『ルナティック』

　月は人を狂わせる――そんな言い伝えを俺は信じない。
　確かに満月や新月の夜には凶悪事件が増え、また出産も多いと聞く。人間の体内組織の６０～７０パーセントは水分で、それが月の引力で起こる潮の満ち干の様に、気分の浮き沈みや生体機能に影響するのだとも。
　そして実際に経験則から、人は月をどこか神秘的で妖しげなものと捉えているのかも知れない。
　満月の夜に変身する狼男の話など、その最たるものだ。
　だが、俺は信じない――信じたくない。
　俺が月に操られたなどと。
　俺は自分の意思と力で、彼女を殺したのだ。

　今夜は満月が綺麗だった。一際大きく、鮮やかに見えた。
　夜道は蒼く照らされて明るく、彼女を夜のドライブに誘い出すには絶好の夜だった。
　行き先はいつもの展望台。初めて彼女と出会った場所でもあった。此処から見る月が好きだと、彼女は蒼い光の中で笑っていた。
　俺は只、この高さから落ちたら……そんな事を思っていたのだが。結局それは口に出来ず、愛想笑いで話を合わせた。
　それでも、彼女と偶に会うようになってからは、俺も単純に夜空を楽しむ為に、そこへ行く事が多くなった。
　だが、それと同時に、俺は彼女の素顔を知る様になっていった。美しく聡明な女性ではあったが、丸で俺を試す様に貴重品をねだる。どれもそうそう手に入らない品だ。然も、それを他の男にもねだっている事が、ある日解ってしまった。それこそ、俺達を試す様に。
　だが、哀しいかな。俺はその相手に彼女を取られまいと、より彼女の要求に応じるようになっていった。
　なのに……恐らく彼女は手に入らない。どれだけ貢ぎ物をしようとも。
　だから、俺は彼女をドライブに誘い出した。この車だって、彼女の要望で買ったものだった。

　舞台はいつもの展望台。
　展望台とは言ってもちょっとした高台にコンクリートを流し固め、僅かな駐車スペースを付けただけの何の飾り気もない場所。他に人を見る事さえない、言ってみれば穴場だ。自動販売機さえも無く、周囲は林の中を道が一本通るだけで、殺風景と言っていい。
　上空に月さえ出ていなければ。
　余計な明かりが無いのがいい、と彼女は言った。下界には民家の明かりが僅かに灯るのみ。展望台の下などは林に飲み込まれ、真の闇。そして上空には姿を変え行く月と、満天の星空。都会ではお目に掛かれない景色だと。
　風に長い黒髪を揺らして、彼女は柵に寄り掛かり、月を見上げた。眩しそうに、愛しそうに……。
　月も彼女の艶やかな髪に蒼い彩りを添える。
　丸で見詰め合っているかの様な月と彼女。俺の入り込む隙間は無かった。
　そう、やはり彼女は手に入らないのだ。誰の手にも。
　ならば……俺の手は彼女の身体を柵の外へと押し出していた。せめて、月にもやるものか！

　そう。あれは俺の意思だった。決して月の所為なんかじゃあない。
　月が彼女をこの地上から消す為に俺を利用したなんて事はない！　例え彼女の遺体が、警察の捜査にも拘らず発見されないとしても。
　例え彼女が月に愛されたかぐや姫だったとしても。
　俺は月に狂わされてなどいない――。
　ああ、月に見える陰は彼女の横顔などであるものか！

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊　＊　＊

　人を殺したと自首してきた男の供述調書を睨んで、刑事は肩を竦めた。
「この男……貢ぎ物をねだる『かぐや姫』に恋した時点で、もう月に憑かれてるよ。ん？　それとも、ツキに見放されたのか？」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

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　何と無く、月の話。今夜は雨なんだけどね（＾＾；）