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夜中に連絡もなしに訪ねて来る友人程、迷惑なものはない。
況して、その理由がはっきりしないとなると。
「どうしたって言うんだよ? いきなり訪ねて来て。そりゃ、俺は一人暮らしだから、文句を言う家族もないけど」
理由位は聞かせてくれよと、ワンルームに座り込むなり妙に浮かない顔で俯いている、件の友人に詰め寄った。
因みに現在の時刻は午前一時半。明日は久し振りの休日と、夜更かしを決め込んでいたので、就寝時に起こされる不快感を味わわなかったのは幸いだが。
「家族と喧嘩でもして飛び出て来たのか?」俺は冗談交じりに言う。友人は家族――両親と二人の妹と共に――同居しており、概ね仲がよかったが、それでも時折は親しさ故の言い過ぎから喧嘩に発展する事もある様だ。
喧嘩、という言葉に彼は反応した様だった。僅かに顔を上げ、何か言いたげに口を開き掛けては閉じてを繰り返している。言いたい事が頭の中で纏まらない、そんな感じだろうか。
やがて一つ、唾を飲み下して、彼は話し始めた。
「喧嘩……うん、確かに最初は些細な喧嘩だったんだ。原因は何だったろう? ああ、そうだ、肩が触れたのどうだのって事だった。俺は全く自覚なかったから、言い掛かりだと、最初は相手にしなかったんだ。そしたら、馬鹿にしてんのかと食って掛かって来て……。ずるいよな、向こうは仲間が三人も居たんだぜ?」
「おい、誰と喧嘩したんだ?」俺は眉根を寄せた。どうやら家族間ではないらしい。
「誰? 解らない。街で擦れ違っただけなんだから。それなのに言い掛かり付けられて、四人掛かりで殴られて……」
俺はそれとなく彼を観察する。冬物の衣服から覗いている手や、首から上には傷らしきものは見当たらない。殴られたとしたら衣服に隠れている部分なのか?
「それが本当なら傷害事件だよ。警察には行ったのか? 病院は?」
どちらも行っていない、と彼は首を振った。
「何で? やられっ放しでいいのかよ?」妙に淡々としている彼に成り代わり、俺は憤る。
「よかないよ」彼は微苦笑した。「でも、無理なんだ」
「何で? 相手の身元が判らないからか? それを調べるのがお巡りの仕事じゃないか。お前は兎に角、病院で診断書書いて貰って、被害届けを出せばいいんだよ。泣き寝入りなんて馬鹿馬鹿しいじゃないか」
「無理なんだって」
更に「何で?」と訊くよりも前に、彼の姿が崩れ始めた。
驚愕に目を瞠る俺の前で、顔が崩れ、身体が崩れ、どろりとその場に蟠る。丸で海藻の塊で出来た化け物の様なその様相に、俺は情けない悲鳴を上げた。逃げ出さなかったのはそれを未だ友人と認識していたからか、腰が抜けていたからか……。それとも……。
やがてそれも蒸発する様に消えて行き、後には湿った絨毯の上に一握り程の、海藻の束が残されていた。
翌日、俺は警察に出向き、馬鹿にされるのを覚悟の上で事の次第を告げた。
幸い、遺体そのものが俺の告げた場所の付近から上がった為、無視される事はなかった。とは言え、一度は俺の事件への関与が疑われたけれど、幸いな事に奴の死亡推定時刻には俺には確固としたアリバイがあり、また遺体からは犯人に繋がる痕跡が発見された為、無罪放免となった。
そう、言い掛かりを付けてお前を嬲り殺しにした奴等は捕まった。
だからゆっくり、眠ってくれ。
俺は分布場所がこの近辺では極めて限られるが故に、その場所を教えてくれた例の海藻に感謝しつつ、友人の遺体が遺棄された海へと、弔いの花束を投げた。
―了―
今日は疲れ気味~(--;)
クリスマスの予定は?――そう友人に訊かれて、江里子は反射的に頬を膨らませた。
「何かなくちゃいけないの?」と。
ここ数年、この時期は誰も彼も会う毎にこの話題になる。クリスマスなんて祭日の翌々日。只の平日じゃないの、と江里子は思う。
「別になきゃいけないって事はないけど……」思い掛けない反応に途惑いながら、友人は曖昧に笑う。「ほら、やっぱり何かないと……寂しいじゃない?」
「別に」心底、きっぱりと、江里子は答えた。「クリスチャンでもないし、特にパーティー好きでもないし」
「江里子に訊いたのが間違いだったわ」友人は肩を竦めてそう言った。
それに関しては江里子も同意だった。
「考えてみたら、江里子の家は代々続く神社だものね。やっぱりクリスマスなんてお祝いしないものなの?」
「神主の家でも、こんなのはイベントだから関係ないって家もあるみたいだけど、うちにはツリーも無いわよ」
「はぁ……。小さい頃からそうだから、周りが騒いでても気にならないのかな」
「それもあるけど……」言い掛けて、江里子は口籠った。
「あるけど、何?」
「なんでもない」と江里子は誤魔化した。
数日後に控えたクリスマスに胸を躍らせている友人に、おかしな話はしたくなかったのだ。
幼稚園の頃、江里子は初めてツリーの飾り付けに参加した。
七夕飾りは作った事があったけれど、それらとは違うオーナメントはきらきら光り、電飾はピカピカと点滅し、子供心を擽った。そう、その頃は江里子も初めてのクリスマス会を楽しみにする、ごく普通の子供だったのだ。
けれど、その飾り付けをやっている間、幼稚園では不可解な事が起こった。
どれだけ皆で飾り付けを頑張っても、翌日登園すると、飾りは全て外れてツリーの周りに散らばっているのだ。
園長を含め先生達は皆一様に不審げな顔で夜間の警備状態を検め、中には泊り込み迄した先生も居た。だが、その誰もが不審者や異常を感知する事はなく、しかしやはり翌朝、飾りは落ちているのだった。
幾ら飾り付けても完成しないツリーに、中には泣き出す子供も居て、江里子は丸で賽の河原みたいだと思ったものだった。親に先立った子供達が積む石を、無情にも鬼達が崩してしまう――そんな鬼が此処にも居るのだろうか?
そんな状態でクリスマス迄後二日程と迫った日、もう何度目かの飾り付けを終えて帰宅した江里子は幼稚園に忘れ物をした事に気が付いた。近いのをいい事に一人、取りに戻った。
そして園児が居なくなった教室で、彼女は見てしまったのだった。
担任の先生が、飾りを外しているのを。
何で? 何で先生がそんな事してるの?――そう問い詰めた江里子に、担任は俯きながら答えた。
これが終わってしまうと、自分にはクリスマスの予定が何も無くなってしまう、と。もし、終わらなければ自分達職員が残ってでも仕上げる事になるのだと。冷め掛けた恋人ともクリスマスを過ごせないのも、仕事の所為だと、誰よりも自分自身に、言い訳出来るから、と。
「この歳になって、たった一人のクリスマスは、寂しいものよ……?」三十代半ばの担任はそう言って寂しそうに笑った。
本当に予定がなかったら、あたしが遊んであげるから――生意気にもそんな事を言って、その後、飾り付けを手伝ったのを覚えている。先生が言う寂しさと、幼稚園児の寂しさとは、ちょっと違っただろうと、今では解るけれど。
「予定が無い位で大の大人が――って言うか、大人の方が――馬鹿な真似しちゃうなんて、クリスマスっておかしな日よね」江里子のそんな呟きは友人には聞こえなかった様だった。
そもそも――年末年始の書き入れ時を控えて忙しい神社の娘、江里子のスケジュール帳は、既に真っ黒だった。
―了―
えと……ご予定は?(^^;)
どこかの子供がうっかり手を放してしまったものか、冬の寒空を昇って行く風船が一つ。
雪でも降り出しそうな鈍色の空に、ぽつんと、鮮やかな赤い色――してみると、これの持ち主は女の子だったのかな? 新しい風船を貰えているといいね。
埒もなくそんな事を考えながら、冬商戦真っ只中の駅前通りを歩いていた僕の目の前に、横合いから白い手袋をした握り拳が差し出された。
ぎょっとして脚を止めて見遣ると、そこには恐らくどこかの店の宣伝と思われるピエロの姿。真っ白い顔、十字に塗り潰された目、赤い口で満面の笑みを作っている。
そして彼が差し出した拳をよく見れば、上に立ち上る糸が一本。それに視線を這わせて上を見ると、案の定、風に揺れる赤い風船があった。
どうぞ、という事なのかも知れないが……。
こんなのは子供――色からすれば女の子――に配る物だろう。大学生の男である僕には、非常に不似合いだ。
僕は曖昧な笑みを返し、手を振って要らないと示して、立ち去ろうとした。
が、それを回り込む様にして、風船は更に突き出された。ピエロはもう一方の手に未だ幾つもカラフルな風船を持っているが、色を変えてくれる気もないらしい。
「いや、うちは小さい子供も居ないんで……」今度ははっきりと不要を告げたのだが……。
三度突き出された風船に、僕は溜息をついてそれを受け取ってしまった。
ピエロは満足そうに頷くと足取り軽く、行ってしまう。おいおい、欲しそうにしている小さな子供が傍に居るぞ?
何処の店の宣伝だか知らないが、えらくいい加減な仕事振りだ。兎に角規定数、配ってしまえばいいと思っているのだろうか。確かに子供はきゃあきゃあ煩いし、中には働くピエロに蹴りを入れてくる様な悪ガキも居るが、親を店に引き摺って来るにはいい鴨だ。子供を可愛がられて怒る親は居ない。巧くすれば本人をおだてるより簡単で効果がある。
そこが解ってないんだろうなぁ。
僕は苦笑しながら傍に居た子供に風船を渡し、道を歩き続けた。
暫く行くと、また握り拳が突き出された。
真逆、と思いつつ見遣れば、やはりピエロ。服装、背格好からは先程と同じ人物に見えるが、生憎同じ仮装をされたら余程の体格差がない限り、複数居ても見分けは付かないだろう。
糸の先はまた、赤い風船。
「子供に配りなよ」流石に気分を害して、僕は言った。「どうせ配るんなら、喜んでくれる子供達の方がいいだろう?」
だが、ピエロは笑顔で、やはり同じ風船を差し出し続ける。
化粧の奥の目を見れば、それも笑っていて――僕はふと、首を傾げた。
見た事がある様な……?
僕ははっとして――白昼夢から醒めた。
「ほら、そこのバイト君、ぼけっとしてないで風船配る!」威勢のいい若い女性の声と、カラフルなゴムボールが飛んで来て頭にぶつかった。「バイト代、差っ引くよー」
ボールは頭を直撃したものの、もじゃもじゃの鬘に守られた僕の頭には何程の事もない。
そうだった。ピエロは僕。風船を配っていたのも僕。
友人――先の女性――に頼まれたとは言え、年末の寒空に何でガキにじゃれ付かれながらピエロなんてやってなきゃならないんだと、内心で愚痴っていた、僕。
さっさと配るだけ配って切り上げよう、そんな事を考えていた、僕。
だから、それを外から眺める様な、あんな幻覚を見てしまったのだろうか。夢の中では自分で「解ってないんだろう」なんて苦笑していた癖に。
そうだ。これも仕事。
第一……子供達は喜んでくれてるじゃないか。
取り敢えず、一人部屋で過ごすよりは、温かい冬の一日だった。
―了―
う~む。イマイチ、落ちが無い(--;)
多忙さを言い訳に年賀状を放置していたツケは、年末の最も忙しい時期に回って来た。
「だから早くした方がいいよって言ったのに」そう言って、それでなくても焦る気を更に急かしてくれるのは、既に書き終え、投函も済ませたと言う妹だった。
ええい、煩い。僕は半ば本気で、耳栓を買いに行こうかと思った。が、今はそんな時間も惜しい。
親戚に友人や会社の付き合い、ざっと見積もって五十枚といった所か。例年ならそれでも大した数ではないのだが……。
「よりによって、プリンターが故障するなんてね。ついてないね」
そう。プリンターの故障により、現在手作業なのだ。幸いなのは表面印刷済みの葉書を買い求めてあった事か。竹林に雄々しく佇む白虎が、ほぼこの時期だけ意識する、来年の干支を教えてくれている。
勿論、プリンターは修理に出しているが、日数が掛かると言われてしまった。更に忙しくなるであろう年末に、これ以上この仕事を持ち越したくないと、半ば勢いで書き始めたのだが……。
普段持つ事のない筆ペンは使い難く、持ち前の悪筆が更に作業を困難にしていた。
「お前、プリンターの具合悪いの、気付かなかったのか?」八つ当たり気味に、妹に問う。「先に使ったんだろ?」
「使ってないよ」あっけらかんと、妹は言った。「私は手書きだもん。兄さんのみたいに出来合いじゃないもんね」
「出来合いの印刷済みで悪かったな。お前とは出す数が違うんだよ」
「口より手を動かしたら?」
ああ言えばこう言う。僕は妹との言い合いを止めて、作業に集中する事にした。
その甲斐あって、日付が変わる前に、宛名書きは終了したのだが……。
明くる年。
僕が出した内の誰からも、年賀状は来なかった。
友人達からさえも。
「皆、随分付き合いが悪くなったんだなぁ」些か寂しい思いで、僕は呟いた。炬燵の天板に二十枚程の色鮮やかな年賀状を並べている妹を横目に。
「兄さん、ちゃんと差出人の住所、氏名、書いた?」妹が笑う。
「当たり前だろう」馬鹿な事を言うなとばかりに、僕は嘆息した。「それ以前にお互いに知ってるんだから、僕の年賀状が着くより先に書いて投函してるだろう。投函が遅くて、配達が遅れてるのかな?」
「皆が皆?」
「それもおかしいよな」
笑っていた妹も、流石に笑みを納めて不審げな顔で自分の手元と、何も無い僕の手元とを見比べていた。
ところが、その日の午後、友人から妙な電話が入った。
〈お前、年賀状来てたけど……。去年の暮れに家族全員が事故で亡くなったからって、欠礼葉書が来てなかったっけ? だから出さなかったんだけど……〉
おいおい、馬鹿な事言うなよ――僕は茫然と、言い返すでもなく呟いていた。
亡くなった? 家族全員が?
じゃあ……じゃあ、今目の前に居るのは誰なんだ?
そう思ったと同時だった。妹の姿が空気に解け、彼女宛の色鮮やかな年賀状も、共に消えて行った。
僕は家族を失った寂しさの為に、幻覚を見ていたのか? 口煩くも生き生きとした、妹の幻影を?
いつしか、乾いた笑いが僕の喉から漏れ出していた。電話の向こうから、心配げな友人の声がする。それをも無視して笑い続ける僕に、控え目な慰めの言葉を寄越して、数分後、電話は切れた。
〈一人で大丈夫か?〉との言葉を残して。
やがて僕は笑いを収め――葬儀の準備や親戚とのやり取りに忙殺されていた年末を思い出した。
そうだった。プリンターは、大量の欠礼葉書を印刷した後に、僕が壊したんだった。
皆が年賀状のデザインに苦慮する時期に僕の周りを閉ざす白と黒の葉書が、余りに忌まわしくて。
それを吐き出したプリンターへの、子供じみた八つ当たりに過ぎなかったけれど。
―了―
書いてる途中またいきなりPC再起動!(--;)
一時保存機能付いてて助かった!
閉ざされた襖の僅かな隙間。
そのささやかな空間で、何かが瞬いた気がした。ちらちらと、白に、橙に、緋色に……気紛れに色合いを変えながら。
けれどそれはほんの一瞬で、今そこにあるのは黒い闇。
何だったんだろう、と私の視線はその隙間に釘付けになった。また違う色が見えはしないかと、暫し、じっと見詰める。夜中に喉が乾いて台所に立ったのだが、それも後回しにして、暗い廊下に立ち尽くしていた。
この襖の向こうは仏間だった。仏壇が安置され、床の間が整えられ、祖母が朝夕のお勤めをする以外は殆ど使われる事もない六畳間。小さい頃に遊んでいて怒られた記憶がある所為か、我が家の一室でありながら、私はその和室が苦手だった。
真逆、蝋燭の火が付けっ放しになっているんじゃあ――そう思い掛けて、私は頭を振る。祖母のお勤めは午後六時頃。今は日付も変わって午前二時だ。消し忘れたとしても疾うに立ち消えている。確かに丁度、蝋燭の火の揺らぎにも似ていたけれど。
では一体……?
好奇心を抑え切れず、私はそっと襖に手を掛けた。
思い切って開けた襖の先には、闇に沈んだ仏間があった。いつも通りの――前に見たのはもう随分前になるけれど、その時と全く変わらない。
きちんと閉ざされた仏壇。その前に置かれた祖母の座布団。床の間に設えられた掛け軸に、花器。
廊下からの灯に浮かび上がるそれらの何処にも、異常は見当たらない。
見間違いだったのだろう、と私は苦笑した。寝惚けていたのかも知れない。
私はどこかほっとすると同時に喉の渇きを思い出し、襖を元通りに閉ざすと、台所へ向かった。
それでも、水で渇きを癒した帰りに、またその隙間を窺ってしまったのは、やはり自分でも何か納得していなかったのだろうか。
ちらり、ゆらり……また、何かが瞬いた気がした。
今度は寝惚けてなんかいない。
私は反射的に、襖を開けていた。
と――。
そこに居たのは幾羽かの小鳥。白、橙、緋色……どこか炎の色にも似た燐光を纏った、雀程の大きさの鳥だった。
何処から? いや、それ以前に何故淡くも光っているの?
私が思わず短い悲鳴を上げると、小鳥達は一斉に飛び立ち、床の間へと飛んで行った。その光が一つ、二つと消えて行く。
程なく仏間は元の暗さの中に沈み、私は茫然と、立ち尽くすのみだった。
翌朝、起きて来た祖母に昨夜の出来事を話して、仏間を調べさせて欲しいと頼むと、苦笑いが返ってきた。
「朝美、あんた小さい頃、夜中にあの部屋で遊んでいたの忘れたの? 小鳥を追っ掛けて……。そうっとして置いてお上げなさいって、お祖母ちゃん、言ったじゃない」
その一言で、夜の仏間を、以前いつどんな状況で見たのか、私は思い出した。
そうだ、夜中にお手洗いに起きた時に寝惚けて仏間に迷い込んで……小さな光る小鳥達の姿に思わずはしゃぎ、その後を追っ掛けて捕まえようとしたんだった。一羽たりとも、小さな私の手には掛からなかったけれども。
そして騒ぎに起きて来た祖母に怒られて……癇癪を起こす私を余所に、小鳥達は帰って行ったのだった。
床の間に飾られた掛け軸――その画の中へと。
時折夜中に抜け出しては、あの仏間で文字通り羽を伸ばしているのだろうか。
「そうっとして置いてお上げなさい」祖母はもう一度、そう言って微笑んだ。
―了―
不思議な話で(--)ノ
一緒に帰ろ 一緒に帰ろ
一人は危ない 一緒に帰ろ
節を付けて歌う様にそう言い、道の先に佇む女の子は僕をこう呼んだ。
「かおるちゃん」
転校して来たばかりの小学校の帰り道。今時こんな所があるんだと感心する程の、竹林に囲まれた細い道。丸で周囲を囲む竹の様に真っ直ぐで、見通しはいいんだけど、時折風に揺らぐ枝葉がざわざわと音を立てるだけで、車の音はしない。多分、入っても来られないんだろう。都会育ちの僕にはちょっと、寂しくて怖い。
未だ一緒に帰る程親しい友達も居なくて、ちょっと早足で通り抜けようとしていた時に、その女の子は突然、道の先に現れたのだった。見た所僕と同じ、小学校三年生位。
そして明らかに僕に呼び掛けた。
一緒に帰ろ 一緒に帰ろ
一人は危ない 一緒に帰ろ
でも、と僕は頭を振った。
「僕は『かおる』なんて名前じゃないよ。人違いしてるんじゃないの?」
僕の名前は二宮陽太。新しい学校でもちゃんと自己紹介したよ? 尤も、この女の子を学校で見た覚えはない。
だけど、女の子は聞いているのかいないのか、やっぱりさっきの節を繰り返す。
一緒に帰ろう、かおるちゃん、と。
「だから、かおるちゃんじゃないってば」何となくその様子に不審なものを感じ、声に焦りが出る。「君、誰?」
答えはない。
やっぱり僕を見詰めて、かおるちゃん、と呼び掛ける。
僕は気味悪くなって、思わず後退りした。女の子は僕を見ている――けれど、本当に僕を見ているのか? 何か、違うものを見ているのじゃないか?
この脇道も無い竹林に囲まれた一本道で。
と――。
「何してるの?」
「うわぁ!」
背後から声を掛けられて、思わず僕は飛び上がった。相手も僕の驚き様に吃驚して、きゃっ、とか声を上げている。それでも直ぐに微苦笑を浮かべて、驚かせてごめんと、彼女は言った。
彼女――確か同じクラスの……。
「山下さん」僕は肩の力を抜いた。「こっちこそごめん。山下さんもこっちなんだ?」
「うん。それより、どうしたの? 道の真ん中で一人でぼうっと突っ立って」
一人? 彼女の言葉に、僕は首を傾げてしまう。さっきも言った様にこの道は真っ直ぐで見通しはいい。やや距離はあっても、僕の前に立つ女の子が見えない訳はないのに。
そう思いながら振り返った道の先に、しかしさっきの女の子の姿は無かった。
狐に摘まれた気分で、僕は目を丸くした。真っ直ぐの道の先は未だ続いている。このやり取りの間に駆け抜けてしまったと言うのだろうか?
「どうしたの?」訝しげな顔をする山下さんに、僕は先程の事を話して聞かせた。
「ああ、その子」一通り話を聞き終えて、山下さんは事も無げにそう言った。
「知ってるの? やっぱりうちの学校の子?」
「相手しちゃ駄目よ。もう、死んでるから」
え……?
茫然とする僕に、彼女はかつてこの道であった事を話してくれた。
「昔、うちの学校にとっても仲のいい女の子と男の子――かおる君って子が居たんですって。二人はいつも一緒にこの道を通って登下校していた。けれどある日、女の子が学校の用事で遅くなって、かおる君一人で帰ったの。そして……この道に入る所迄は近所の人に目撃されていたそうよ。だけど、その先を見た人は居ないの。行方不明になっちゃったのよ」
ざわざわ……葉擦れの音だけが響く道の真ん中で、僕は周囲を見回した。視界の殆どを占める竹林。上を見ても真っ直ぐ伸びたそれらが押し被さってくる様で、不安を煽る。
「この辺りの竹林を中心にかなりの捜索がされたんだけど、結局かおる君は竹林の奥深くで、遺体で見付かったそうよ。何でもちょっとした洞窟があって、その中に居る時にそれが崩れたらしいって。女の子にさえ秘密の場所だったみたいで、中には彼の宝物や、彫り掛けの木のブローチがあったそうよ――もしかしたら、女の子へのプレゼントを、こっそり作っていたのかもね」
そうか、だから仲のいい女の子を待つ事もせずに、先に学校を出たんだ。
でも、それはもう三十年も前の話、と彼女は言った。
「女の子はそれでも登下校の度にこの竹林で彼の姿を捜して……。心配した親御さんがこの街から離れた方がいいだろうって、転校させたんだけど、その先で病気で亡くなったそうよ」
それ以来、この道では一人で帰る子供が居ると、時折ああして現れるのだそうだ。
「一緒に帰ろう……って、一緒に行ったら、どうなるの?」
「……消えちゃうって言われてるわ。幸い、私の知っている限りでは誰も付いて行った人は居ないけれど」
ごくり、と僕は息を飲んだ。
「だから」山下さんはふと、僕を見て微笑んだ。「一緒に帰ろう?」
以来、僕はこの道を一人では通らないようにしている。
―了―
どっちと一緒に帰るかは貴方次第!?(^^;)
昨日、長年の禁を破って迄、飲酒したかったのが嘘の様に、私は酒に興味を失っていた。
尤もかつて友人に勧められて一度飲んだ切り、酒から離れた私にとっては既に今が常態で、昨日の酒への渇きが異常だったのだ。
ワイン、ブランデー、日本酒、焼酎……何でも構わなかった。兎に角「酒が飲みたい!」と強く思ったのだ。どうにか、堪えたけれど。
目の前にずらりと酒が並んでいた訳でもない。無論、匂いさえ嗅いでもいない。
だのに、一体何が引き金となったものか、私は酒を欲したのだ。
危うくもう少しで母にあの忌まわしい言葉を言う所だった。
それを言いたくない――言う様な男になりたくなくて、付き合いの悪い奴と言われつつも酒を断ったのに。
「酒を買って来い!」それが父の口癖の様なものだった。所謂アル中で、仕事から帰れば酒、そして酒が切れると機嫌が悪くなる。かと言って飲んでいれば酒乱のどうしようもない男だった。母や私は昼夜を問わず、酒を買いに走らされ、彼の暴力に怯えていた。
そんな彼は反面教師でもあったのだろう。
早く父の元から母を伴って離れる事を目標に私は勉学に励み、就職した。
母はそれでも父を一人にする事をかなり渋っていたが、私はそれを説き伏せて、安アパートではあったが心安らかに過ごせる新居へと、二人で移った。
父を捨てて。
そんな人間が居た事さえ忘れようとする様に、私は仕事に励み、母と共に幸福な暮らしを享受した。
だのに、私の中には確かにあの男の遺伝子が潜んでいたらしい。
若い頃、友人に誘われて飲んだ酒の席で、私は醜態を晒してしまったのだ。尤も、あろう事か正体を失くしてしまい、私自身は覚えさえなく、翌日の周囲の冷めた目と、友人からの忠告で知ったのだが。酒には気を付けた方がいいぞ、と。
以来、私は酒を断った。
少し位なら、とは友人達も言ってくれたのだが……私にとっては、あの男の様になる事は最も忌むべき事態だった。例え一夜の事であっても。
そう、あれ以来、私は酒への興味を失くした。
元々父への反感があり、父を狂わせる酒への反感もあった所為だろう、私には禁酒は容易かった。
その私が何故今になって……。
そう、首を捻っている私に、母が朝の挨拶もそこそこに――友人から聞いた話だけれど、と前置きしつつ――告げた。
昨日、父が死んだ、と。昔、三人で住んでいたあの家で。
偶々訪ねた友人氏が遺体を発見し、通報してくれたそうだ。死亡推定時刻は、昨日私が酒を欲したのと同じ頃合いだったと言う。
「そうか……。父さんが……」私は茫然と呟いた。
言葉にし切れない、この心の中にあるのは何だろう? 完全に縁が切れたという安堵? 彼を捨てた事への後悔? 一人寂しく死んだであろう父への嘲り? それとも憐み?
そして……恐怖?
出席そのものは断った葬儀の日、私は納骨も済み、人影の去った墓所で、父の墓に酒を供えた。
「あの日……あの酒への欲求は父さんのものだったのか? 俺を依り代にして、未だ酒を飲む心算だったのか? 俺を……自分みたいな男にしたかったのか?」
父の墓を前にしての蔑みの声音。私だとて、たった一人の父の墓前なのだ、もっと別の事を話したい。だが、碌な思い出がないのも事実だった。何より、あの日のあれは……。
「俺は父さんにはなれない。代わりに飲む事も出来ない」私はきっぱりと告げた。「さようならだ、父さん」
そうして背を向けた私の耳に、ぽつり、と届いた言葉が一つ。
〈最期に一度だけ、お前と飲みたかったなぁ……〉
一瞬だけ立ち止まり、しかし私は振り返る事なく墓所を後にした。
それ以来、酒への欲求はまた完全に私の中から去った。
しかし……最後の最後迄、彼に応える事の出来なかった私は親不孝者だろうか?
―了―
暗い?(--;)