『図書館の帰り』

　うちに遊びに来た良介君が朝な夕なに挨拶する、私には見えない相手――この間からずっと気になっていたそれを、無視するべきかと悩んだ挙げ句、これからずっと無視出来る自信も無く、毒食らわば皿までとばかりに、私は質す事にした。
　こんばんは、と言う良介君の声を聞いてから、意味は無いかも知れないけどオートロックの扉を抜けて、私は玄関をちょっと振り返って口を開いた。
「良介君、前から訊きたかったんだけど……」勿論、私一人しか映ってないだろう防犯カメラの向きには気を付けている。「朝とか今みたいに挨拶してる相手……誰？」
　良介君はきょとんとした表情を見せた。こうしていると全く普通の子供の様だ。幽霊だけど。
「あれ？　すばるお姉ちゃん、見えてなかったんだ」
　やっぱり何か、見える相手を選ぶものが居るんだ――私は肩を落とした。

「だからね、本来私は別に霊感も無いし、普通の人なの」部屋に上がって、自分の夕食を用意しながら、私は言った。「良介君が見えるだけでも、異常事態なんだからね」
　行き付けの町立鹿嶋記念図書館に住み着いた幽霊。それが鹿嶋良介君だった。生前私財で図書館を建て、死後、丸ごと町に寄贈した鹿嶋氏の、七歳で死んだ息子さん。
　ずっと誰にも見えなかった彼が、私に見えるだけでもおかしいのに、これ以上見えて堪るもんですか。
　良介君はそんなぼやきにも拘らず、無邪気に次の本を選んでいる。やれやれ。
「で？　何か居るのね？」意を決して、私は訊いた。
「うん。居るよ」あっさりと、頷いてくれた。そんな事も無げに言わないで欲しかったかも。
　でも、この様子からして、余り拙いものでもなさそうだ、大体、これ迄このマンションに住んできて、何も無かったんだもの。きっと関わらなければ向こうも手出ししてこないんだ。
　それでも、訊きたくはなかったけれど、どんなのが居るのかと訊く。良介君の態度からして、少なくとも彼より年上だとは思う。
　が、良介君は珍しく言い渋った。
「すばるお姉ちゃん、見えてなかったんだよね？」
　サラダを和えながら、私は頷く。
「じゃあ、余り知らない方がいいと思う」
「何よ、今更。居るよって言われて、それがどんなのか解らなかったら、気になってしようがないじゃない」
「でも、知ったら引かれるかも知れないよ？」
「え？」私の手が止まった。「でも……これ迄ずっと居たのよね？　それで、何も無かったのよね？　それとも私の知らない所で何か……」
「何も無いよ。それはお互いに世界が違うと思っているから」
「世界が、違う？」
「僕と山名さん達は同じ図書館にずっと居たけど、山名さん達は僕が見えないし、声も聞こえなかった。それと同じ事だよ。薄いんだけどくっきりとした壁がある。でも、事情を聞いてしまうと、もしかしたらその壁が薄くなるかも知れないよ？」脅すでもなく、良介君は淡々とそう言った。
　
　それでも、と私は答えを迫った。既に居ると知ってしまったのに、それが正体不明なんてやっぱり余計に気になるじゃないの。
「じゃ、言うけど……すばるお姉ちゃんより十歳位かな、年上の女の人でね、大事な人が帰って来るのを、待ってるんだって」
「大事な、人？」
「もうずぅっと前に、此処にマンションじゃなくて古い家が建っていた頃の事らしいんだけどね。小さな家でもやっと手に入れた我が家で、旦那さんが帰って来るのを待ってたんだって。ところが車の事故で、その旦那さんが亡くなって……。それがショックだったみたいで、それ以来、ずっと家の前で帰って来ない旦那さんを待って……。病気で亡くなったんだって」
「……それ以来、ずっと？」
「うん」良介君は頷いた。そして私を見詰めて、口を尖らせる。「そんな顔して。だから聞かない方がいいって言ったのに」
　どうやら、彼女への同情や哀れみが顔に出てしまったらしい。しかし、良介君によれば、それは拙いらしい。
「あの人は誰にも知られずに、只待っているだけなんだよ。只待って……その事を望んでいるんだ。だから、可哀想なんて思っちゃ駄目だよ。それは多分、あの人の気に障るし、どうして自分が可哀想って思われるのかも解らないから」
「そういう……ものなの？」
「自分がしたい事をしてるのに、それが無意味だとか、可哀想だとか言われたら嫌でしょ？」
　私は黙って頷いた。やっぱり長年この世に留まっているだけあってか、良介君は時々、大人びた事を言う。
「だから、今迄通り知らない振りをするか、精々近所の人に会ったみたいにしてて」
　彼女は良介君には優しく微笑み掛けてくれるらしい。近所の子供、あるいはご主人が無事ならいずれ授かったかも知れない我が子の姿を投影してでもいるのだろうか。だから、良介君も普通に、元気よく挨拶する。
　でも、私は平気な顔で挨拶は出来ないだろう。見えないし。
　だから、私はそんな人が居るんだと思うだけにした。
　いつか、彼女が行くべき場所へ旅立つ迄。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―了―

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　はい、この間から登場（？）の見えない人（笑）
　先日のミキさんにしようかとも思ったんですが……彼女はキャラ濃そうなので（＾＾；）
　これ以上幽霊レギュラーが増えても困るし！？