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穏やかな、優しい老人の声で、カメリア、と。
そしていつしか知る様になりました。それは老人の好きな花の名前でもあり、彼の亡くなった娘さんの名前だと。
老人は人形作家。手作業に拘る為に決して多作ではないけれど、丁寧な仕事を誇る、名工。
私は彼の、最後の作品であり、彼が唯一手元に残した人形でございました。
その、死の間際迄。
それでも今日、月夜が更けての客人の身元とかを保証しなかったのは何故でしょう?
いつもなら来客が解っていれば――そして大概その報せは蝙蝠達が運んで来るのです――その身元を保証し、警戒を解く筈ですのに。今回はそれも無かった様です。
だって、危うくその方、眷属の狼達に噛み殺されそうでしたもの!
まぁ……その方も吸血一族の御様子。その位で本当に死ぬ事は無いでしょうけれど。
それでも血をだらだら流しながら笑うその方を玄関でお出迎えした時には、このカメリア、卒倒しそうでございました。
血の汚れってなかなか落ちないんですよ!? 吸血族の方々は概ねその辺り無頓着ですけれど!
あああ、玄関ロビーの絨毯が……。
ところで私の仕事を増やしてへらへら笑っておられるこの方は、どなたでしょう?
そんな事を呟きながらもいそいそと、硝子の小瓶を抱えて暗い道を辿る少女を見付けたのは、眷属の蝙蝠でございました。辺りは屋敷を隠す暗い森。
他にあるものと言えば、僅かに街から入った場所にある、墓地位のものでしょうか。
眷属からの報告を受けたお嬢様の眉間に、微かな皺が寄せられました。
人間にとって、それも見た所十一、二歳の少女にとってこんな夜中に墓地への道を急ぐなど、尋常な事ではないでしょう。
そしてその小瓶に、嫌な感じがするとお嬢様は仰せになられました。
罪も欲しいかな?
歌う様にそんな事を呟かれながら、お嬢様は窓から暗い森を眺め渡されました。珍しく浮かれておられる御様子。
それも無理はないかと私、カメリアは天空を見上げました。
ぽっかりと浮かぶは綺麗な満月――それもうっとりする様な緋色です。
吸血鬼であられるお嬢様の気分が高揚するのは寧ろ当然な程、妖しく美しい、緋。それは血にも似て……私達妖(あやかし)は気もそぞろ。
それにしてもお嬢様、罪とは――?
その所為でございましょうか。御主人様方の眷属の狼が森で吠え騒いでいるのは。未だこの屋敷に馴染みの薄い、坊ちゃまの黒猫が怯えるので止めて欲しいのですが……。
その黒猫を宥めながら坊ちゃまが苦笑なさいました。
「カメリア、少しの間こいつを見ていてくれないか。ちょっと出掛けて来るから」私に黒猫を預けながら、仰せになられました。
私はてっきり、狼達を鎮めに行かれるのかと思っていたのですが、坊ちゃまはこう、お続けになられました。
「もし行き違いに黒い犬が来ても、決して話し掛けてはいけないよ。触ってもいけない。お前は人の姿を象った所為か、人に近いから……。取次ぎもあくまで父上に対してのみ、話す事。いいね?」
取次ぎ――という事は、その黒い犬はお客様なのでしょうか? 恐らくは妖の。
それで狼達が騒いでいるのだと、合点が行きました。
そして坊ちゃまがお迎えに出られるのだという事も。
春の雷が天空を暴れ回った翌朝、青い空を映す水溜まりに浸かって、その人形は路上に転がっていたそうでございます。
いつから転がっていたものか、丁寧な造りにも拘らず、それは汚れ切って、チャームポイントであろう口元の黒子でさえ、只の汚れにしか見えない有り様だったとか。ひらひらとした今風の服もどろどろで。指先の爪型の刻みに僅かに残る赤い色は子供がマニキュア代わりにインクでも塗ったものだったのでしょうか?
打ち捨てられた人形は、無関心に通り過ぎる通行人の視界から、いつの間にか消えていたそうでございます。近所の住人が片付けたものか、清掃業者が引き取ったものか……。
私、カメリアと致しましては少々、心が痛みます。生き人形ですから。
そして、それと時を同じくして、問題児扱いされていた一人暮らしの少女が、この屋敷からも程近い――往路で半日は掛かりますが――街から消えたとか。
派手な服装をした、口元に黒子のある少女だったそうでございますよ。
「詰まり、貴方が彼女を刺殺したのはこの刀の所為だとおっしゃりたいのですか?」
「ああ。あれは妖刀なんだ! あれを握った途端、殺意が湧いて……いや、殺意が元から無かったとは言わない。あの女には前から強請(ゆす)られてたんだ。居なくなってくれれば……そう思った事は何度もあったさ。だが、それでも俺には自制心ってものがあったんだ! それがあの刀を手にした途端、吹き飛んでしまった……!」
「それが刀の所為だという証明はお出来になります? 偶々手近に刃渡り七十センチにも及ぶ凶器があって、金の受け渡しの為に、彼女と二人切りという絶好のチャンスだった。そこで箍(たが)が外れたのではないという証明は出来まして?」