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〈2007年9月16日開設〉 これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。 尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。 絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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「喧しい! このわしの名を出して、言う事を聞かん様な所に用は無い! 以後一切その子会社は使うな!」内線電話を叩き付ける様にして切ると、男は重厚なデスクに不満を詰め込んだ溜め息を零した。
 わしの言うノルマを達成する事がどうして出来ない?――苛々と、男は資料を睨み付ける。資金は注ぎ込むべき所には注ぎ込んである。技術者も金に飽かせて集めた。大体、わしの直々の指示がどうして聞けない!?
 これと言うのもあいつの所為だ。
 わしの跡を継ぐ事を早々に諦めた我が息子。サラリーマンという身分に何の不満があったのか、このわしの跡を継ぐ覚悟が出来なかったのか、堅実性の薄い絵描きという職に逃げた息子。
 たった一人の馬鹿息子。
 早くに亡くした母代わりの家政婦や家庭教師には疾うに暇をやった。息子をあんな軟弱者に育ておって。
 あいつがしっかりしてさえいれば――未だ表立ってはいないものの――後継者争いなどで社内が荒れる事も無いものを。
 クッションのよく効いた椅子を回して、男は壁一面に広がる窓から、高層ビルの最上階にのみ許される景観を、しかし優越感に浸る事もなく睨み付けた。此処の窓が開かない事も気に入らない。
 もし開けば、このポケットの中の忌々しい鍵をこの奈落の如き路上に投げ落としてやるものを。

 何の変哲もない、安物の鍵。防犯的にも簡単に複製が作れそうな、家を守るには頼りない鍵。恐らくはこれを受ける錠もちゃちな物だろう。少なくとも男の自宅のセキュリティに比べれば。
 だが、そんなちゃちな鍵に、男は見覚えがあった。一人で家を出て安アパートに住む息子が、アトリエと称して別に借りた一室の鍵だ。そこには彼の「作品」が収蔵されている筈だった。
 男は一度、息子からその鍵を渡されていた。是非、見て欲しい、と。自分がお遊びや逃避で描いているのではない事をその目で見て欲しい、と。
 だが、その目の前で、男はそれをゴミ箱に落とした。
 息子の目がそれを追い、やがて俯いた儘社長室を出て行くのを、男は黙って見送り、その日の内にゴミは回収され、彼の届かない所へ行った。
 ところが今朝、社の玄関で車を降りた彼に駆け寄って来た少女は、それを持っていた。茶色の髪に青いリボンの似合う、青い服の少女。十歳ばかりだろうか。
「大事なものでしょう?」笑顔も見せずそれだけ言うと、少女はそれを男の手に握らせた。
「待て!」鍵の正体に気付いた彼は直ぐ様呼び止めた。「あいつに頼まれたのか?」
 少女は一度だけ振り返り、一度だけ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「違うわ。彼じゃない」青い服を翻し、少女は駆け去った。
 以来、男の苛々はいつも以上に募るばかりだった。

 帰りの車のルートを変更したのは、この忌々しい鍵を息子に叩き返してやる為だった――少なくとも男はそう思った。外国産の高級車が乗り入れるには不似合いで、そして些か無理のある狭い街路。そこで散々腕を試された運転手を残し、彼は安アパートの前に立った。しかし部屋は暗く、息子が居る気配は無い。「アトリエ」の方だろうか。運転手は再び腕を試される事を覚悟したが、そこ迄の距離は僅か。男は徒歩で行く事にし、合流地点を指示して立ち去った。取り敢えず急ぐ必要だけは無さそうな事に、運転手はほっと息をついた。
 歩いて僅か十分程の距離。そこに倉庫の様な――実際倉庫を借り受けたのだろう――「アトリエ」があった。
 思った通りのちゃちな鍵。息子は此処にも居ないのか、中から明かりは漏れて来なかった。
 息子の道楽を到底認める気の無い男は暫し逡巡したが――ちょっとした悪戯心も手伝って、鍵を、開けた。

 広さだけは充分な、コンクリートの打ちっ放しの殺風景な空間。そこかしこに立てられたカンバス、イーゼル。油絵の具の匂い。
 しかし壁際のスイッチを探って点けた照明は天井からの一つ切り。余りに頼りなく、とても夜間は絵を描くのに適した場所とは思えない。高い位置にある窓から、昼間は陽光が差すのかも知れなかったが。それはやはり、息子が真剣に絵に向かっているのではない様に、男の目には映った。がむしゃらに何かをしたいのなら、例え泊り込んででも出来る様に職場を生活空間に仕立てる――社の黎明期、男はそうしてきたのだ。只、それ故に妻の病状にも早くに気付いてやれなかったという悔やみはあるのだが……。
 偶に帰った夫を迎えた彼女はいつも笑顔で、しかし儚げだった。思えば、いつも綺麗に整えていた化粧の下には青白い顔があったのかも知れない。物思わしげな瞳の奥には苦痛が潜んでいたのかも知れない。
 そう、あんな風に――と、男の目は壁に立て掛けられた一枚のカンバスに引き寄せられた。
 青白い顔、苦悩を刻んだ眉間、寂しげに伏せられた瞳。しかしそれは紛れもなく若き日の妻だった。未だ、息子を産んで一、二年といった頃だろうか。家事に関しては家政婦も居たし、不自由は無い筈だった。実際、妻は彼にこんな表情を見せた事は無い。息子にも――彼が物心付く前に、彼女は逝ってしまったから。
 なのに、薄暗い明かりの中、彼女はその表情で――彼を取り囲んでいた。どのカンバスを見ても、服装、背景は違えどあの表情の彼女が描かれているのだ。それは息子が知る筈のない者を描いているという薄気味悪さと同時に、彼の胸奥の罪悪感を引き摺り出した。
「これは……」心臓の鼓動が早鐘を打った。それでもどうにか合理的な答えを探そうと、彼は自身の脳をまさぐる。「そうだ、きっと写真でもあったんだろう。あいつ、それを見て態とこんな絵を描いてわしに見せようとしたんだな! しかし誰がこんな写真を撮って置いて、あいつに……」
 妻に同情的だった家政婦だ、と彼は思った。今朝の少女もきっとその縁者か何かだろう。きっと首を切ったのを恨みに思っての事だ! 息子を立派な後継者に育てられなかった癖に!
「こんなもの!」彼は用具入れにしまわれていた中からパレットナイフを引っ掴み、カンバスに向かって振り上げた。

 思いの他抵抗無くさっくりと切れたカンバス地からは、紅い絵の具が滴り落ちた。どろりとした粘性を持って。
「……な、に?」絵は完成され、疾うに乾いている。それにこんな血の様に紅い絵の具など、使われてもいない。男は顔に滴ったそれを指先に乗せ、匂いを嗅いだ。鉄錆の匂い。
 男は悲鳴を上げながらパレットナイフを放り出し、後ずさろうとして足が意の儘にならず、その場に尻餅をついた。
 その間にも、切り裂かれた彼女の顔からは紅い血が流れ出している。じわじわとカンバスを伝い、床へと……。
 きっとこれもトリックだ。わしが激昂して切り裂こうとする事を予想してカンバスの裏に仕掛けをして置いたんだ――激しく跳ね回る心臓を押さえ付け、彼は後ろ向きの儘、出口へと這う。絵の具? 血糊? 何か知らないがこれはそんな物だ。絵から血が出る訳がない。理屈ではそう思うのに、背後を探る手は止まらない。
 と、その手が何かに触れた。
 その辺のカンバス地と変わらない様な、安物のスニーカーの感触。そして振ってきたのは、若い男の呆れた様な声だった。
「父さん……何してるんですか?」
 振り仰ぎ、相手を認め、顔を赤くして稚拙なトリックを叱り付けようとした彼は、しかし再度振り向いた時、そのトリックの跡が何処にも無い事に、唖然とした。彼が切り裂いた筈のカンバスすら、何ともなっていない。
 それどころか、そこに彼女の影は一切、無かった。

 昼下がりの公園を描いた穏やかな絵。木漏れ日の中に遊ぶ栗鼠の姿を見事に留めた絵。川面に映る三日月のたゆたう様。それらを見る家族の笑顔に溢れた絵――実際にアトリエにあったのはそんなささやかで、それでいて暖かく穏やかな絵達だった。
 彼が見た妻の悲嘆も苦悩も、況してや血の匂いも、綺麗さっぱり拭い去られていた。
「バイト帰りにアパートの近くで父さんの車を見掛けて、運転士に訊いたら此処だと言うので見に来てくれたのかと……」息子は苦笑しながらも、父の手を取って助け起こした。「鍵……拾っていてくれたんですね」
 否定しようとした父だったが、ほんのりと浮かんだ息子の笑みに、言葉を失くしてしまった。
「父さん、自分は未だ未だだと思います。目に見える一面しか描けていないと。けれどいつか、一枚で多様なものを感じさせる様な絵を描けるようになりたい。それでも……父さんが認めてくれる様なお金は稼げないだろうけれど……。今はこんな所しか借りられないし、バイトに追われる毎日だけど」
 それでもいつか、この微笑みを再現出来るようになりたいと言ってポケットから取り出したのは、彼の母の写真だった。薄化粧をし、優しく、明るく微笑んでいる。
 男は悟った。息子が本当に家政婦――もしくは家庭教師――から受け取っていたのはこの写真で、あの悲哀に満ちた絵は、自身が作り出したものだったのだと。金の為に顧みなかった家庭。金の為に捨てて来た筈の笑顔。
 金では取り返せないもの達。
「そうか……」ほうっと一つ、息をついてから彼は言った。「それが再現出来るのを……いや、母さんに会えるのを、わしも楽しみにしておくよ」
 何年か振りに、父は笑った。寂しげな、それでいて穏やかな、そんな表情で。

「御苦労様」鍵を鍵束に繋ぎ、少女は呟く。「息子さん、もうちょっと遅く来てたら……どうなってたかしらね?」
 悪戯っぽいくすくす笑いが、闇に流れた。
 年老いた心臓に、今夜の事はかなりの負担だったかも知れない。
「冗談よ」青い少女はやや上空を振り仰いで言った。「未だ貴女の所へ行かせる心算は無いわ。貴女も未だ会いたくはないんでしょう?」
 肯定の気配を受けて、少女はその場でくるりと踊る様に回った。青い服が翻る。
「どうせあのお金の重みで、貴女に会う前に沈んじゃいそうだものね。今の儘じゃ」悪戯っぽく笑って、少女は胸元から金の鍵を取り出す。〈master key〉のプレート。
 個性一つ無い貸し倉庫の一室。その錠が金の鍵を受け付けた時、その扉の先は何処とも知れぬ空間となり、少女はそちらへと消えた。
 上空から親子を見下ろす、妻であり母であった女性を残して。

                      ―了―

 成敗! この程度でよかったかな?(゜_゜)

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ふぅ~~~!
なんかホッ!としました。
お父さんの気持も分かるし、息子の気持もわかるし、まぁ~これで親子がうまくいくと良いなぁ!

クーピー URL 2008/05/13(Tue)23:45:44 編集
Re:ふぅ~~~!
お父さんをもうちょい金の亡者にして、怖い目に遭わせても良かったんですが……^^;
季節外れの『クリスマス・キャロル』なってしまう(笑)
巽(たつみ)【2008/05/14 00:46】
こんばんは
良いですねー
金が有るだけじゃ駄目よね。心が無いとね。
うんうん。良いですね~

アリスが少しブラックなのも○
冬猫 URL 2008/05/14(Wed)00:26:12 編集
Re:こんばんは
元々はタウンゲームでぴぴさんが「お金に狂った寂しい奴をありすが成敗!」みたいな事を言ったのがネタだったりします(^^;)
や、あれやってると金銭感覚(勿論ゲーム上でだけど)解らなくなってくるのよ☆
その所為もあってちょこっとブラックありす♪
巽(たつみ)【2008/05/14 00:51】
巽が電話したの?
巽が電話したの?
BlogPetの夜霧 URL 2008/05/14(Wed)09:37:22 編集
Re:巽が電話したの?
ううん、間違い電話でしょ。
巽(たつみ)【2008/05/14 18:46】
おはよう!
路地裏でぴぴさんと話してた金の亡者を成敗の話、早速ネタにしたな。(笑)

う~ん、でも、気持ちも分からないではないようなぁ。
お金稼ぐのって大変。
わき目を振らずしなきゃならない部分もあるような。

一方で心も大事っていうのも分かる気もするしぃ・・・。

しかし、こんなことで改心するのかぁ。(笑)
この後、会社はどうなるんだろう?
ちょっと違う興味があったりして。^^;
afool URL 2008/05/14(Wed)11:39:03 編集
Re:おはよう!
早速ネタにしました(笑)
まぁね、大金稼ぐには時に何かを犠牲にしなきゃならなかったりする事もあるよね。でも、稼いだには稼いだけど、気付けば一人って寂しいじゃないですか。
会社……ワンマン社長も少しは柔らかくなるんだろうか(^^;)
巽(たつみ)【2008/05/14 18:49】
こんにちは
どうなんですかね~。この親父。
っていうか金持ちの考えていることは
よくわからん。(笑)

ま、画家として成功するのかしないのか
気になるところですが・・・
なっち URL 2008/05/14(Wed)12:19:20 編集
Re:こんにちは
画家としては……どうなんでしょうねぇ。
まぁ、親父がこっそりと――正面切っては断られるので――援助位はするかも知れないけど。知人に紹介しまくるとか。でも、それで売れるかどうかは彼の腕次第。
巽(たつみ)【2008/05/14 18:52】
有難う^^
最初に読みかけて、”来た~~”って思った^^
もっと残酷な結末かと思ってたけど、ありすちゃんだし、これくらいが良いでしょう。
お金の為に失うもののない様に生きたいよね。
まぁ~お金ないから、心配ないけど(>_<)
私が来るの遅くなってごめんなさいm(__)m
ぴぴ 2008/05/14(Wed)19:04:00 編集
Re:有難う^^
早速書いてみました~(^^)
まぁ、犯罪者でもないし、こんな所かと。
巽(たつみ)【2008/05/14 21:20】
無題
こんばんわ(^o^)丿

あらら。。お父さん評判悪いですね~^^;
経営者なんてコレくらいじゃないと務まりませんよ。だって、多くの従業員の生活かかってるんだもん、恨まれるのも嫌われるのも役目のうち。奥様もそれを覚悟で一緒になったのだから、不幸ではなかったんじゃないのかなぁ。
逆に、ヒトがいいだけの経営者の方が、
本当に大切にしなくちゃいけないひとを現実的に
よっぽど不幸にしてる感じがしちゃいます。
moon URL 2008/05/14(Wed)19:13:14 編集
Re:無題
うん、ある意味暗いアトリエの中で見えてたのは、彼の心象でもあります。
犠牲にし、切り捨ててきたと彼自身が思っているからそう見えたり……。
奥さんの方は解ってるから、せめて孤独なワンマン社長と息子の仲を取り持ちたかったりして、ありすに頼んでみる(笑)
巽(たつみ)【2008/05/14 21:27】
無題
どもども!
自分自身の幻影に恐れてたんですね~。
家庭の事を考えずに仕事に没頭すると、アリスが出てくるのか…。
仕事じゃなくて猫に没頭しても、出てきちゃいますかね?w
猫バカ1番 URL 2008/05/14(Wed)21:46:01 編集
Re:無題
猫に没頭ですか(笑)
それは大丈夫じゃないかな^^
それにしても猫バカさんの周りは……猫だらけ(笑)
羨ましいぞー☆
巽(たつみ)【2008/05/14 22:47】
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