〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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「私はどうして此処に居るんだろう?」眼鏡の奥の目を瞬かせて、男は辺りを見回した。
白い部屋。金属枠の白いベッド。その脇に用意された車椅子。消毒薬の臭い――そこは病室だった。
病室などというものは何処も似たり寄ったりではあるが、男はこの部屋に見覚えがあった。壁に張られたカレンダー、暇に飽かせて作られた折り紙のくす玉、殆ど毎日の様に彼が届け、花瓶に生けられた、白い花。
だが、彼が此処に通っていたのは、もう十年以上も前の事だった。
彼の母の病室――もう、疾うに別の患者に明け渡された、彼女の最後の部屋。当然、本当なら飾り付けなどとっくに撤去されている。それどころか、件の病院が未だ同じ所で営業しているのかどうかすら、男は知らなかった。
そんな所に何故今になって、然も自ら此処に足を運んだ覚えすらなく、居るのだろう。
男は順を追って、今日の自分の足取りを辿り始めた。
白い部屋。金属枠の白いベッド。その脇に用意された車椅子。消毒薬の臭い――そこは病室だった。
病室などというものは何処も似たり寄ったりではあるが、男はこの部屋に見覚えがあった。壁に張られたカレンダー、暇に飽かせて作られた折り紙のくす玉、殆ど毎日の様に彼が届け、花瓶に生けられた、白い花。
だが、彼が此処に通っていたのは、もう十年以上も前の事だった。
彼の母の病室――もう、疾うに別の患者に明け渡された、彼女の最後の部屋。当然、本当なら飾り付けなどとっくに撤去されている。それどころか、件の病院が未だ同じ所で営業しているのかどうかすら、男は知らなかった。
そんな所に何故今になって、然も自ら此処に足を運んだ覚えすらなく、居るのだろう。
男は順を追って、今日の自分の足取りを辿り始めた。
通勤の為に家を出たのはいつも通り、午前七時半だった。最寄り駅迄歩き、満員電車に揺られる。
五月としては非常に暑い朝だった。未だエアコンの充分に利いていない車内で、暑苦しさに閉口しながらも五駅、我慢する。
そしてやっと鮨詰め状態から解放され、休む間も無くホームの階段を上り終えた時――くらっと、きた。
これ迄にも時折、眩暈に襲われた事はあった。しかし、今朝のそれは特に酷く、またタイミングが悪かった。
彼は階段を踏み外し……それ以降の記憶はない。
「……それで此処に居るって事は……もしかして、私は、死んだのか?」
人は死に際に走馬灯の様に人生を振り返ると言う。ならばこれはその一場面なのだろうか?
しかし、それなら何故、此処に母が居ないのだろう。確かに母の残り香漂う部屋なのに、その母の姿は何処にもない。
部屋を出ている? いや、母は一人では歩けなくなっていた。そしてベッド脇には車椅子が置かれた儘だ。ならば別の車椅子、もしくはストレッチャーで運ばれたのだろうか? だが、少なくとも車椅子に関しては、別の物を使う理由が見当たらない。
「私は何をしに此処に……」途方に暮れた顔で呟きながら、男は車椅子に手を掛けようとして、自分の手がそれに触れない事に愕然とする。擦り抜けてしまったのだ。
「やっぱり、私は幽霊なのか……?」自嘲めいた笑いに、口元が歪む。
と――背後から声が掛かった。
「未だよ」と。
振り向いた先、病室の出入り口に居たのは十五、六ばかりの少女。長い黒髪に黒い服、黒い手帳を手にしていた。
「未だ……って?」
「未だ死んでないって言ってるのよ。早く戻る事ね。案内はしてあげるから。貴方が居る、本当の病院へね」
「私は、階段から落ちたんじゃあ……?」
「そう。意識不明の状態だけど、未だ死期じゃないもの。此処に居る貴方が戻れば、いずれ目を覚ますわ」
ふらり、と男はよろめいた。安堵した様な、気が抜けた様な……。
「じゃあ、何故私は此処に……?」
「それは……何か思い入れでもあったのかしらね? この場所に」病室内を見回して、少女は言った。「ところで早くしてくれない? 此処は貴方の記憶と繋がった過去の病室。今は未だ、貴方のお母様とは繋がっていないから、お互いに姿を見られる事もないけれど、見られたら事よ? 過去が変わってしまうかも知れない……」
「お互いに……という事は、母は今、この病室内に居るのか?」慌てて周囲を見回す男。しかし、彼女の言う繋がっていない状態の所為か、何処にもその姿は見受けられない。
肩を竦めて、ベッドを指差す少女。
「母さん……」ベッドの脇に膝を突き、その手を取ろうとするかの様にばたばたとベッドの上を手で探る。が、その感触も、今の彼には感じられない。悲しげに、男は肩を落とした。
「止めときなさいって。お母様、心臓がお悪いんでしょう? 今の貴方の姿は、余り心臓によくないわ」
確かに、少女の言う通りだろう。あれから十年。すっかり老け込んだ上に、鏡で確かめてはいないが、怪我を負った姿が投影されているのかも知れない。息子のこんな姿を見ては……。
男はよろよろと、立ち上がった。
「案内、してくれるかい?」
だからそう言っている、と少女は肩を竦めた。そして、ちょっと小首を傾げる。
「貴方は何故此処に引かれたのかしら? この、過去の病室に」
「それは……」男は今一度、室内を見回した。
そして、カレンダーと花瓶に生けられた花を見比べて、得心が入った様子で頷いた。
「母の日だって言うのに、仕事帰りで急いでいた私は赤いカーネーションでなく、白い花を買って来てしまったんだ。それだけの事だけど……それだけの事が、いつ迄も心残りだった。これが……最後の母の日だったのに、と」
「そう」少女は微笑し、これはサービス、と白い花に手を触れた。
見る間に、彼女の指先が触れた所から、白が赤に染められて行く。
男は満足気に頷いて、彼女に礼を言うと、その後に付いて過去の病室を後にした。
彼が本来居るべき、現代の彼の病室へと戻る為に。
人の想いはとんでもない力を持っているわね――仕事を終えて、黒い少女は手帳を閉じながら溜め息をつく。幽体だけとは言え、時を遡るなんて。
過去と現在が交わる事は許されない。だからこそ、彼と母親とを会わせる事は出来ない。
彼女の心臓に悪い?――少女は苦笑を浮かべた――どの途、彼女の死を見取る為に、あの時、あの場に居た癖に。例えもう直ぐ死ぬと決まってはいても、二人の時間を交わらせる事は許されなかったのだ。
花は精一杯のサービスだった。
黒い少女の向こうに赤い花を見て、彼女は安らかに、眠った。
―了―
いい加減カテゴリー分けしようか(^^;)
五月としては非常に暑い朝だった。未だエアコンの充分に利いていない車内で、暑苦しさに閉口しながらも五駅、我慢する。
そしてやっと鮨詰め状態から解放され、休む間も無くホームの階段を上り終えた時――くらっと、きた。
これ迄にも時折、眩暈に襲われた事はあった。しかし、今朝のそれは特に酷く、またタイミングが悪かった。
彼は階段を踏み外し……それ以降の記憶はない。
「……それで此処に居るって事は……もしかして、私は、死んだのか?」
人は死に際に走馬灯の様に人生を振り返ると言う。ならばこれはその一場面なのだろうか?
しかし、それなら何故、此処に母が居ないのだろう。確かに母の残り香漂う部屋なのに、その母の姿は何処にもない。
部屋を出ている? いや、母は一人では歩けなくなっていた。そしてベッド脇には車椅子が置かれた儘だ。ならば別の車椅子、もしくはストレッチャーで運ばれたのだろうか? だが、少なくとも車椅子に関しては、別の物を使う理由が見当たらない。
「私は何をしに此処に……」途方に暮れた顔で呟きながら、男は車椅子に手を掛けようとして、自分の手がそれに触れない事に愕然とする。擦り抜けてしまったのだ。
「やっぱり、私は幽霊なのか……?」自嘲めいた笑いに、口元が歪む。
と――背後から声が掛かった。
「未だよ」と。
振り向いた先、病室の出入り口に居たのは十五、六ばかりの少女。長い黒髪に黒い服、黒い手帳を手にしていた。
「未だ……って?」
「未だ死んでないって言ってるのよ。早く戻る事ね。案内はしてあげるから。貴方が居る、本当の病院へね」
「私は、階段から落ちたんじゃあ……?」
「そう。意識不明の状態だけど、未だ死期じゃないもの。此処に居る貴方が戻れば、いずれ目を覚ますわ」
ふらり、と男はよろめいた。安堵した様な、気が抜けた様な……。
「じゃあ、何故私は此処に……?」
「それは……何か思い入れでもあったのかしらね? この場所に」病室内を見回して、少女は言った。「ところで早くしてくれない? 此処は貴方の記憶と繋がった過去の病室。今は未だ、貴方のお母様とは繋がっていないから、お互いに姿を見られる事もないけれど、見られたら事よ? 過去が変わってしまうかも知れない……」
「お互いに……という事は、母は今、この病室内に居るのか?」慌てて周囲を見回す男。しかし、彼女の言う繋がっていない状態の所為か、何処にもその姿は見受けられない。
肩を竦めて、ベッドを指差す少女。
「母さん……」ベッドの脇に膝を突き、その手を取ろうとするかの様にばたばたとベッドの上を手で探る。が、その感触も、今の彼には感じられない。悲しげに、男は肩を落とした。
「止めときなさいって。お母様、心臓がお悪いんでしょう? 今の貴方の姿は、余り心臓によくないわ」
確かに、少女の言う通りだろう。あれから十年。すっかり老け込んだ上に、鏡で確かめてはいないが、怪我を負った姿が投影されているのかも知れない。息子のこんな姿を見ては……。
男はよろよろと、立ち上がった。
「案内、してくれるかい?」
だからそう言っている、と少女は肩を竦めた。そして、ちょっと小首を傾げる。
「貴方は何故此処に引かれたのかしら? この、過去の病室に」
「それは……」男は今一度、室内を見回した。
そして、カレンダーと花瓶に生けられた花を見比べて、得心が入った様子で頷いた。
「母の日だって言うのに、仕事帰りで急いでいた私は赤いカーネーションでなく、白い花を買って来てしまったんだ。それだけの事だけど……それだけの事が、いつ迄も心残りだった。これが……最後の母の日だったのに、と」
「そう」少女は微笑し、これはサービス、と白い花に手を触れた。
見る間に、彼女の指先が触れた所から、白が赤に染められて行く。
男は満足気に頷いて、彼女に礼を言うと、その後に付いて過去の病室を後にした。
彼が本来居るべき、現代の彼の病室へと戻る為に。
人の想いはとんでもない力を持っているわね――仕事を終えて、黒い少女は手帳を閉じながら溜め息をつく。幽体だけとは言え、時を遡るなんて。
過去と現在が交わる事は許されない。だからこそ、彼と母親とを会わせる事は出来ない。
彼女の心臓に悪い?――少女は苦笑を浮かべた――どの途、彼女の死を見取る為に、あの時、あの場に居た癖に。例えもう直ぐ死ぬと決まってはいても、二人の時間を交わらせる事は許されなかったのだ。
花は精一杯のサービスだった。
黒い少女の向こうに赤い花を見て、彼女は安らかに、眠った。
―了―
いい加減カテゴリー分けしようか(^^;)
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Re:おはよう
ありすの親戚風(^^;)
取り敢えず昇格しました♪
取り敢えず昇格しました♪
こんにちは♪
なんて優しい死神さんなんでしょう!
お母様は赤いカーネーションを見て、
息を引き取る事が出来たんですね?
彼も、これで胸のつかえが取れて、
良かったねぇ~!
きっと、ずーっと胸の中で蟠っていて
辛かったでしょうねぇ・・・・・
お母様は赤いカーネーションを見て、
息を引き取る事が出来たんですね?
彼も、これで胸のつかえが取れて、
良かったねぇ~!
きっと、ずーっと胸の中で蟠っていて
辛かったでしょうねぇ・・・・・
Re:こんにちは♪
死神さんとしても、此処で母親が死ぬ事、彼が今は死なない事は動かせないので……せめてものサービスで(^^;)
Re:こんにちは♪
何かと忙しそうです(笑)
妖さん達は仕事熱心?(^^;)
妖さん達は仕事熱心?(^^;)
Re:こんにちは
直接あったら良かれ悪しかれ、影響が無いとは言い切れないけど、死の間際に見た花の色位なら……という、ぎりぎりの出血大サービスです(笑)
彼女の死期は判ってますからねぇ、死神さん。
彼女の死期は判ってますからねぇ、死神さん。