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〈2007年9月16日開設〉 これ迄の小説等、纏めてみたいかと思います。主にミステリー系です。 尚、文責・著作権は、巽にあります。無断転載等はお断り致します(する程のものも無いですが)。 絵師様が描いて下さった絵に関しましても、著作権はそれぞれの絵師様に帰属します。無断転載は禁止です。
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 珍しく残業も無く仕事を終えた佃(つくだ)の脚は、自動制御でもされているかの様に、馴染みの店へと彼を運んだ。

 『Ringwanderung』

 見上げた看板に、ふと違和感を覚える。秋の夕方の陽に朱く照らし出されたその文字に。
 だが、正体が掴めぬ儘に、佃は「気の所為」と割り切って扉を開けた。いつも来るのはもっと暗くなってからなのだ。違って見えるのは当然と。
「いらっしゃいませ」聞き慣れた心地好い声が二人分、彼を迎えてくれると、最早先程の感覚など霧散してしまった。
 開店時間は通常六時。自分が今日の一番客かもと密かに思っていた佃は、おや、と眼を丸くする。
 カウンター席の端の方に女性客が一人。六十前後だろうか。女性としてはやや大柄で、延びた背筋には凛とした品と、同時に力強さがあった。
 初めて見る客だった。
 
 少し離れた席に座り、それとなく、女性客を観察する。無論この店にも女性の客は少なくない。だが大概は若い女性――それも複数――で、もっと華やいだ雰囲気なのだ。中にはたった二人の従業員目当ての客も……。
 ある若い男性の常連は「悪いっすけど此処だけはデートコースには入れないっすから」と宣言したとかしないとか――因みに彼にそんな相手が居る兆候は無い、とはやはり常連の好事家の談。
 ともあれ、年代を考えれば無理も無いかとも思えたが、それにしても……否、それでいて、兄弟を見詰める眼は優しい。
 初見とは思えない――佃の推測は正しかった。
 年齢以上に皺の寄った口元が微笑み、こう言ったのだから。
「よく覚えていてくれたわね。あれから二十年……こんなお婆さんになったのに。庵君、棗君との約束も果たせない儘……」
「覚えておりますとも」そう答えた庵の声に〈約束〉云々を責める響きは無く……懐かしさと微かな寂しさとが入り混じっていた。「あれからもう二十年ですか……」
「柴の……刑事さん?」こちらは二十年前ともなると未だ幼児。流石にあやふやな様子で、それでも直ぐに鮮明な記憶を発掘したらしい棗。「ああ! あのおば……あ、いえ……」
 柴刑事――年齢から言って元だろう――は笑う。
「もう疾うに定年退職だもの、刑事さんじゃなくて、おばさんでもお婆さんでも、好きな様に呼んで頂戴……役立たず、とでもね」最後は自嘲。
「じゃあ、柴さん」と、棗。「どうして今頃、此処に来たんですか?」最後の言葉は無視したか。
 咎める様な色は微塵も無かった。寧ろ、本当に何故彼女が来たのか、ただそう問うただけの声。
 それでも、柴元刑事は顔を伏せた。

 佃は正直言って、困っていた。耳をそばだてていた訳でもないが、他に客も居ない状況では、嫌でも耳に入ってしまう。それでいて店主、楡庵はいつも通りに接客してくれるものだから、席も立ち難い。しかし、極めてプライベートな問題の気配。この店で初めて感じる落ち着かなさだった。
 それでも彼が意を決して今夜は席を立とうとした時だった。彼女の返答に、待ったを掛けられた。
「この店が何故『Ringwanderung』なのかを訊きたくて来たの」
 決然と顔を上げ、現役時代を髣髴とさせる眼差しで楡兄弟を見据える。
「あの当時……貴方達のお父様が御存命でこの店をやってらっしゃった頃、この店の名前は独語で自由に野山を歩く事を意味する『Wanderung』だったわね。それが何故……環状彷徨を意味する『Ringwanderung』に変わったの?」
 吹雪や濃霧に巻かれ、視界の無い儘に歩き続けると、直進している心算が左右どちらか一方に徐々に傾き始め……やがては大きく円を描いて元の所へ戻ってしまう。左右の歩幅が僅かに違う為に起こるらしいが、体力、精神力を共に損なう危険な状況――それが環状彷徨だ。
 それを何故店名に――?
 佃が初めて来た日に尋ねた事だった。あの時、庵は佃に調子を合わせる様に……いや、明言を避けたのか?
 と、佃の視線に気付いて、自身もその時の事を思い出したのか、庵が微苦笑を浮かべた。
「佃さんも以前お尋ねになられましたね。あの時は曖昧な返答で失礼致しました」言って、深々と頭を垂れる。「本当の理由は……私が惑っているからなんです」
「僕達、だよ」棗が補足訂正した。「かれこれ、十年以上もね」
 臨時休業の札が表に出された。

                    * * *

 事件が起こったのはかれこれ二十年前――庵が十四、棗が未だ六歳の頃の事だった。

 彼等の母、楡祈(いのり)が通り魔に遭い、殺害された。

 未だ庵が中学で授業を受け、棗が幼稚園で遊んでいる、ごくいつもの白昼の事。彼女はいつもの様に買い物に出掛けた。
 それだけだったのに、彼等の「いつも」は破壊された。
 路上で正面から腹部を一突き。犯人と揉み合った跡があったらしい。
 当時住んでいたのは新たに開発された住宅街の外れ――未だ、周囲には自然林も点在していた。現場はそんな林の傍で、目撃者は無かった。金品、その他に手を付けた様子は無く、純然たる殺しらしい。駆け付けた病院で聞いたそんな説明より、彼等が聞きたかった母の声は……。

                    * * *

「そんな……」佃が呻く。
 庵より三つ、四つ上の彼も、そんな事件のニュース位は聞いたかも知れない。しかし他人の事と、聞き流しただけ――それが普通だとは思うものの、今は目の前で笑っている二人に、何か引け目の様なものを感じてしまう。
「それで……犯人は……?」問い掛けて、改めて柴の先程の自嘲の意味に気付いて、口を噤む。
 役立たず――彼女は自分でそう言ったのだ。約束を果たせなかったとも。
「貴方達のお母さんを殺した犯人を絶対捕まえて上げる」彼女の約束とはそういう事だったのだろう。そしてそれは果たされなかった。
 だが、それと兄弟が惑っている事とは……?
 佃が視線を向けると、庵は話し出した。
「あの事件の後、父は変わりました。犯人を、自分で探す……いえ、自分で殺すと言って……」
「そんな事……!」思わず柴が声を上げる。「気持ちは解るわ。でも……」
「許される事でないのは父だって解っていましたよ。当時の私だって……」
「でも父さんは本気だった」棗が続ける。「それでも僕達にも出来る限りの事をしようと、当時やっていたこの店を改装して三人で住める様にし、前の家は引き払った――そう見せて実は捜査の足場にしていたらしいけどね。僕達を辛い現場から遠ざけたかったみたい」
「そして同時に犯人探しを続ける為、学校が長期の休みに入ると私達を祖父母に預け……以前の住所の近辺から範囲を広げていき……此処に帰る事すら無かった様です。それでも休みが終わって帰って来る頃には、戻っていて……見る度に痩せていくのに、いつも笑顔を作っていて……」
「見てる方もね、子供心にも辛かったよね。でも、もう探しても無駄だとは言えなかった――犯人探しが、父さんの生きがいになってしまっている事に気付いたから」

「探しても無駄って……! どういう事ですか!?」佃が眉間に深い皺を作る。
「……犯人は、もうその時には死んでいたから……」弱弱しく、庵が言った。
「……え……?」佃の皺は更に深くなる。
「柴さん、済みません」不意に、庵が謝った。「ある筋から父が入手した資料があったもので、私なりにも検証してみたんです。それで……母の手には犯人と揉み合った時に出来たらしい防御創があったとの事ですが、その中におかしな向きのものがあったと……」

                      ―つづく―       

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続きが…
気になります><
楽しみにしてます~♪
でも、明日早いのでもう寝ます;;

夜霧さんが「う~ん…女性が…主」巽さんの事!?
ふわりぃ URL 2007/12/08(Sat)22:23:15 編集
Re:続きが…
長いので前後編分けたけど、結局一話分書いちゃいました☆
流石に手首が痛いかも(←あほ)
またごゆっくりどうぞ~^^
夜霧、一応誰が主かは解ってるのかな? でも改造されそうなんですけど(笑)
巽(たつみ)【2007/12/08 23:02】
無題
きゃー!
気になる気になるヾ(≧∇≦)〃
兄弟にそこまで暗い過去があったなんて・・
明日が楽しみ♪

夜霧軍曹に「女性客が太くなった」って言われました(>_<)
さっきあんまん食べたのばれた?いや~ん☆
moon URL 2007/12/08(Sat)22:38:37 編集
Re:無題
ふふふ、夜霧軍曹は何でもお見通し☆(嘘)
今迄の話でも所々伏線は張った心算。気付いて貰えるかどうかはかなり微妙(笑)
巽(たつみ)【2007/12/08 23:05】
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