『図書館の外は霙空』

　寒い、寒い――私は身を竦めながら図書館からの帰り道を急いでいた。
　昨日迄に積もった雪が溶けた歩道は、アスファルトだと言うのに泥濘の様で、歩き難い。足を取られない様に注意しながら、私は霙（みぞれ）混じりの雨に本を濡らさないよう、バッグをぎゅっと抱き締めた。
　中には、数冊の私好みの本と、一冊の童話本が入っていた。

　先日の自称霊媒師の騒ぎの所為か、町立鹿嶋記念図書館に棲み付いている幽霊、鹿嶋良介君は――何処へでもという訳じゃあないそうだけど――外出も可能になってしまったらしい。幽霊とは言っても享年七歳の子供。さぞ自由になって喜んでいるだろうと思いきや……。
　実はこの処、良介君の元気が無い。
　いや、元気な幽霊っていうのもおかしいんだけど。
　それで今日、つい気になって私は尋ねた――どうかしたのか、と。

「お腹痛いとか、そんな訳は無いし……。何かあったの？」
　私の言葉に、良介君はちょっと苦笑して答えた。
「勿論元気……って言うのもおかしいけど、身体が弱かった昔みたいな苦しい感じもしないし、山名さんの所とかも行けるようになったし、すばるお姉ちゃんも来てくれるし、楽しいんだけど……」
　いや、別に私は良介君に会いにだけ、此処に来てる訳じゃない心算だけど。
「山名さんの家とか、昔通っていた学校とか、今行ける所を回ってみるとね、僕が死んだのは、もう何十年も前なんだな……って思えて。山名さんの家も前と同じ様でも昔は無かった傷みがあったり、家具が変わってたりするし、学校なんか、木造だったのがコンクリートになってるんだもん。場所は変わってないのに、間違えたかと思ったよ」
　しみじみとそう語る良介君の口調は、やはり寂しげだった。
　それはそうよね。彼だけが子供の頃の儘、時を留め、ずっとこの図書館に居たんだもの。窓から移り行く町を眺めながらも、手に触れる事も出来ずにいたんだもの。
　そして出られるようになっても、やはり触れられぬ儘。その間には数十年の月日と、何より「死」が横たわり、遮っている。
　かつての面影を求めれば、残っているだけにそれは彼我（ひが）の距離を思わせ。
　かつての面影を求めても、それは時代の流れに押し流され、過ぎた時間を思い知らせる。
　そのどちらもが、彼の手に届くのはこの図書館の中だけなのかも知れない。それでも、此処だっていつかは……。万物は永遠ではないのだから。
「仕方ないよね」そう言って、良介君は薄く笑った。子供の姿をしていても、子供の時を留めていても、彼は充分、それが解っていた。
　寧ろ、その時は、私の方が泣きそうな顔をしていたのかも、知れない。手に取れない、硝子の向こうの宝物に手を伸ばす子供の様に。

　だから、せめて上手に本を読んで、良介君を楽しませて上げたい、と次に読んで上げたい本を態々練習用に借り出して来たのは、私の自己満足かも知れない。彼の為なのか、自分の為なのか――自分でも正直、解らない。
　そして、珍しく童話を貸し出しカウンターに持ち込んだ私に釣られる様に付いて来る良介君の気配に、家迄は来るなと言うべきかどうかも。
　まぁ、いいか。
　寒いし、霙混じりだし。
　こんな日に子供を追い返すなんて、冷た過ぎるじゃない？　
　重ね重ね、良介君は幽霊だけどね。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

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　佐内さん、遂に連れて帰っちゃいましたよ？（笑）
　因みに良介君、一度行った所には二度目からは瞬間移動出来る模様（爆）