頷いた。
　そして言った。

「怖がりさんやなぁ、二人共」
「何を!?」すかさず京が噛み付く。いや、京が実は怖がりなのは、僕も認める所だ。普段はそんな所、見せないけど。
「結局音だけやったんやろ？　話し声とかはせぇへんかったん？」
「話し声はしなかったよね、京」渋々頷く兄に確かめる。「只、暗い中で何かがざわざわと動いてて……気味が悪かったんだ」
「ほな、二人が離れにおると知ってて、声は立てへんようにしてたんか……」
「声を立てないようにって……え？　それじゃ、あれは人だったのか？」
「人以外、植物を植えたりまたそれを掘り起こして移動したりせぇへんやろう」当たり前の様に言う栗栖。
「え？　え？　それってあの裏の休耕田に夜の夜中に植物を植えて、また抜いて行った人が居るって言う事？　何で？」僕は京と顔を見合わせて、目を白黒させた。京も流石に同様だ。
「休耕田ゆうても土地や。それだけの土地、遊ばせとっても税金は掛かるんやで？　無駄に遊ばせとったら尚の事や。せやから皆、態々作らんでもいい畑作ったりして税金対策してるんやで？　けど、曾お祖父さんは腰を傷めてはるんやろ？　それだけの土地、畑にしても面倒見切れへん。年金生活で、昔みたいに常に人を雇える程余裕があるとも思われへんしな。せやけど、一日だけやったら……例えばお役人が確認に来る日だけでも畑の体裁を整える事やったら出来たんちゃうかな？」
「……詰まり、人を一時的に雇い入れ、夜中に何処からかそこそこ育った作物を持って来て植えさせ、俺達を一日あの家から引き離しておいて、役人の視察が終わったらまた運び去った、と……」京が茫然と言う。
「い、幾ら何でもそれは……」突拍子も無さ過ぎるんじゃないかと僕は言い掛けたんだけど、京の声に掻き消された。
「詰まりあれは曾祖父さん達の仕業だったという訳だな!?　勿論お化けでもなく！」
　お化けでもなく、が重要らしい。
「然も税金逃れの為とは嘆かわしい……！」
「ま、せやけど俺等の曾祖父さん位の年代の人に、収入にもなれへん、処分もし辛い土地。それでも税金だけは取られるんやから、逃れたくもなるんちゃうか？」栗栖は微苦笑して言い、すっかり片付いたトレーを持って席を立った。「良かったな、お化けの仕業やのうて」
「……大きなお世話だ」それでも強がる、京だった。

　後日、実家に連絡を入れた所、件の休耕田は昨年やっと売却出来たらしく、今では宅地になりつつあると言う。お盆には間に合わなかったけど久し振りに行ってみようか――そんな事を、僕達は話し合った。
　お化けさえ出なければ、京に――そして僕にも――否やは無かった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

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　ね、眠い……。
　お化けが出たって熟睡するぞー！（－.－）。○゜