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〈2007年9月16日開設〉 これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。 尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。 絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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 この部屋を空けるしかない――女は自宅二階の一室のドアを前に逡巡していた。南側の日当たりのいい部屋。
 しかし、この五年、ずっと封じられていた部屋。
 鍵は何処へやったろう? 確かあの人が何処かへやってしまった。捨てたと聞いた気もする。私が部屋に入れないように。
 私がいつ迄もこの部屋で泣き暮らさないように。
 しかし、新しい家族が増えれば、この部屋もいずれ必要になる。然して部屋数も多くないこの家で、子供部屋を用意しようとすれば、此処しか無い。
 女は膨らみが目立つ様になった腹部を撫でた。未だ当分はいいだろう。だが、この子が生まれ、育ち、自分の部屋を欲する様になる。
 彼女は重い溜め息をつき、今日はこれだけと、ドアに掛かった可愛らしい色遣いのネームプレートを躊躇いがちに外した。

 庭の草花に水をやっていた彼女は、低い生垣の向こう、道路で遊ぶ少女に目を止めた。石蹴りでもしているのか、その歩みはあちらへこちらへと危なっかしい。
「お嬢ちゃん!」思わず門の鉄柵を押し開けて、彼女は道に飛び出していた。
 振り向いた少女は十歳になったかならないか、茶色の髪に青いリボンが映えている。あどけない顔で彼女を見上げた。
「此処は車も通るのよ? 危ないから公園か何処か、出来ればお母さん達の目の届く所で遊びなさい」その小さな肩を抱き止めて、女は言った。「いいわね?」
 必死の形相だった。傍から見れば滑稽に見える程に。
「此処、危ないの?」少女は小首を傾げた。
「ええ。そう……危ないのよ。前にも、車に轢かれた子が居てね……。結局その子は……」助からなかった――その言葉が口に出来ない。言葉よりも先に嗚咽が溢れそうで。「……私の、娘だったの……」
 あれから五年も経つのに。
 次の命も授かりつつあるのに。
 忘れる事も出来ない。この家の僅か十メートルばかりの道で車に撥ねられ、死んだ娘。
 それからの毎日は娘の部屋で泣き暮らした。娘の物に溢れた、今にも元気に帰って来そうな部屋。なのにその声は、もうしない。笑顔は写真やビデオの中だけ。もう、成長した彼女には会えない。
 そうやって家事も放棄し、茫然と泣き続ける彼女を、夫があの部屋から閉め出したのは当然の事だったのだろう。彼も辛いのは同じだが、それと共に、妻が心配に思えたのだ。
 しかしもう五年経ち、彼女も落ち着いたと思ったのだろう。生まれてくる子供の為にも、あの部屋を空けようと、相談されていた。娘の物を処分し、娘の残り香をも一掃し。
 鍵は新しい物を作るか、取り替えればいい。そんな話を彼女は茫然と聞いていた。
 確かに鍵はそれでいい。でも娘の替わりは居ない――そんな憤りが渦巻くのを感じながら。
 過去への思索に深く入り過ぎていたのだろうか、気が付けば少女の姿は無かった。その代わりにその場には、何処か見覚えのある鍵が一本落ちていた。

 鍵には色褪せたピンクのリボンが付いていた。それは娘の持っていた物に余りに似ていて――女は二階の開かずの間へと、吸い寄せられる様に向かっていた。
 プレートの取り去られた木のドアは、殊更に冷たく見えた。
 真逆と思いつつも挿した鍵は、鍵穴にぴたりと納まり、部屋は五年振りに開放された。

 空気に重さがあるとすれば、それは時間と共に降り積もるのだろうか。
 カーテンも締め切られた暗い部屋の中、空気は澱み、じっとりとした重さを持って彼女を迎えた。
 何一つ、移動されていない。何一つ捨てられなかった部屋。それでも埃だけがうっすらと積もり、部屋の主の不在を思い知らせてくれる。
 この部屋を片付ける――窓のカーテンを開け、その動きにより日差しの中に埃舞う部屋を眺め、彼女はまた、涙腺が緩むのを感じ、口元を歪ませた。
 五年前の流行だったパーカー。やはり五年前、絶頂期だったアイドルのポスター。壁のコルクボードにピンで留められた写真の日付も五年前。
 五年前で全てが止まった部屋。五年前で全てが終わった部屋。
 この部屋を片付けるですって!?――あの子が居る所は此処しか無いのに! あの子が帰って来る所は此処しか無いのに!?
 いつしか、喉から嗚咽が漏れていた。

「本当に全てが終わったの?」暫し後、背後から掛かった声に彼女は飛び上がらんばかりに驚いた。
 それは忘れた事も無い、娘の声だった。しかも録音などではない、生の音声だ。
 だが、どれ程見回しても、その姿は無かった。
「何処? 何処に居るの!?」気も狂わんばかりに、彼女はその姿を求めた。
「それよりママ、私の質問に答えて」娘の声は、何処か怒っている風だった。「本当に全てが終わったの?」
「……ええ」女は頷いた、「貴女が死んで……私には……」
「そう」母の嘆きを、娘の声が冷たく断ち切った。「じゃあ、その子も要らないね」
「え……?」無意識に腹部に手を添えながら、彼女は惚けた声を出す。
「ママはもう終わっちゃったんでしょう? パパは未だ、ママともう一回家族を作ろうとしてるみたいだけど。でも家族は一人じゃ作れないでしょ。例え血の繋がりがあっても、ママが終わってるんじゃ……その子は家族になれない。いつ迄もあたしと比べて、いつ迄もあたしの影を重ねて……そんな位なら、その子が可哀想」
 可哀想? この子が?――女は自らの腹を撫でる。
 そんな事は思った事も無かった。只、亡くした娘が可哀想で、自分が可哀想で……。夫さえ、思いやる余裕は無かった。
「だからね、あたしが連れて行って上げるわ。その子を」そう言った娘の声は何処か禍々しく、生者への嫉妬に彩られていた。
 何かが、腹に触れた感じがした。見えない、しかし冷たい何か。
 それは彼女の手をも通過して、腹部に触れ――女はざわりと、鳥肌が立つのを感じた。
「止めて!」女は悲鳴の様な声を上げた。「連れて行かないで! この子は……失いたくないの! 私達の子供なの!」
 ぴたり――動きが止まった。
 そして、冷たかった感触が、温かく、柔らかなものへと変化していく。それは終いには優しく彼女の腹を撫で……退いた。
「だったら、その子を――妹を頼むね。ママ」
 その言葉を最後に娘の声は聞こえなくなり……空気の澱(おり)は窓から差し入る夕陽に溶かされていった。
 夕陽が沈み闇に包まれる迄、母はその場で決別の涙を流し続けた。
 いつしかその手から、鍵が消えているのも気付かず。

「御苦労様」色褪せたピンクのリボンを解いた鍵を、鍵束に繋ぎながら少女は囁いた。役目を終えたピンクのリボンを、風に放つ。
 リボンは落ちる事無く、舞い上がり、もう一人の少女の手へ納まった。
「ママってばあたしの物、全部置きっ放しなんだもん」彼女は苦笑した。「あたしが帰れないの解ってる癖に……。取り敢えず、これ位はこの世の名残りに貰って逝くわ」
「全く……。娘に心配掛けるなんてね」青いケープの肩が上下する。「でも、あの人が本当に終わっていたら、どうする心算だったの?」
「……大丈夫」穏やかな笑みが浮かぶ。「本当に終わってたら、あたしの部屋のプレートすら外せなかったよ。あれでもね、前に進む気だった。少しずつだけど」
「そう」青の少女はにっこりと微笑した。
「じゃ、あたしも進むから。ありがとね。ありす」言って、彼女の姿は掻き消えた。
 青いケープを翻し、少女も夜の中に姿を消した。

 数ヵ月後、夫婦は元気な女の赤子を授かった。
 無くなった部屋の鍵も取り替えられた、真っ白な部屋が彼女の成長を待っている。

                      ―了―

 ありすシリーズ、ちょこっと毛色が違いますね(^^;)
 嘆き過ぎると死んだ子が先行きならんと聞いた気がします……。 

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こんばんは
そうそう、死んでいく人って、何時までも泣いて引きずっていて欲しくないって、きっと思うんだよね。
自分が死ぬとしたらそうだし。
でも、生きている人は、その人が生きていた証みたいな物を、中々消せない。
難しいよね。
って、最近、感想になってないような。
afool 2008/01/16(Wed)00:10:56 編集
Re:こんばんは
割り切るのは冷たさじゃないと思うんですよ。
死は生きている以上、いつかは訪れる事だし、ならば私は後顧の憂い無く行きたい。偶に思い出してくれると嬉しいかも知れないけど、いつ迄も泣かれたくはない。
見送る方に回るのはやっぱり辛いんだけどね。亡くなった父の話をしていて、無意識に涙がだーっと出てたりね(苦笑)
巽(たつみ)【2008/01/16 01:29】
なんて
なんて幸せなママだろうね。
嘆き悲しみ、時が止まってしまったママの目を醒まさせてくれる、よくできた亡き娘さんがいてくれて…。
親になったことがないので分からないけれど、子どもを亡くしたら多分、こういう時間の止まり方は、普通というか当然だと思います。そこから立ち直ってまた前に進むのことに、どうしても向き合えなくて離婚してしまう両親も珍しくはないのだし。
ありすちゃん自身が、果たして生者か死者か、分からなくなってきたですよ(笑)。
みけねこ URL 2008/01/16(Wed)01:15:39 編集
Re:なんて
ほんま、ありす何者やろうね?(笑)
突然過ぎる死、それも子供の死ってやっぱりなかなか心が受け入れられないのでしょうね。帰らないのが頭では解っていても部屋を片付けられない。どこかで待ってる。
でも、それは傍から見ても辛過ぎる……(--;)
巽(たつみ)【2008/01/16 01:41】
おーい(^O^)/
大丈夫かな??
さっきコメントが出来なかったよ。

不思議な鍵のアリスシリーズだね
これに出て来た女の子は親孝行だなぁ…偉いよ。
死んだら悲しみは深いけど、それに囚われたら駄目だよね。

昔、ものすごく悲しんでる時なのに、トイレに行きたくなって馬鹿馬鹿しくて笑えた時があった。
自分は生きてるんだから当たり前の事なんだけどさ。
笑えたよ。
冬猫 2008/01/16(Wed)05:07:39 編集
Re:おーい(^O^)/
鯖!?

悲しくてもお腹は減るし、生理現象は止められない。
生きて行かなきゃならないって、頭より身体の方がよく知ってるのかもね。
巽(たつみ)【2008/01/16 13:26】
無題
こんばんわ(^^)
自分の将来を見ているようww
ぽちっ。。゛(ノ><)ゝ ヒィィィ
moon URL 2008/01/16(Wed)07:07:51 編集
Re:無題
moonさんの将来って……★
何で生物の寿命って差があるんでしょうね?(--;)
巽(たつみ)【2008/01/16 13:30】
おはようございます。
早朝コメントでございます。
朝から悲しくなってきましたT^T
こんな事が前に進む事が出来なくなって、止まってしまうのは誰でもそうだと思います。よい娘さんがいてよかったですね…。悲しみばかりじゃ前に進めないですよね。
ふわりぃ URL 2008/01/16(Wed)07:15:07 編集
Re:おはようございます。
あああ、朝から悲しくさせてしまった(>_<)
でも、彼女は悲しみも含めて前に進めたので……ね?
巽(たつみ)【2008/01/16 13:33】
こんにちは
子供を亡くす辛さはきっと想像以上なんだろうな。でも、やっぱりいつまでもこだわりすぎてはほしくないよね。多分・・・

このありすちゃんは、仲間はいないのかな?

ふと、思ったもんで・・・

やっぱ、この鍵シリーズ好きだな~
なっち 2008/01/16(Wed)12:52:14 編集
Re:こんにちは
有難うございます~(^^)
ありすに仲間……どうなんだろう?
ペット(きっと猫)を付けるとベタになるしな(笑)
巽(たつみ)【2008/01/16 13:36】
こんにちは♪
子供に先立たれるのって、きっと、物凄く辛い事なんだろうねぇ・・・・猫を引き合いに出したりしたら差しさわりがあるかもしれないけど、猫を子供に置き換えて想像してみたら、とてもよく分かります!

そこで時間が止まってしまうのも・・・・・

でも、そうやって死んだ子に囚われて、前に進めないのは、死んだ子にも負担になるよね、

気持を切り替えるのは、なかなか難しいけど!

クーピー URL 2008/01/16(Wed)14:43:34 編集
Re:こんにちは♪
うん、切り替えは難しいでしょうね。
でも今傍に居る家族や、新しく出来る家族も大事。
にゃんこも家族にゃ♪
巽(たつみ)【2008/01/16 16:37】
ん、
このシリーズは、どんな色にも染まる。
いろんなバリエーション見せてね。

>空気に重さがあるとすれば~
この下り、説得力あると思った。
ほんと、そうだよね。
開かずの間の、時間が重くよどんでいる感じが伝わってくるもん。
ぷん URL 2008/01/16(Wed)15:16:36 編集
Re:ん、
有難うございます(^^)

確かに結構汎用性は高いかも。鍵って色々あるからね。
さて、次は何の鍵――誰の鍵――にしよう?
巽(たつみ)【2008/01/16 16:40】
そうかぁ・・・
亡くなった者の心境ってどうなのかな?って思う事がある・・・
野生人は死別だし、私は時々その壁が大き過ぎて負けそうになる。
良いのかな?とか、幸せになって欲しいと願えるものなのかな~?とか
そんな気持ちも交差しながら、手を合わしお線香をあげる・・・
ぴぴ 2008/01/16(Wed)22:06:22 編集
Re:そうかぁ・・・
亡くなった人の心が気になる時って、ありますよね……。
うちの父とか、夢枕にも立たないもんなぁ(--;)
巽(たつみ)【2008/01/16 23:28】
安心してもらう
死者に対してできることは、安心してあちらの世界に行けるように心配をかけないことと聞いたときになるほどなぁって思いました。
心にしみるお話☆よかったです(^^)
赤ちゃん授かっても亡くした娘をってのは生まれてくる子供がかわいそうだものねえ…
つきみぃ URL 2008/01/16(Wed)23:24:22 編集
Re:安心してもらう
有難うございます(^^)
忘れられるのは寂しいけれど、いつ迄も泣き暮らされては先行きが……。
偶に思い出してお仏壇の前ででも笑ってくれればいいんじゃないかな。
うん、赤ちゃんね、やっぱり誰の代わりでもないんだから。その子として迎えて上げないとって話です。
巽(たつみ)【2008/01/16 23:32】
こんばんわ★
お母さん、新しい1歩を踏み出す勇気、娘ちゃんにもらったんですね。
頭ではわかっていても、なかなか実行できないこと、たくさんるにゃ…(@_@)
モアイネコ 2008/01/17(Thu)03:19:24 編集
Re:こんばんわ★
うん、頭と心はなかなか同調してくれない(苦笑)
難しいねぇ。
巽(たつみ)【2008/01/17 13:23】
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