〈2007年9月16日開設〉
これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。
尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。
絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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雨音が耳について眠れないと、キヨは小さな手で目を擦りながら囲炉裏端の母親に訴えた。
長く続く激しい雨が、トタン屋根を叩いている。薄い窓硝子も雨滴が当たる度に音を立て、震える。幼いキヨにはそれが何か恐ろしいものが、手を伸ばして窓を叩いている様に思えて、安心して眠るどころではなかった。
「何でもないよ、キヨ」控え目に微笑んで、母はキヨの髪を撫でた。「あれは只の雨。家の周りには何にも怖いものなんて居やしないよ。さ、お休み」
奥の部屋へと連れ戻し、捲れた布団の皺を伸ばしてキヨを寝かせ、優しく布団を掛けてやる。いつもの動作。いつもの優しい微笑み。
それに安堵して、キヨは床に着く。
一度は。
長く続く激しい雨が、トタン屋根を叩いている。薄い窓硝子も雨滴が当たる度に音を立て、震える。幼いキヨにはそれが何か恐ろしいものが、手を伸ばして窓を叩いている様に思えて、安心して眠るどころではなかった。
「何でもないよ、キヨ」控え目に微笑んで、母はキヨの髪を撫でた。「あれは只の雨。家の周りには何にも怖いものなんて居やしないよ。さ、お休み」
奥の部屋へと連れ戻し、捲れた布団の皺を伸ばしてキヨを寝かせ、優しく布団を掛けてやる。いつもの動作。いつもの優しい微笑み。
それに安堵して、キヨは床に着く。
一度は。
天井の染みが気になると、キヨは小さな手に枕を抱えて母親に訴えた。床に着いてから僅かに小一時間だろうか。
長雨の所為だろう、何処から吹き込んだものか天井裏に雨が染み入り、妖しげにも見える染みを形作っていた。点が三つもあれば、それはキヨの頭の中で人の顔になる。それも、丸で何かを訴えかけている様な、叫んでいる様な、そんな表情で。
「何でもないよ。キヨ」母は、家の天井のそこかしこに浮かんだそれらの染みを見上げて、微苦笑した。「あれは只の染み。怖いものなんかじゃないよ。この雨が止めばいずれ乾いて消えるよ。さ、お休み」
相変わらずの雨垂れの音の中、キヨは部屋へと連れられ、床に着いた。
傍らの畳にそっと身体を横たえ、母は拍子を取る様に、向かい合ったキヨの小さな背中に優しく手を添える。唇からは低く、子守唄が流れ出た。小さいけれども、雨音よりも強く、キヨの耳にそれは入り込む。
その唄に誘われる様にして、キヨは眠りに就いた。
水の渦巻く音に、キヨは囲炉裏端に戻って座っていた母に縋り付いた。
先程迄の雨音とは違う。凶暴な、全てを巻き込む水の音。地滑りの音も、時折響いてくる。
雨音や染みから生まれた想像上の恐怖などではない事は、地を通じて伝わる振動が教えてくれる。
「何でもないよ。キヨ」母は――窓硝子を割り、板戸を流し、土間を浚(さら)って流れ込む水の中で、哀しげに微笑んで言った。「これは……もう済んだ事なんだから。もう、怖い事なんて……私が死ぬ事なんてないんだよ」
キヨは、渦巻く水の中、母の手をしっかりと握り締めて、頷いた。
長雨の末鉄砲水に遭い、その後、治水の為にダムに沈んだ村を、二十年振りに女は見渡した。
とは言え見えるのは鏡の様な湖面と、それを囲む山岳地のみ。水の奥底には、村の佇まいが幾らか残っているかも知れないが。透明度の然程よくない湖では、そこ迄は窺い知れない。
「何でもないよ。母ちゃん」女は――キヨは菊の花束を湖面に流しながら、呟いた。「只、夢を見ただけ。いつもの夢を」
あの日、ぎゅっと握った母の手は小さな手から滑り抜け、どれ程時間が経ったものか、気が付いた時にはキヨは独り、乾いた地面に泥だらけで横たわっていた。母の遺体はその後、村の多数の人々と一緒に発見された。
それ以来出稼ぎに出ていた父に引き取られ、あの日の夢にうなされながらも、此処に来る事も無かったのだが、母の歳を越え、家庭を得、娘を得たからだろうか。あの日の母の笑みが時折、脳裏に浮かぶ。
自身も眠れない程不安で一杯で、それでも娘には心配させまいと無理に微笑んで、優しく寝かし付けてくれた母。女子供だけで夜の、然も土砂降りの中を避難する事も出来ず、居た堪れなかっただろうに。
それでも彼女は微笑んでいた。娘を不安がらせまいという一心で。
「お休み」湖に向かって一言、それを離別の挨拶として、キヨは踵を返した。
―了―
時代設定、結構昔な感じになりましたね。う~む。最近、怖い話にならないぞ(--;)
長雨の所為だろう、何処から吹き込んだものか天井裏に雨が染み入り、妖しげにも見える染みを形作っていた。点が三つもあれば、それはキヨの頭の中で人の顔になる。それも、丸で何かを訴えかけている様な、叫んでいる様な、そんな表情で。
「何でもないよ。キヨ」母は、家の天井のそこかしこに浮かんだそれらの染みを見上げて、微苦笑した。「あれは只の染み。怖いものなんかじゃないよ。この雨が止めばいずれ乾いて消えるよ。さ、お休み」
相変わらずの雨垂れの音の中、キヨは部屋へと連れられ、床に着いた。
傍らの畳にそっと身体を横たえ、母は拍子を取る様に、向かい合ったキヨの小さな背中に優しく手を添える。唇からは低く、子守唄が流れ出た。小さいけれども、雨音よりも強く、キヨの耳にそれは入り込む。
その唄に誘われる様にして、キヨは眠りに就いた。
水の渦巻く音に、キヨは囲炉裏端に戻って座っていた母に縋り付いた。
先程迄の雨音とは違う。凶暴な、全てを巻き込む水の音。地滑りの音も、時折響いてくる。
雨音や染みから生まれた想像上の恐怖などではない事は、地を通じて伝わる振動が教えてくれる。
「何でもないよ。キヨ」母は――窓硝子を割り、板戸を流し、土間を浚(さら)って流れ込む水の中で、哀しげに微笑んで言った。「これは……もう済んだ事なんだから。もう、怖い事なんて……私が死ぬ事なんてないんだよ」
キヨは、渦巻く水の中、母の手をしっかりと握り締めて、頷いた。
長雨の末鉄砲水に遭い、その後、治水の為にダムに沈んだ村を、二十年振りに女は見渡した。
とは言え見えるのは鏡の様な湖面と、それを囲む山岳地のみ。水の奥底には、村の佇まいが幾らか残っているかも知れないが。透明度の然程よくない湖では、そこ迄は窺い知れない。
「何でもないよ。母ちゃん」女は――キヨは菊の花束を湖面に流しながら、呟いた。「只、夢を見ただけ。いつもの夢を」
あの日、ぎゅっと握った母の手は小さな手から滑り抜け、どれ程時間が経ったものか、気が付いた時にはキヨは独り、乾いた地面に泥だらけで横たわっていた。母の遺体はその後、村の多数の人々と一緒に発見された。
それ以来出稼ぎに出ていた父に引き取られ、あの日の夢にうなされながらも、此処に来る事も無かったのだが、母の歳を越え、家庭を得、娘を得たからだろうか。あの日の母の笑みが時折、脳裏に浮かぶ。
自身も眠れない程不安で一杯で、それでも娘には心配させまいと無理に微笑んで、優しく寝かし付けてくれた母。女子供だけで夜の、然も土砂降りの中を避難する事も出来ず、居た堪れなかっただろうに。
それでも彼女は微笑んでいた。娘を不安がらせまいという一心で。
「お休み」湖に向かって一言、それを離別の挨拶として、キヨは踵を返した。
―了―
時代設定、結構昔な感じになりましたね。う~む。最近、怖い話にならないぞ(--;)
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いちば~ん
やった☆一番乗り(^^)
確かに…最近コワいの意味が違ってきているような気もする(^_^)
でも、想像するとかなりコワいよ。見ずに飲み込まれちゃうんだよね。。。考えたくない。
母は強し!私も強いかな(;^_^A
確かに…最近コワいの意味が違ってきているような気もする(^_^)
でも、想像するとかなりコワいよ。見ずに飲み込まれちゃうんだよね。。。考えたくない。
母は強し!私も強いかな(;^_^A
Re:いちば~ん
見ずに飲み込まれるのは怖いね~(^^;)
と言うか、飲み込まれるのはやだ(笑)
強いですとも! お子さんも優しい子に育っておられるし♪
と言うか、飲み込まれるのはやだ(笑)
強いですとも! お子さんも優しい子に育っておられるし♪
Re:無題
そう言えばありましたね、怖い映画!(そして私は微妙に釈然としなかった……)
母と水って繋がり易いのかな?(母と水、ですよ~? 水と母だと……水母〈くらげ〉になっちゃう・爆)
母と水って繋がり易いのかな?(母と水、ですよ~? 水と母だと……水母〈くらげ〉になっちゃう・爆)
Re:こんばんは♪
残念、3番目!^^;
最近怪談を考えると、どうもどこかで聞いたか読んだ様な話(もしくは既に書いたのに似る)になりそうで、ちょっと路線が変わってきてますね~。
一番怖い思いしてたのは母親かも。
最近怪談を考えると、どうもどこかで聞いたか読んだ様な話(もしくは既に書いたのに似る)になりそうで、ちょっと路線が変わってきてますね~。
一番怖い思いしてたのは母親かも。
こんばんは
トタン屋根が普及したのは明治維新後。主に銀行や商店だそうです。
日本で商品化するのは、もっと後。
この小説では、ご主人が出稼ぎに行ってる事から、昭和の戦後辺り位から~昭和中頃過ぎの水害なのかな?
キヨちゃんの悪い予感が当たってたんだね。
いつの時代も母はつよし!
でも心細かっただろうな。
日本で商品化するのは、もっと後。
この小説では、ご主人が出稼ぎに行ってる事から、昭和の戦後辺り位から~昭和中頃過ぎの水害なのかな?
キヨちゃんの悪い予感が当たってたんだね。
いつの時代も母はつよし!
でも心細かっただろうな。
Re:こんばんは
銀行がトタン屋根! 今では考えられないですねぇ(しみじみ)
昭和初期位かな? イメージとしては。
だから夜は暗いし、気軽に逃げ込めるコンビニなんかも無い。
不安を抱えながらも、そんな夜道を子供連れて逃げる事も不安……母は強くて弱いです。
昭和初期位かな? イメージとしては。
だから夜は暗いし、気軽に逃げ込めるコンビニなんかも無い。
不安を抱えながらも、そんな夜道を子供連れて逃げる事も不安……母は強くて弱いです。
Re:珍しい^^
うん、昔の山村のイメージで書いたら、やっぱり難しい名前はないやろう、と。女の子だと漢字も余りなくて、片仮名かな~と。それでキヨちゃん。
Re:こんにちは
一応ミステリー・怖い話・奇妙な話……を目指しているので(^^;)
まぁ、拘らなくてもいいんですけどね。
まぁ、拘らなくてもいいんですけどね。
Re:無題
お風邪大丈夫ですか? 無理なさらないで下さいね。
はは……私も母じゃないけどねー(^^;)
やっぱり大事にしないとね。
はは……私も母じゃないけどねー(^^;)
やっぱり大事にしないとね。
無題
こんばんは。
私は小さい頃平屋に住んでいたんですが、天井とか壁の染みが怖くて仕方なかった時期がありました;
想像力豊かなお年頃ですよね…。
火事も怖いけど、水に飲み込まれるのも怖いです。泳ぐったって水の勢いに勝てるわけないし(笑)。
自然は怖いです。ホントに。
私は小さい頃平屋に住んでいたんですが、天井とか壁の染みが怖くて仕方なかった時期がありました;
想像力豊かなお年頃ですよね…。
火事も怖いけど、水に飲み込まれるのも怖いです。泳ぐったって水の勢いに勝てるわけないし(笑)。
自然は怖いです。ホントに。
Re:無題
うんうん、壁や天井の染みとか、箪笥の木目とか(>_<)
何か怖いし、じーっと見てると広がってくる感じがするんですよね。夜なんか暗くてよく見えない筈なのに(^^;)
因みに私は海で泳いだ事がありません☆
何か怖いし、じーっと見てると広がってくる感じがするんですよね。夜なんか暗くてよく見えない筈なのに(^^;)
因みに私は海で泳いだ事がありません☆
おはよう
母の愛は深しですな。
あたしも天井のしみが人の顔に見えたり、
動いているように感じたり、大きくなってるように感じた時期があったなぁ。
今でもたまに思うときもあったりする。
そんなときは「気のせい、気のせい」と言い聞かせてます。(笑)
あたしも天井のしみが人の顔に見えたり、
動いているように感じたり、大きくなってるように感じた時期があったなぁ。
今でもたまに思うときもあったりする。
そんなときは「気のせい、気のせい」と言い聞かせてます。(笑)
Re:おはよう
そうそう、気の所為気の所為♪ 多分(ぽそっ)
天井の隅の闇の蟠った所が広がってるのなんてぜ~んぶ、気の所為ですからね~(^^)
天井の隅の闇の蟠った所が広がってるのなんてぜ~んぶ、気の所為ですからね~(^^)