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私が一緒に行けないのは解ってるでしょう?
だってほら、一箇月前の車の事故で私は足を負傷してしまった。命に関わる怪我ではなかったけれど、ひしゃげたダッシュボードとシートの間に挟まれ、長時間の圧迫を受けていた脚は、未だ未だ治療とリハビリを必要としている。
時折襲う鈍い痛みに怯えながら歩いていると言うのに、一緒に行ける筈がない。
その手を握れないのは解っているでしょう?
だってほら、私は腕も負傷してしまった。飛び散ったフロントガラスから顔を守ろうと咄嗟に前に掲げていた為だろう。飛んで来たミラーの破片が刺さり、神経をも傷付けてしまったらしい。未だ新しい傷跡は今でも疼き、引き攣れる嫌な感触がある。
時折痺れて些細な物さえ取り落としてしまう、そんな手ではその手は握れない。
顔を見詰め合えないのは……解ってくれるでしょう?
咄嗟に腕を盾としてさえも、私の顔はそれを擦り抜けた細かいガラスの破片や金属片に襲われた。幸い深い傷は無かったわ。けれど、よくよく見れば治りはしたものの、傷跡が白い線となっている。
こんな顔を、あの日、初めての二人だけのドライブで可笑しい位緊張していた貴方に見せたくない。
だから、もう来ないで?
だってほら、ハンドルを握り締めていた貴方が庇う事も出来ずに受けた顔の傷は、もう治る事もない。
その手も脚も……最早、私が生きている限り抱えていく、痛みや痺れを感じる身体を、貴方は持っていないのだもの。
だから、もう苦しまずに待っていて?
私がいつか、そちらに行く日の事を。
夜、目を瞑る度に血に塗れた姿で現れる彼に、私はそっと祈りを捧げた。
―了―
ね、眠い……zzz
爪が折れたと、彼女は文句を言った。
長く伸ばして、それでも丁寧に整えられていた、彼女の爪。色取り取りのデコレーションがなされていた事もあった、彼女の自慢の爪。
その手指の全ての爪が、折れてしまった。ぼろぼろに、罅割れて、更には泥と血に塗れて。
悲しい、悔しいと、車の運転席に座る僕の隣で嘆く。
次には髪が汚れたと、彼女は言い募った。
背中まで緩く優雅なウェーブを描いていた彼女の髪。明るめの茶色に染めたそれの手入れに、彼女は細心の注意を払っていた。
その髪色艶もなくし、手間を掛けて納得のいく様に作った髪型も崩れてしまった。ふんわりとしていた髪は頭皮にべったりと張り付いて。
恥ずかしい、恨めしいと、買って一回しか使っていないシャベルを道路端の海に放り投げる僕の後ろで泣く。
更には息が苦しいと、彼女は訴えた。
胸と喉元を押さえ、少しでも酸素を取り込もうと喘ぐ。唇が蒼い。
最早声にさえならない声が、僕に訴え掛ける。
――どうして、と。
僕は答えず、再度運転席に乗り込む。
確かに彼女は美しい女性だった。
僕なんかでは吊り合わないとも、思っていた。
けれど、彼女が僕を選んでくれた時、僕はそれを信じてしまった――からかわれていたのだと知ったのは、数日前の事だった。
怒りに任せて殴り付けると、彼女は意識を失ってしまった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……!――僕は彼女の報復を恐れた。
ついカッとなってしまった。済まなかった。そんな素直な謝罪を聞き入れてはくれないだろう。苦痛に歪んだ彼女の顔を見て、僕はそう悟った。
傷害罪で訴えられるか、余りにも高額の治療費と慰謝料を請求されるか。どちらにしても、身の破滅を予感した。
だから――僕はシャベルを買い、慎重に毛布に包んだ彼女を、車のトランクに乗せた。人里離れた森の中に埋めた彼女には、未だ息があったかも知れない……。もう、後戻りは出来ないけれど。
顔が痛いと、彼女は嘆いた。
細面の、小さな顔。通った鼻筋、色艶のよい頬。大きく印象的な瞳。勿論、彼女が一番入念に手入れし、それとなくではあるが誇っていた顔。
それは今、青黒く腫れ、蒼褪めた唇からは血を滴らせ、生気を失った目はじっと、恨めしげに僕を見据えている。
僕の目の前、フロントガラスに張り付いて。
運転中に視界を奪われた僕は海側のガードレールを突っ切り……僕はやはり、と苦笑した。
彼女が命よりも大事にしていた、顔。
それを傷付けて、許される筈はなかったのだ。
ああ……身体が痛い、海水を飲み込んだ胸が苦しい……僕は……これを誰に訴えればいいんだろう?
―了―
自業自得、という事で?
水面に揺れる小舟を、春香は長い間、見送っていた。
小舟と言っても人が乗る様な物ではない。極めて精巧に作られてはいるが、実物の数百分の一の小さなヨットだ。
脚の骨折で入院した病院で知り合った、自身は一時帰宅さえも叶わず、こんな川縁に迄来る事が出来ないと嘆いていた友人に代わって、この模型を流しに来たのだが……彼女は少し、後悔していた。
風の凪いだ中、静々と進んで行く舟はいつかテレビで見た精霊流しを思い起こさせた。灯篭も乗ってはいなければ未だ未だそんな時期でもない。第一、友人は生きている――此処の所、体調がよくない様だけれど。
なのに、小舟が丸でその魂を運んで行くかの様で、彼女はそれを追い掛け、止めたい衝動に駆られた。
だが、もう届かない。舟は川の中程に流れて行ってしまったし、彼女は片脚が巧く動かせない。追い掛けて川になど入れば、自らが危うい。
それでも、小舟が川面に突き出た岩を回り込んで、もう少しで見えなくなるという所で、彼女は足を踏み出していた。
間に合わないだろう事も解っていた。危険も、水の冷たさも解っていた。
それでも、と踏み出した彼女の腕を、誰かが取った――感触があった。
慌てて振り返った彼女の眼に、一瞬だけ、小舟を彼女に託した友人の姿が映った。
真逆、と思う間にそれは消え失せる。
此処に居る筈がない。来られないからこそ、彼女に預けたのだから。それに一瞬で姿を消すなんて……?
春香の胸を不安がよぎる。
彼の容態が急変したのでは? と。
最早小舟どころではなく、携帯を取り出すと入院していた病院に電話を掛け、彼を呼び出してくれるよう頼んだ。
が――入院中に仲良くなった看護士から返って来た返事に、春香は茫然としたのだった。
「春香ちゃん? よく聞いてね。貴女が今言った子は、もう半年も前に亡くなってるの。病院でじゃなくて、退院後に川で事故に遭ったって……。でも――こんな事言っちゃいけないでしょうけど――おかしいのよね。彼は泳げないからって海や川には近付かないって言ってたのに……。何でも、入院中に友達になった子から舟を流してくれって頼まれたんだって、ご両親には話してたそうなんだけど、でも、そんな子供も調べたけれどその当時のこの病院には居なかったのよ。けど、春香ちゃん、どうして彼の名前を? 今何処から掛けてるの?」
川縁からだとは、怖くて言えなかった。
彼は、自分と同じ様に誰かに頼まれて舟を流しに来たのだろうか?
そして自分と同じ様に、それを追ってしまった? そうして……亡くなった?
だとすれば病院で会った彼は一体何者だったのだろう?――そして、今自分を止めてくれた彼は?
もし、舟を追っていたら、いずれ春香の姿をした何者かが、あの病院でどこかの誰かに、小舟を託していたのかも知れない。
小舟という、罠を……。
―了―
4月10日でヨットの日だそうです。
小さな駅舎の向こうは道路と僅かな区画を挟んで、砂浜に続いている。海からの風が、この匂いを運んで来るのだろう。
急ぐ用もなかった僕は何となく、そちらに足を向けた。桜が咲き始めたばかりのこの時期、海なんて眺めても寒々しいだけかも知れないけれど。
生憎の鈍色の空を映した、鈍色の海。白い波がその表面に泡を作る。打ち寄せる波を吸い込んだ砂はじっとりと重く、暗い色が更に周囲を侵食していく。
夏に見る青く輝く海とは別物の様だ。
勿論、辺りに人は居ない。こんな冷たい海に来る物好きなど、そうそう居ないという事か。
いや――やや沖合いに目を転じた僕は、眉を顰めた。
ボート?
更に目を凝らしても、間違いはなかった。波に揺られながら、一艘の小さなボートが浮かんでいる。
ボートだけが。
櫂は固定されている様だが、それを操るべき人が居ない。何かの具合でボートだけが流されたのか、それとも……?
後者だったら大変だ、と僕は駅舎に取って返した。警察か消防に通報するべきか、いや、海難事故なら118か……?
海から運ばれた砂に足を取られながらも駅に辿り着き、僕は駅員に訴えた。ボートだけが浮かんでいる、もし事故だったらどうしよう、と。
すると駅員は、ああ、と頷いてこう言った。
「未だ寒い時期でよかったですね。夏だとよくあるんですよ。確かめよう、あるいは救助しようと慌てて飛び込んで……あの辺りの深みに引き摺り込まれる人が」
聞けば、あのボートは時折、ああして姿を見せるのだそうだ。そしてまたいつの間にか、何処へとも知れず姿を消す。
時には、助けに飛び込んだ誰かを乗せて……。
―了―
こんな寒いのに海なんか行かねーよ(--;)
朝、痛む頭を抱えつつも、一緒に行こうと折角迎えに来たのに、伸ちゃんは出て来ず、伸ちゃんのママが蒼い顔で出て来て言った。今日は休むと言っている、と。
寒かったり暖かかったり、そんな天気が続く時期だから、風邪でもひいたのかと、僕は心配したんだけれど、どうやらそうじゃないらしい。
「勇ちゃん、ごめんね。あの子ったら、夢を見たから行かない……って」
「はぁ?」僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。「夢を見たから、学校休むって……。一体どんな夢を見たんだろう?」
朝になっても布団という安全地帯から出られない程の恐ろしい悪夢か? 学校での日常に煩わされ、掻き消されたくない程の幸せな夢だったのか?
何にしても、伸ちゃんのママはそれを休む理由として、認めたのか? うちのママなら馬鹿言ってるんじゃないわよ! と一喝されてる所だ。
それがね――と、伸ちゃんのママは言った。
「夢の中で、昨日の夕方に交通事故で亡くなった友達が朝、いつもの様に迎えに来た。もし今朝、本当に迎えに来たら……って、震えてたわ。いつもと同じ様でも、行く先が違うから一緒に行けないって。事故の知らせを聞いてそんな夢を見たんだと思っていたけれど……本当に勇ちゃんはこうして迎えに来た。だから、ごめんね、勇ちゃん。一人で行って頂戴ね」
伸ちゃんのママの泣き顔に、僕はこくんと一つ頷いて、一人、歩き出した。
ああ、頭が痛い、肩が痛い、足も、何処もかしこも痛い……。
独り旅立つ、胸が痛い。
誰か、一緒に行かないかい……?
―了―
行きません(^^;)
今夜は雪が降るそうだからカーテンを閉めて、と深雪は言った。
幼い頃は雪が大好きで、雪の日には飽きる事なく窓辺に張り付いていたのに大人になったら寒さが堪えるようになったのかい、と僕が苦笑すると、彼女はすっと視線を逸らして、昔の事だと呟いた。その眼差しがどこか寂しげで、それでいて冷たい程の拒絶を含んでいる様で、酷く気になった。
この年下の従妹と会うのは五年振りだが、以前はもっと口数の多い、明るい子だったのではなかったか? それともこれは考え過ぎで、彼女は単に妙齢の女性らしい落ち着きを得ただけの事なのだろうか。
何かあったの?――そう尋ねるべきか、僕が優柔不断にも迷っている間に、彼女が口を開いた。
「五年前迄は雪が好きだったわ。高校生にもなって、朝起きて一面の雪景色が広がっているのを見るだけで歓声を上げていた程。そんな日は通学路で靴に染み入って来る冷たさも、自転車が使えない不便さも、全然気にならなかった。でも、今は……雪を見たくないの」伏し目がちに淡々と語る、彼女。
そうだ、彼女は窓を閉めてではなく、カーテンを閉めてと言った。カーテンには断熱効果も無論あるけれど、彼女が求めたのは視界への遮蔽効果だったのか。
どれだけワイパーが頑張ろうとも、雨粒は瞬く間にフロントガラスに飛沫の花を散らし、夜の風景を歪める。
対向車が無いのをいい事にライトをハイビームにするが、黒いアスファルトに溜まった水に反射して、却って白線をも隠してしまいそうだった。
早く帰りたい、と直也は思った。傘は持っていたものの、会社の屋外駐車場では停めた車に乗り込む迄にすっかり雨に濡れてしまい、身体は冷えている。ドライブは嫌いではないが、こんな雨の夜は御免だ。早く帰って家でテレビでも見ていたい、と彼は最近は使っていない、しかし通い慣れた近道に車を乗り入れた。
と、五十メートル程先の路面に影が差した――様に見えた。
真逆、人? 直也はブレーキを軽く踏む。
しかし、雨に流される視界の中、傘を差している様子もない。それに現れ方がおかしかった。道路際から歩いて現れたのでもなく、それは丸で路面から湧き上がり、伸び上がった様な黒っぽい何か。
そしてそれは、直ぐに消えた。
もうどれだけ目を凝らしても、人の姿は見付からなかった。ライトの反射で何が書かれているのか判らない看板がある位だ。
きっとライトの反射もあって、夜の闇が更に濃く蟠って見えたのだろう。直也はそう判断し、再びアクセルに足を乗せた。
そして影を見たと思った場所に差し掛かった、その時――がくり、と車のスピードが落ちた。
「!?」どれだけアクセルを踏み込んでも、一向にスピードが上がらない。丸で重い何かを引き摺ってでもいる様な……。真逆、と直也は慌ててブレーキを踏み、今通過した場所を振り返った。「真逆、本当に人が居たんじゃ……!」
車の背後、赤いブレーキランプに照らされた路面に人の姿は無い。
真逆、この下に……直也は恐る恐る、足元を見遣る。何かを轢いた様な衝撃はなかった。しかし、あの影と言い……。急なエンジントラブルなら未だいいが。
こうしていても仕方がないと、直也は震える手で、ダッシュボードから小型の懐中電灯を取り出した。どうせ車の下を覗き込んだりしていれば濡れるのは必定と、傘は持たずに降りる。
幸か不幸か対向車も後続車も無い、山を切り開いて作られた暗い田舎道。頭上では木々が風雨にざわめいている。
どくどくと脈打つ胸を押さえ、直也は車の周囲を照らした。
何も無い。
自分の車を照らしても、一箇月前に買い換えた愛車には何処にも破損した箇所も無ければ、血の跡も無い。尤もこの雨では血痕など、一目見ただけでは判るまいが。
いよいよ、と車の下に光を伸ばし、息を止めて覗き込む。
「何も……無い……」そこに只の黒い路面を認めて、直也はほっと息をついた。自分が轢いた誰かの遺体が、恨みがましい目付きをこちらに向けていたらどうしよう――真逆とは思いつつもそんな想像をしてしまっていた彼は、怯えていた自分が可笑しくなり、緊張から解かれた反動もあってか激しい雨の中、思わず笑い出していた。
ふっ……と、その視界が歪んだ。
「え……?」呆けた声を上げた彼の目の前、車との間に、何かが佇んでいた。
しかし車のライトは変わらず、やや滲んだ光を彼の足元に投げ掛けている。見慣れた車の前面も、見える――何れも丸で水面を通した様に、揺らいではいるが。
彼の前に佇むもの……それが人の大きさ程の水の塊だと気付いた時には、彼はそれに取り込まれていた。
「!!」もがき、足掻くが水を掻くばかりで抜け出せない。それを殴ろうとして振り上げた懐中電灯は、しかしそれを摺り抜け、車のフロントにぶつかって割れた。
辺りにも、彼の意識にも闇が訪れた。
* * *
「起きて」と、直也を揺り起こす、女性の声。
直也は汗だくで、ベッドに身を起こした。未だ息が荒い。
「酷くうなされていたわ。悪い夢でも見たのね」
「あ、ああ……。そうか、夢……」徐々に、意識が現実に戻り、更に急上昇して行く。「夢だったんだ! 何だ、あんなものが居る筈がないと思ったんだ! 道理で……!」
ところで――と、今度は急激に彼の意識は冷め始めた。
「君は……誰だ?」知らない女が何故、自分の部屋に居る? そんな意味も含めての問いに返ってきたのは、くぐもった声音……。
「看板を見れば判るわ――貴方が、やった事……」
ごぼっ……声は次第にそんな音に飲み込まれ、同時に彼女の姿も崩れ始めた。氷像が急激に溶ける様に。
「うわああああっ!」直也は悲鳴を上げて飛び退り――それから朝迄、カーペットに残された水溜りを見据えてまんじりとも出来ずに固まっていた。
朝、彼は夢で見た通勤路を走り、看板を確認した。
そしてその儘、最寄の警察署に出頭した。
看板で情報提供を呼び掛けられていた、一箇月前のある雨の夜の、女性轢き逃げの犯人として。
―了―
交通安全祈願~(-人-)